NOMELON NOLEMON 『ルール』

初心勿忘

NOMELON NOLEMONは、僕が敬愛するボカロP・ツミキさんとシンガーソングライター・みきまりあさんによる音楽ユニットである。
『INAZMA』という快作、そしてアルバム『POP』を引っ提げて登場したこのユニットは、着実に音楽を続けていて、この度、2ndアルバム『ルール』をリリースした。

前作『POP』は、まだ公になっている曲が少なく、ある意味では「ノーメロとは何か?」という、自己紹介的なアルバムであるようにも感じた。
ちなみに聴いた時の所感はこの記事に纏まっている。この名義での初めての記事。

2ndアルバムである今作は、ノーメロの手の内がある程度明かされており、アルバム挿入曲もいくつかMVが存在する状態でのリリースとなった。そのため、アルバム全体としてどのように組み立てていくのか、というのも見どころの一つであり、前作との違いでもある。
『POP』が、「アルバムとして成立すること」の意味を全面に押し出していた作品であっただけに、『ルール』は果たしてどのようなアルバムとなるのかという点が、自分にとっての関心事の一つであったわけだ。

結果、自分の予想を遥かに超えた感動を、『ルール』は与えてくれた。やはりというか、ノーメロのお二人にとって、アルバムは単なる作品集以上の何かであると再認識したものであった。

幸い、このアルバムは曲が多く公になっている。前回とは異なり、もう少し細かくこのアルバムを紐解いていけたら、と思う。

『ルール』

アルバム全体として

1stアルバム『POP』が、アルバムとしての構成が非常に練られた物であったのに対し、『ルール』は、アルバムが一つの「ライブ」のように機能しているように感じた。
全体を通して、ノーメロのお二人が伝えたい事がヴィヴィッドに、かつ血の通った状態で触れられるような気がして、そこにある意味での「生々しさ」を感じたという意味での「ライブ」ということもできるかもしれない。

また、前作に比べて曲が多彩で楽しい。それと同時に、さまざまな発見を得る事ができるアルバムでもあったと思う。
『POP』で受けた衝撃を、何倍にも増幅するようなアルバムであったと感じた。

ここからは、各曲について感想をつらつらと書いていこうと思う。
当然のことであるが、この文を読む前に一度、必ず「通しで」、『ルール』を聴いてみることを強く推奨する。以下の文はやや「ネタバレ」的にもなることをご容赦いただきたい。








1.ルール

「マイクチェックワンツー 聴こえるか/NMNL式ミュージックが」

うぉぉ!と思った。まさにあの曲が想起されるわけで、「そういうことをしてくれるんだ!」という新鮮な喜びと驚きがあった。

アルバム表題曲であり、『ルール』の「ルール」でありという、何ともこんがらがりそうな楽曲である。もはや楽曲というよりも「宣言」とか、より原義的な「ことば」に近い感じもする。
でも音楽ってそういうものなのかもしれない。

「あたし」と「あなた」はパラレルであるようで、決してパラレルなだけでは無い。「ルール」という、名状し難いもので繋がっている。

それを「感じる」ためのアルバムなのかもしれない。

2.SAYONARA MAYBE

そこはかとない懐かしさを感じる一曲。

サビ頭のスッキリ感が癖になる。自分はこの曲が水色に見えるのだが、これはこの色が爽やかである一方で、一抹の寂しさを感じるからだろうか。
自分があまりしないような、色の喩えを行ってしまうくらい、「感覚的な」ノスタルジーを受容できる一曲。

前曲『ルール』との繋ぎもバッチリであり、それもノスタルジーの一助となっているのだろう。つくづく心憎い演出である。

ところでみきまりあさんは「あたし」という一人称にぴったりの声をされていますよね……

3.ハイド・アンド・シーク

『フォニイ』の時からそうだったが、ツミキさんの「踊る」という感覚はなかなかに難しい。でも何故か、ふと考えるのをやめた時に、その感覚が「分かる」瞬間がくる気がする。

