キョウノミチ

年齢と共に変化していく体を「朝から動ける体」にするために|医療従事者として働く中での気…

キョウノミチ

年齢と共に変化していく体を「朝から動ける体」にするために|医療従事者として働く中での気づき|度重なる引越も、見知らぬ土地での孤独な日々も、育児介護に追われ社会から取り残されたと焦っていた感情も。無駄なことなんてひとつもなかった|ひとりっ子がひとりっ子を育てている。珈琲と苺が好き。

最近の記事

そのだるさ、日々のちょっとだけのがんばり過ぎが積もり積もったものかもしれない。

ついでだから、これもやってしまおう。 どうせ1人分も2人分も一緒だから、私やるよ。 …と、ついつい手を出してしまうけど、 本当に、今やらないといけないことだろうか。 頼まれてもいないのに、いつのまにか 自分の役割にしていないだろうか。 ***** 昨夜の残り物のおかずや 子供の食べ残しで済ませている食事。 誘われたお茶やランチで 延々と続くおしゃべり。 おいしいものを食べてはいるけれど、 本当に食べたかったもの

    • 病院は、時間の概念がない世界だった。

      某月某日、診察の日。 病院に到着したら、まずは入口の受付から。 予約時間は決まっているけれど、まず時間通りに診察は始まらない。それなら、せめて予約時間までに来て、早く受付を済ませたい。受付順なら、少しでも早く自分の順番になってほしいと思いつつ。 診察券を機械に通す。今日の自分の番号が決まる。 それを持って自分の診療科まで行き、そこの受付で予約票を見せる。 まずは第一段階クリア。 空いている席に座り、自分の番号が呼ばれるまで待つ。 待つ。待つ。待つ。 ひたすら待つ

      • 患者さんのことは、診断名と症状から思い出す。

        先日、花見に誘われた。声をかけてくださったのは、かつてリハビリを担当した方のご家族だった。患者さんはご主人で、毎日奥さまが一緒に訓練室に来られていたのが印象に残っている。 既婚者男性が患者さんの場合、結構な割合でパートナーが毎日訓練室にご一緒される。そういえば父が入院したときも、毎日母が病院に通い、リハビリに付き合っていた。お父さん、ひとりになるのが嫌なんだって。本当はクタクタで、家でゆっくり休みたいんだけど、毎日夕方まで帰れないと母がよく愚痴っていた。 そんな事情で、担

        • 「たまたま」良かっただけ。

          卒業式の日、 制服の後ろ姿を見ながら考えたこと。 息子のクラスはまとまりが良いとか、 仲が良いとか言われていたそうだ。 学級だよりにも そんなことがちょくちょく書かれていた。 この まとまっているとか、仲が良いとか クラスの雰囲気って どうやってできあがるんだろう。 生徒ひとりひとりがお互いを認め合って、 皆でいる場を大切にし合っているのは 前提なのだが、 結局は「たまたま」の積み重ねの結果かもしれないと思った。 学年が同じという共通項だけで、 40人近くの人間が

        そのだるさ、日々のちょっとだけのがんばり過ぎが積もり積もったものかもしれない。

          「疲れた、しんどい」と言っていいのは、どこから?

          最近、からだが重い。 なかなか疲れがとれない。 朝、ベッドの中から出られない。 そんなとき、 「今日は体調が悪いので。」 と伝えて、 仕事量をセーブしたり 夕飯の支度を家族に頼んだりいいのは、 どこからか。 答え。 自分が休みたいときと思ったとき。 ご飯作らなきゃ、 洗濯しなきゃと気持ちは走るけれど からだのモチベーションが 上がってこないときや、 今日の予定を確認しながら 頭を仕事モードに切り替えても からだがぼーっとしたまま乗ってこないとき。 からだが同じ方

          「疲れた、しんどい」と言っていいのは、どこから?

          ようやく気がついた。たくさんの人に見守られていたこと。

          まだ新米だった私は 覚えたての知識と 数少ない経験から得た信念とを 使えるようになって ちょっと得意に感じながら ありったけの言葉を尽くして 患者さんに 無我夢中で 自分のできる精一杯を提供した 熱量は高いけれど 少し押しつけがましい そんなアドバイスを 自分の両親よりも 歳上だった患者さんは はいはいと そのまま従ってくださった 自分の祖父母くらいの歳か もっと歳上の患者さんは いつもニコニコと 優しく聞いてくださった 今の私が その光景を見たら 危なっかしさ

          ようやく気がついた。たくさんの人に見守られていたこと。

          初めて人を頼ることを覚えたとき、新しい世界が見えた。

          いつのまにか、高い所にあるものは 中学生の息子に取ってもらうようになった。 夕方、私が爆睡している間に、 黙ってさっさと用意して習い事に行くようになった。 夜、私が先に寝ると、電源と戸締りを確かめてから寝るようになった。 ああ、任せられるっていいな。 息子が生まれたときは、夫は出張で週の半分は家を空けていた。遠方だったため、夫と私のどちらの実家にも盆正月しか帰れなかった。 初めてのことばかりで慣れないこと、わからないことだらけだけど、自分でその場で判断しなければなら

          初めて人を頼ることを覚えたとき、新しい世界が見えた。

          やろうと思えばできる。時間をかければできる。…だけど。

          リハビリの目的は、大雑把に言えば 事故や病気などで変化した、 以前とは違うからだの使い方を 学習すること。 今の自分が持っている体の機能を できる限り使って、 失ってしまった部位や機能を補ったり 新しい動き方を身につけながら、 どういう動きを身につけていけば これからの生活の中で からだを動かしやすくなるか。 また、 自分でできるか 機器や道具を使ってできるか 誰かにちょっと手伝ってもらったらできるか 自分ではできないか を見極めることである。 ハンディキャップ

