日蓮大聖人の言葉1『忘持経事』ぼうじきょうじ 親と子の関係性

教主釈尊の御宝前に母の骨を安置し、五体を地に投げ合掌して両眼を開き尊容を拝し、歓喜身に余り心の苦しみ忽ち息む。我が頭は父母の頭、我が足は父母の足、我が十の指は父母の十の指、我が口は父母の口なり。譬えば種子と菓子と、身と影とのごとし。    

建治二年(1276)3月執筆
 
『昭和定本日蓮聖人遺文』1151頁



(訳)

教主釈尊の御宝前に、あなた(富木常忍)のお母さまの遺骨を安置し、五体を地に投げ出してその前にひれ伏し、合掌して両眼を開き、教主釈尊の尊容を拝しましたら、宗教的な悦び(法悦)が身体にあふれ、心の苦しみもたちまちに消えました。そして、父母への感謝の思いが涌きあがりました。私の頭は父母の頭、私の足は父母の足、私の十の指は父母の十の指、私の口は父母の口と、私の肉体はすべて父母から受け継いだものです。その関係は、たとえば種子と果実、身と影とのように、離れることはありません。

(解説)

この一節は、建治2年3月、日蓮聖人が55歳のとき、身延山(山梨県)にて、信者の富木常忍に宛てた手紙です。常忍は、日蓮聖人の初期からの信者で、下総国八幡(現在の千葉県市川市中山)に住し、後に出家し「日常」と名乗ります。日蓮聖人の著作の中で最重要とされる『如来滅後五五百歳始観心本尊抄』を託されたことでも有名です。
 この年の二月下旬、常忍の母が亡くなりました。息子の常忍は、母の遺骨を首にかけ、身延山にいる日蓮聖人を訪ね、教主釈尊の御宝前に遺骨を安置して追善の供養をうけ、聖人とともに母を偲ぶ語らいがありました。このように、心ゆくまで亡母の供養の仏事を営んだのち、心おきなく常忍は身延を去ったのです。
 その後、常忍に宛てた手紙の結びには、冒頭に挙げました一節が記されています。私の頭・足・十本の指・口は、すべて父と母より受け継いだのであり、それは種子と果実、身と影の関係のように絶対に離れることがないと示されています。



(思うところ)

私たち人間には、必ず父と母がいます。縁あって結婚し、親となれども、両親の子であることに変わりはありません。いつまでもいつまでも子なのです。両親が生きているときに、話を聞く、寝食を共にする、お世話をすることは大切な親孝行でありましょう。ですが、もっとも大切な親孝行は、親が亡き後に「供養」をすることです。私の尊い身体は、有り難くも両親から与えられました。供養とは、亡き親を弔うことと同時に、自分自身が元気でいることを報告するためでもあります。
「お父さんお母さん 私は元気です 尊い身体を与えてくれてありがとう」と感謝の念を伝えずにはいられません。    

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