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その連続を知ること

音楽を聴きながら書いたので
流しながらお読み頂ければ幸いです。

ボールペンで塗りをしていると
色んな情報を頭で整理していて
ふと、思ったのだけど

多様性というのは異なる相手に対して
寛容になるという意味もあるだろうけど

自分はこういう人間だと
決めつけてはいないだろうか?
それは己の多様性を狭めていることに
ならないだろうか?と

絵なんか描いたことない
だから私は文章しか書かないと

上手下手ではなくて描いてみて
面白がられたことが
きっかけになることもある

先日、インスタでジャムおじさんを
男性の性器にしてそれを公開したら

コメント欄でやり取りしていた人から
フォローを外されていた

noteでも下ネタはNGだったり
ねぇ?俺は下ネタを書いたとして
あなたにやらしい声をかけるかな?

ふざけてはいるけど
哲学ももっているし
誰かの投稿で己の主張などしないし
コメントをつけるなら
その人の記事のだいご味を損なわない
最大の配慮をしてコメントをする

散々馬鹿みたいな絵を描いて
爆笑しあっているようなコメントを
お互いに返していて

それがもし、本当に面白いのなら
その部分はとっておけばいいのに?
と思ってしまったんだよ

0か100かの線引きはあるのだろうけど
坊主憎ければ袈裟まで憎い

その逆みたいなところに
多様性があるのではないか

面白いことがないのは世の中ではなくて
自分が面白さをキャッチできない
人間になり果てているという見方

己自身の快と不快の境界線をなるべく
不明瞭にすることは結構大事のような気がした

作品1つみて
その絵がたまたまつたなかったら
面白く無いと決めつけるのではなく
なんでこの人はこんなに絵が下手なのに
出したのだろうか?と考えれば

面白さが生まれることはある

人間関係において
絶対的真理は存在していて

相手を嫌えば嫌われて
相手に好感を持てば好感を持たれる
まぁ恋愛的なものではなくて
人としてこの人が好きみたいなもの

結局フォローフォローバックも
儀礼的なものにすぎないでしょう
全てを知ってフォローするわけではなく
その過程で外しもすればブロックもする

最後まで並走出来るかもしれない人を
自ら消して疲弊する生き方って
結構疲れる気がするけどな

まぁ俺も一昔前までそういう人だったから

1つのことで笑い合えるなら
10の欠点も面白く感じれる
そんな自分を育てていこうと思う

記事など思いのまま好きに書けばいい
醜い本音を出しても嫌う事はない

俺には俺の多様性。

まぁ最近読まずに
スキだけ押しているけどね(笑)

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