日蓮大聖人の言葉『妙一尼御前御消息』みょういちあまごぜんごしょうそく 12

法華経を信ずる人は冬のごとし、冬は必ず春となる。いまだ昔よりきかず、みず、冬の秋とかへれる事を。いまだきかず、法華経を信ずる人の凡夫となる事を。経文には、若有聞法者無一不成仏(にゃくうもんぽうしゃ むいつふじょうぶつ)ととかれて候ふ。

建治元年(1275)5月執筆
『昭和定本日蓮聖人遺文』1000‐1001頁




(訳)


法華経を信じている人は、寒い冬のようなものです。冬は必ず、花の咲き誇る春となります。昔から、聞いたことも見たこともないでしょう、冬が、秋へと逆戻りしたということを。そのようにまだ聞いたことがありません、法華経を信じる人が、成仏をしないで凡夫のままでいるということを。法華経の二番目の章「方便品」には「若し法を聞く者有れば、一(ひとり)として成仏せざるは無し」とあって、「もし、法華経を聞くことがあろう者は、一人として成仏しないわけがない」と説かれているのです。

(解説)


本書は、妙一尼という女性信者に宛てられ、身延山にいる日蓮聖人へ衣を送ったことに対する礼状です。妙一尼は、鎌倉の桟敷に居住していることから、「さじきの尼御前」や「さじき妙一尼」とも呼称されています。このお手紙では、日蓮聖人が、佐渡流罪から赦免されたことや文永11年(1274)の蒙古襲来への予言が的中したことを見ることの無かった亡き夫の不幸を嘆いています。しかし、法華経を信仰された亡き父が成仏をされたことを説き、妙一尼の悲しみを慰められているのです。日蓮聖人の暖かさを感じることができましょう。冒頭に挙げた一節は後半に示され、法華経信仰者について説かれています。法華経を信奉する者は冬のようでありながらも、冬は必ず春になるのであって、戻ることはありません。そのような自然の道理と同じく、法華経信仰者の成仏は疑い無きことを、方便品の一節を引用して指南されているのであります。

(思うところ)


正しい信仰生活を心がけているつもりでも、思うような結果が得られないことで、「自らの信仰が正しいのか?」という問いに直面し、考え悩むこともありましょう。しかし、法華経を聞き信ずる者は、必ずや成仏することが明らかであります。あらためて自己の信仰を見つめ、法華経を読み、御題目を唱える生活を実践していきましょう。

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