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やろうと思えばできる。時間をかければできる。…だけど。

リハビリの目的は、大雑把に言えば

事故や病気などで変化した、
以前とは違うからだの使い方を
学習すること。

今の自分が持っている体の機能を
できる限り使って、

失ってしまった部位や機能を補ったり
新しい動き方を身につけながら、

どういう動きを身につけていけば
これからの生活の中で
からだを動かしやすくなるか。

また、
自分でできるか
機器や道具を使ってできるか
誰かにちょっと手伝ってもらったらできるか
自分ではできないか

を見極めることである。

ハンディキャップの程度だけでは測れないこと


リハビリのために病院に来ている人は様々だ。
一見すると車椅子に乗っている方、
さらに、ご自身で操作されるのではなく
家族が後ろから車いすを押して来られているケースが
いちばん大変そうに感じる。

一方で同じ空間に、
ひとりで来られて
ひとりで全部できるのになぜ?と
思うような人もいる。

そんな人は楽でいいね、と思うかもしれない。


そんな人の中に、例えば
怪我をして親指に力が入りにくくなった人がいるとする。

親指だけでしょ?と、思うかもしれない。

家族が付き添うこともないし、
自分のことは全部自分でできるわけだし。

日常生活の中で
手の親指を使う動作がどれくらいの回数あるだろうかと
考えてみると、これが結構な割合を占めるのだ。

スマホやタブレットを支えるときも、
コーヒーを飲もうとカップの持ち手を握るときも。

着替えようとして
パンツやスカートのウエストの部分を持って
下げようとするときも。

顔を洗うときに両手で水を受けるときも、
歯磨きするときも。

カバンを持つときも、
満員電車の中で
吊り革を持ってからだを支えるときも。

これらを親指抜きでやろうとすると、
どれもなんとなく力が入りにくくて
動作が心許ないのだ。


筋力で測ると、少しの低下かもしれない。
けれど、できないわけでないけれど、
絶えずストレスを感じてしまう。

そんな小さなストレスを
1日中感じ続けるとしたら。


程度の大きい小さいは関係なく、
体の一部に少しでも違和感があって
動きにくさを感じると、
ストレスが生じるという点では
リハビリを受けている人の
共通項なのだ。

「できないこと」にどれだけ寄り添えるか。


人にはそれぞれ得意不得意があったり、
どうしても苦手だったり、
好きになれないものがある。

側から見たら「そんなの簡単じゃーん」と
思うようなことかもしれないけど、
その人にとっては
わざわざ苦手だと言うくらい、
苦痛だったりする。

例えば私は、ランチや飲み会の予約が
苦手だ。
店を選ぶのも気が遠くなるような作業だし、
店に電話を入れて予約をするのは、
もっと気が重い。

お店選びが好きな人からしたら
「何言ってんだ」と思うかもしれないが、
できないことや苦手なことは、
どんなに簡単そうに見えても
その人にとってはハードルが高すぎて
つらいこと。

「何でできないの?」なんて無邪気に言わないで、
その人の「できない」にただ寄り添いたいなあ、と思うのだ。



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