正直この曲については全くわからないというか、考えるのが野暮だなと思わされた。きっと自分のたどり着いていないところにその答えがある。

なんだかあの曲を思い出した。

4.ダダ

勝手にウルトラマンのそれだと思っていました。全然違っていたようです。ごめんなさい。

飄々とツインボーカルをぶち込まれるとドキッとしてしまう。これもこのアルバムが「ライブ」たる所以かも。
それにしてもツミキさんも歌がお上手いことよ……「僕らは拘束道路に」の裏声に惚れそうになった。

そしてあまりにも言葉がすらすらと頭の中に入ってくるのでびっくりする。「もう限界ギリやっちゅうねん」からのみきまりあさんパートはあまりにも後味が良すぎて何度も聴いてしまう。

最後の「ただじっと黙って居ないで爆音で鳴らせナンバー」で『INAZMA』を思い出した。きっとノーメロはそうやって音楽を届けてくれているのだなと認識する。
ポップであり、ちょっとジャズであり、でもやっぱりロックなのかも知れない。

僕は『ハイド・アンド・シーク』ー『ダダ』の繋ぎがめちゃくちゃ好きです。

5.透明水曜日

ツミキさんがこういう曲を出すのか!という素直な驚きがあった。

「鉛雲」の五音に感じるワクワク感と、ちょっと離れていくような感じはなんなのだろう。きっと先に「ノスタルジー」とかそういう言葉で表現したものなのだろうけども、この五音だけでそれを遥かに凌駕する感覚を思い起こさせてくるところに、ツミキさんの凄さを感じる。

「透明水曜日」の「透明」に、透き通った夏というイメージというより、「非常に希釈された」それを感じている。イメージを希釈して、それを「感じる」ことでこの曲を聴いている感がある。きっとこの風景は見た事があるようで見た事がないのだけれど、感じることはできる。

6.ブリーチ

一気に世界観が「濃く」なったように感じる。

これまで開けていた世界観が、あるいは外部的な世界観が「閉じた」「内在的になった」ということもできるだろうか。他者を感じるような曲であるのに、それでもこんなに内側を感じるのはなぜなのだろう。

あと「雨」の使い方がとっても好き。いい歌詞だなと思いました。

7.SUGAR

EP『感覚派』より再臨。
でもここにある事でまた感じることもあるのだ。

一気に引き戻される感覚。
この「引き戻し」によって、アルバムに起伏があって楽しい。でもテーマとしては、これまでの曲の思ったより近くを通っていて、ノーメロの音楽っていうのはそうだったな、ということを再認識できる。『INAZMA』ももう一度聴いてみたいやね。

8.二日酔ヘル

今まで経験がないことを幸運と言うべきか。

でもこんなに楽しそうならなってみたい気もする。やっぱりなりたくないけど。

9.NAZONAZO

滅茶苦茶好きです。

「謎謎」というより「謎」である。でも考えれば考えるほどぐるぐるしてしまうので、きっとこれも考えているうちは謎のままなのだろうと思う。最早問いの答えを見つけることはそこまで重要ではないのかも知れない。

ここにきてバチバチにラップを入れ込んできて、そのかっこいいことよ。これもあって言葉数はアルバム中の楽曲の中でもかなり多い方だけれど、それでいて何にも解らない。不思議なものだ。

いつかのそれみたいにきっと、ふと謎謎の答えがわかる事があるのだと思う。そしてその答えは、所謂なぞなぞがそうであるように、「なんだ、そんなものか」と思うのだろう。
それがわかるまで、生きている、ということのそれ自体がまた。

10.バッド・ラヴ

昭和を感じる。SAYONARA MAYBEにもその気を感じたが、この曲のそれは相当なものである。自分は生粋の平成生まれのはずなのだけど……

みきまりあさんの詞は、どことなくピントが合わないというか、ぼやけているというか、そういう魅力がある。今回の曲であれば、濡れたガラスのキラキラした感じが想起される。この要素も、この曲が昭和となる一つの構成員となっている。

