運動神経と劣等感

学生時代、学校での体育がとても苦手だった。

体育指導に力を入れている保育園の頃にかけっこで毎年ビリだったので、運動が嫌いになるのは当然である。

高校も体育会系の校風だったので、あの体育大会に命をかけるような独特の雰囲気に飲まれての体育の時間は青春時代を過ごす私を苦しめた。

社会人になると体を動かす機会はなくなり、そして親になった。

子供は動くのが大好きだ。

止まる事を知らないのかと思うほどに走り続け、飛び降り、そして親にも付き合えと言う。

私は走った。

飛び降りた。

…案外出来る。

幼児が相手とはいえ、自分が想像していた無様な姿よりは断然動けている。

何故自分は出来ないと思い込んでいたのだろうか。


運動が出来る集団に囲まれていたからである。

国体に毎年出場する学生に囲まれていて認識が世間とずれていたのだ。

思い返せば唯一、県内の同級生の体力レベルを知る機会があった。

体力測定である。

結果として受けとるのは薄っぺらい紙でありながら、学校という狭い世間がすべてだった当時の私に世の中は広いことを示してくれていたではないか。

これからは親が運動音痴だからと卑屈に思うこともなく、堂々としていよう。


クラクメイトの吹奏楽部員(全国大会出場者)と同数で腹筋の県二位の記録を叩き出したことも思い出したが、30秒間必死に腹筋をする姿を思い出したくはないので、これは記憶の奥底に仕舞っておく事にした。

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