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隙の無さか、余白のゆとりか? ~佐藤可士和と小村雪岱を観る

アートかデザインか?  …こちら、永遠のテーマというぐらいに定義づけに諸説ございますが、個人的にはどっちだとしても好きなので、特に深く突き詰めていません。現美(東京都現代美術館)の石岡瑛子展も、単純に「おお、凄いねぇ~」と感動して見入ってしまいました。

 ということで、先日は新美(国立新美術館)の佐藤可士和展に行ってきました。緊急事態宣言下ではありますが、予約していても入場待ちの列ができるほどの大人気。特に、昨今の美術館では珍しいほどに、若手(20代と思わしき)鑑賞者が多かったのが印象的。
 で、感想ですが、今の日本で佐藤可士和のデザインを見ずして一日を終えるのは難しいということを認識しました。あの会社のロゴも、その商品のパッケージも、もうあれもこれもそうかという感じ。参りました。一言で言うなら、本当に「隙が無い」。”量産”され、拡散していくものですから、絞りに絞って、”不純物”は取り払われて鋭く尖らせている。見ていて、あっぱれというほどの爽快さです。

 同じ日に、三井記念美術館で開催中の小村雪岱(こむらせったい)展も観に行ってきました。展覧会のサブタイトルは”江戸の粋から東京モダンへ”
小村雪岱は発足間もない資生堂で商品や広告デザインなども務めたということなので、佐藤可士和につながる系譜かなぁと。
 ところが、こちらを観ての感想は真逆。「余白のゆとり」とでも言いましょうか、まさに隙だらけ。手作り感、手触り感が満載で、佐藤可士和がクールなら、こちらはウォームって感じですね。しかしどちらも、とても洗練されています。
 ちなみに小村雪岱の会場には若手の姿はなく、私と似たようなやや高めの年齢層の方が中心で、ゆとり持って鑑賞できました。酸いも甘いも、”不純”なる人生を長く生きてくると、「余白」がしっかりあるほうが落ち着いてしまいますね。

似たような「テーマ」を持って、美術展のはしご。これお薦めです♪

 

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