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多様性を考える

音楽を聴きながら書いたので
流しながらお読み頂けたら幸いです。

多様性を考えるとき
最近、その反対も考えてしまう事が増えた

何かがおかしい

その感覚がぬぐえないでいる俺の感性は
どこかズレているのかもしれない

No1にならなくてもいい
そんな歌を何度カラオケで
調子に乗って歌ったかわからないけど

最近それが正解だったのか?と思う

誰かと真剣に何かを争い
そして負けた

悔しさや絶望はあるかもしれない
頑張ったね。
と慰めをかけてもらえたとき
より惨めに思えるかもしれない

そんな想いを我が子にさせたくないのは
人の親なら共通だと思う。
だけど、それって人として生きる上で
とても大事な通過点のような気もするんだ

それぞれの個性を大事しよう
異なる他を受け入れる
聴こえはいいんだ多様性ってね

何かその組織のルールを変えるとき
このルールが嫌だから
自分は従わないというのは
個性ではなくて我がままだ

ルールを変えようとするものは
誰よりもそのルールに精通して
そのルールで他を圧倒した先に
変革を起こせるような気がするんだ

織田信長はその幼少期はどうだったのか?
何でもかんでも反抗的だったわけじゃない
きっとそこには不条理な社会への
絶望があったのじゃないかなぁ

母親にも殺されかねない
悲しすぎる社会の不条理

No1を目指して1位のドラマもあれば
No2になってしまい
あと少しで1位になれた悔しさは
しなくていい嫉妬心を植え付けられ
その中でのたうちまわりながら
自分を見つけていく壮絶なドラマもある

人の深みはどこにあるか解らない

悔しさの先に素直に1位を賞賛できたとき
そこで到達できるものが
オンリーワンの世界じゃないのかな

1位を目指さない
社会はいかがなものだろう

そんな思いとリンクする多様性
かつて技術大国だった日本は失われ
戦前何もない荒廃の中から
経済大国にのし上がったパワーは
すっかり失われてしまっている

先日ヤフーニュースで見たんだ
元首相の国葬へのアンケート
40万人くらいがその時は答えていて
7割が国葬に反対だった

前例がないという意見もあれば
税金がもったいないという意見も
人それぞれに様々に様々で

別に右も左もないけど
世界はマリオ姿の首相を覚えているし
国内だけの問題でもない
そんな首相が不慮の死をとげたのに
国葬かどうかでもめている国

なんかちょっと恥ずかしい
首相になったのならば
どんな政策の失敗があっても
気にくわない政党の人であっても
皆、国葬にしてしまえばいいと思う

それは敬うってこと

好きに意見を言うことは
多様性とは違うんじゃないかな?
と、ちょっと思った。

だってそれはこの国のトップだから
そこを敬うことを軽視することさえ
多様性なのかな?

自分が票を入れなかったとしても
それは同じ重さのランドセルを背負った
同胞が決めたことだろう?
それを受け入れないことも個性なのだろうか?

No1にならなくてもいいというのは
No1になれなかった悔しさを受け入れて
前を歩き始めた時に初めて語る事ができる
そんな権利のようなものだと思う

これって逆張りになるのかな?
俺は多様性という言葉は好きだ。
様々な人が好きなことをして
自分らしく暮らす社会は理想的だ

そう思うのだけど
真逆に進んでいる気がして
本気でNo1を目指しもしないで
オンリーワンもない気がするな

わがままな人が増えていく社会
それを多様性と言ってはいけない
時には国民が同じ方向を見る事も
大事だと思うんだよ

最近はミサイルが着弾しても
自分の家族が無事だったら
3割の国民が死に絶えても
もっとお金をお支払いしますから
ミサイルは撃たないでくださいと
言ってしまいそうで怖いんだ

ネットが世界を広げ
自分の意見がすぐ伝わる便利な時代に
多様性を考えるとき
同じ熱量で画一性も考えないと

多くの血が流れる気がするんだよ

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