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『花束みたいな恋をした』を見てパンフレットなどをしっかりとみる前に書き留めたいこと。

ネタバレを含みますので、閲覧される方は要注意でお願いいたします。
セリフについてはうろ覚えの上、衝動のまま主観で語りますので、合わないと思った方はすぐにブラウザバックを。


本日『花束みたいな恋をした』を見ました。最高でした。
カップルが見に行くとえぐられる映画だと聞いていましたが、男が一人で見に行くとそれはそれできついだろうと思い、人目を気にせずに見ることができる早朝に見に行きました。
結果、ライアーライアーの舞台挨拶と被り逆に気まずかったです。
最近テレビを見ていないのでSixTONESはなぜixを発音しないのか気になりました。来場者特典でポストカードをもらえました。

『最高の離婚』や『カルテット』、そして坂元裕二の残業などいくつか作品を見ていただけに期待が大の作品でした。

多くの人が述べているところについて私も述べます(語る相手がいないので付き合ってください)。

作品のタイトルにもある通り、恋を”した”。過去形です。同じようなタイトルの僕は妹に恋を“する”と比べると印象が違います。
現在形ではなく、過去形。本作は終わった恋の話について麦(菅田将暉)と絹(有村架純)、主役二人の心情を交えながら日記のように語られます。 映画冒頭のシーンは二人が現恋人とデート中、他人としてたまたま出会うところから始まります。

この映画、様々なところにいろいろな仕掛けが施されています。

まずタイトル。
『花束みたいな恋をした』
先ほども述べたように過去のことを語る映画なのだが、“花束みたい”とはいったいどのような恋なのでしょうか?
花束とはそもそも長期間愛でるものではないと思います。ドライフラワーやしおりなど様々なものとして生活に彩りを与えることはあっても、同じ形として保ち続けることはできない。出会った時が一番良い形なのでしょう。
2015年から2020年までを描く映画で平成に花束、令和にドライフラワーとはよく言ったものだなあと(公開は令和ですが)

劇中でもそれを思わせるシチュエーションがあり、
セリフがいくつも出てきます。
美形の先輩との飲みを断り、出会ったばかりでとても趣味が合う絹と過ごす夜。ここが花束のはじまりです。
きのこ帝国のクロノスタシスを歌い350mlの缶ビールを二人で飲み、調布まで歩く。
3時間21分あるガスタンクの映像を二人で見る。髪を乾かしたり、絵を好きだと言ったり、二人の世界はきらきらと輝いていることでしょう。

中盤、オダギリジョー演じる加持は言います、恋には賞味期限があると。
幸せのために社会に出て大人になった麦、遊びを仕事に仕事を遊びに自分の好きな道を突き進む絹。
終盤のファミレスのシーンでは埋められない二人の溝を象徴とする言葉として結婚が出てきます。
幸せになるためには変わらないといけない。大人になった麦からの言葉だが、麦の目には世の中の夫婦が枯れた花に見えたのでしょうか?

花束は別の意味でも語られています。この映画の英題はグッズ売り場で分かりました。
We made a Beautiful Bouquet 
出会った頃がピークと述べたが、少し違うかもしれません。
最後のファミレスのシーンで麦が言った通り二人はたくさんの楽しい思い出を束ねていったのかもしれない。ただ、枯れてしまったのかもしれない。
どちらの意味なのか両方なのか、解釈は人それぞれだと思います。

モノや考え方も特徴的です。

・ジャックパーセル
いわゆるサブカルが好きな二人が、若者であること、心が通っていることの象徴として白いジャックパーセルが出てきます。
二人の間で会話がなくなるころには“スマイル”は靴棚へ消え各々の生活を象徴するような靴が出てきます。ラストシーンで麦はDr.Martensをはいています。革靴の似合う大人になったのでしょうか。

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・偉い人への考え方
麦が大人になったことの証として偉い人への考え方の変化も見られます。”今村夏子のピクニックを読んでも何も感じない”という言葉は序盤と中盤、
語り手を変えて劇中へ登場します。私は最近、パワプロしかやっていないのできっとすでに何も感じない側に立っている気がします。
あと個人的に広告代理店の人には仕事で会ったことがないので会ってみたいです。

じゃんけん
世の中のメタファーとして出てきていると思います。なぜ、紙が石に勝つのか物語序盤で疑問を感じていた麦ですが最後、絹とのじゃんけんではパーで勝ちます。これでもかと大人になったことを示す隠喩でしょうか。

イヤホン
お互いに送りあったイヤホンはやがてお互いを隔てるかのような使い方をされます。
あのカップルは音楽をわかっていない、LとR双方から流れる音があって初めて立体感が出る。左右で聞いている音が違うと過去に説教されて未来に説教したイヤホンこそ本作品の終盤をうまく表している気がします。

二人で生活リズムがあっていたときはあんなにも奥深かった生活が、ひとたび歯車が違えば、お互いに違う音を奏でだす。あれだけ本の趣味があっていた二人の読むものは変わり、心の距離と同様に巻数を隔ててしまいます。本当は二人の目標に向けて奏でるはずだったものがやがて各々別の音を奏でだす。お金があっても勝算は立たちません。

ファミレス
二人が最も楽しかった、いわば花だったころを象徴する場所です。告白をした場所でそして別れを告げた場所でもあります。窓際の思い出の席で本を交換し写真を撮り合う。ラストシーンで若いカップルに自分たちを重ねるシーンで変わってしまった自分たちを痛感していたのでしょうか。

特徴的なシーンはあげるときりがないです。私は小説にも音楽にも明るくないのでクスッとなるところはきっとほかにも多かったのだと思います。

ゼルダもスマブラでしか付き合いがなく、ストレンジャーシングスはナイキとのコラボしか知りません。パンフレットやユリイカを読み復習しようと思います。

誰かとみるのが良い。すぐに語れたほうが良い。そんな映画なのは間違いないです。
ただ、考え方はみんな花のように千差万別で人によっては相いれないこともある。
カップルクラッシャーとなりえるのはそのあたりが理由だと思います。
ありふれたテーマで人の感情をここまで揺さぶることができる、坂元裕二さんの次回作にも期待大です。


#花束みたいな恋をした #映画感想 #坂元裕二

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