『ブリーチ』のそれと同じように、この曲も前向きな終わり方へと向かっていく。あるいは、気持ちを詞にするという行為は自己の感情を前向きにするという行動に似ているのかも知れない。

11.RED

ここまでどちらかというと水色とか、青系の色だった物を、ここで一気に赤色に持ち込んできた。

リズム感を重視していたここまでの楽曲とは対照的に、この曲は緻密に積み上げてきた物をサビで解放する、ような感覚を与える。あと赤色の紙吹雪の中で歌ってそう。

この曲で、『POP』収録曲の『ゴーストキッス』と『syrup』を思い出した。「何処かかなしいのは思い出せないからじゃあなくて/いつからか忘れてしまっていたから」というのは僕が大好きな歌詞なのだけれども、この「かなしい」と『RED』の「かなしい」がある意味で地続きにも感じられる。

僕が認識できて居なかっただけで、きっと『POP』からノーメロは自分達のことを教えてくれて居たのかな、と思わされます。

12.moonshadow

ここでもう一度、「戻ってきた」感覚になる。音楽のそれが、という意味もあるが、自分の傍まで来てくれたような感じだろうか。

音楽というのは、ある意味で一方的なコンテンツで、確かにアーティストは「自分の音楽」をして「自分の感情」を伝えてくれる。僕らはそれを受容している。この感覚は、最初の曲である『ルール』にあるような、「あたし=アーティスト」と「あなた=聴き手」のパラレルな関係である。
でもきっと、その音楽は僕らのことを照らしてくれている。アーティストが直接的に手を差し伸べることはなくても、その音楽が光という形で僕らの背中を押してくれるものだと思う。少なくとも僕にとってはそうだ。

月の光は朧げだけど優しい。そして夜という昏い時間を照らしてくれる。

13.雨にうたえば

すごく危いことを言うけれど、この曲を聴いて、「ノーメロがノーメロであって良かったな」と思った。
僕はツミキさんの音楽をこれまで聴いてきて、その延長線上にノーメロの音楽を聴いていた。もちろん名義は変わっているから、やはりその活動としてはある程度仕切りを入れて考えるべきなのだろうけれど、どうしてもそこに地続きを感じてしまっていた。
しかし、みきまりあさんという最高の相方を迎えて、ツミキさんの音楽ではなく「ノーメロの音楽」という新たな世界観ができた。もちろん「ツミキさんっぽいな」と感じることもある。でも、ノーメロがノーメロであることで、僕はなんだか嬉しいな、と思えたのがこの曲だ。それが「NMNLの音楽」なのかも知れない。

音楽ユニットには色々な形があると思う。それこそ最近は、ネット初のさまざまなアーティストが音楽ユニットを形成していて、それぞれがそれぞれの音楽を展開している。僕もこれまで色々なユニットに触れてきた。
でも、ここまで、「音楽をもとに」、ユニットができて、「良かった・嬉しい」と感じることはなかった。
ツミキさんにはツミキさんの音楽がある。みきまりあさんにもみきまりあさんの音楽がある。でもそれらが合わさって、それぞれの思いが重なった時に、こんなに素敵な音楽ができることに、僕は敬意を表したいと思う。

「存在証明讃歌」がこのような形で昇華されることを、誰が予想したでしょうか。

おわりに

個人的な話にはなるけれども、最近「言葉で語り得ない感情」についてずっと考えていた。そんな中でこのアルバムに出会えたことはとても幸運であったなと思う。
ツミキさんが大好きなクリエイターであるということもあるのかも知れないが、このアルバムの曲は、「考える」ことを排して、「感じる」ことでその音楽を受容させてくれた。これはとても重要な経験であったように思う。

そういった意味でノーメロの音楽は「感覚派」だし、このアルバムの楽曲たちはみんな「POP」だった。そういう意味で言うと、もしかしたらずっと同じことを言ってきていたのかも知れない。

前回に比べて大層長くなってしまった。正直やや恥ずかしい文もちらほらあるが、ノーメロのお二人に対してのラブレターのようなものとしてお目溢し願いたい。

今後の益々のご活躍を楽しみにしております。

またね。


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