          やろうと思えばできる。時間をかければできる。…だけど。

          いま、この時期に会えてよかった。〜20年ぶりに会った友人に抱いていた思い〜

          学生時代の友人と、20年ぶりにランチの約束をした。 友人とは、浪人中に予備校で出会った。 一緒に昼ご飯を食べたり、図書館で勉強したり、中庭のベンチで午後の紅茶を飲みながら息抜きのおしゃべりをした。 その後彼女は薬剤師になり、私は理学療法士になった。 結婚した時期もほぼ同じ、同い年の彼と結婚したのも同じだった。 そんな彼女から、妊娠したと連絡があったのが、結婚して1か月ほど経った頃。 ただでさえ慣れない生活なのに、体調が変化して思うように動けず、ダンナさんが仕事であま

          いま、この時期に会えてよかった。〜20年ぶりに会った友人に抱いていた思い〜

          無駄なことなんて、ひとつもなかった。

          結婚が区切りとなる 結婚を機に新幹線で3時間の距離のところに住むことになり、病院を退職した。まだ夜遅くまで職場に残ることが当たり前だった頃。帰宅が22時、23時になることがざらで、心身共にすり減っていた。このときは退職のためのいい口実ができたくらいに思っていた。 平日の昼間に外を歩くと、風を感じるだけで季節がわかる。道の傍に咲いている花の色の鮮やかさに驚く。 のどかな日常が最初は楽しかったが、夫の仕事の都合で転勤になる度にだんだん不安に変わっていった。 なかなか機会が

          無駄なことなんて、ひとつもなかった。

          「整体に行ったけど、やっぱり良くならなかった」とならないために気をつけたいこと。

          今回は、以前に書いた内容の続きです。 「やっぱり良くならなかった」のは、施術者の技術の問題じゃないか、と思われるかもしれない。もちろん、それが理由のケースもある。 しかし、今回感じているのは、そこじゃない。 技術的な問題で、はっきり言うと「施術内容の不正確さ・習熟度の低さのために、これでは何回通っても良くならないであろう」ことを患者さんに行っているのは論外であるし、施術者個人の課題でしかない。 「やっぱり良くならなかった」と言う理由が、 「痛くないのがいいのに、痛いじ

          「整体に行ったけど、やっぱり良くならなかった」とならないために気をつけたいこと。

          近くて遠いふるさと、奈良。

          出身地を聞かれると迷う理由。出身地は?と聞かれると、いつも困る。 相手にとっては、天気の話程度の軽い内容だと思う。でも、即答できない。 なぜなら、出身地と言われて一般的に指す、 ①生まれた場所 ②幼少時に住んでいた場所 ③長く住んだ場所 すべてが違うからだ。 生まれた場所は、出産時に入院していた病院で、当時の自宅から電車で30分ほどかかる距離の、隣県である。 このときだけお世話になった場所で、その後ほとんど行ったことがない。 幼少時に住んだ場所は、生まれてから6歳

          近くて遠いふるさと、奈良。

          苦手なもの。○○ちゃんママという呼び名。ジャンクなものを食べたときの「たまにはこういうのもいいわね」という台詞。ガラガラに空いている店で、すぐ隣のテーブルに座る人。喜怒哀楽のうちの喜と楽だけが溢れている、華々しい投稿。

          苦手なもの。○○ちゃんママという呼び名。ジャンクなものを食べたときの「たまにはこういうのもいいわね」という台詞。ガラガラに空いている店で、すぐ隣のテーブルに座る人。喜怒哀楽のうちの喜と楽だけが溢れている、華々しい投稿。

          「整体に行ったけど、やっぱり良くならなかった」はなぜ起こるのか。

          「腰が痛くて整体に行ったけど、やっぱり良くならなかった。」 と書かれたブログを見かけた。腰が痛くてやむを得ず、近所にある整体に行ったが、脊椎の矯正を繰り返しただけで痛みは変わらなかった、という内容だった。 「やっぱり」と形容されているところから、 「そもそも良くならない」という前提を持って来院している様子が伺える。 この「やっぱり」に引っかかったのは、こういったことを言われるのは今回だけでないからだ。 「整体に行っても、何回も通わされるだけで良くならないよね」 「ど

          「整体に行ったけど、やっぱり良くならなかった」はなぜ起こるのか。

          大きくなったと感じたとき。手首足首がくびれてきたとき。オレと言うようになったとき。参観日に教室で知らん顔されたとき。スポーツメーカーの服ばかり着るようになったとき。夫の服と見分けがつかなくなったとき。息子の目線が私の頭の上を越えたとき。満面の笑みを親に見せなくなったとき。

          大きくなったと感じたとき。手首足首がくびれてきたとき。オレと言うようになったとき。参観日に教室で知らん顔されたとき。スポーツメーカーの服ばかり着るようになったとき。夫の服と見分けがつかなくなったとき。息子の目線が私の頭の上を越えたとき。満面の笑みを親に見せなくなったとき。

          あのとき、時間が解決することを知っていたら。

          仕事場は、住宅地の中にある。 出勤してまず窓を開け、掃除機をかける。 そのあとお客さまの施術の支度を済ませ、 ひと息ついたときに聞こえてくるのは、 少し離れたところを走っている自動車の音、 自動販売機で誰かがジュースを買う ガタン、という音、 通りすがりのお母さんたちの話し声。 それらがなければ部屋の中の しーん、という音が聴こえる。 平日の午前中から昼過ぎにかけて、 ゆっくりと時間が流れている。 そんなとき、この感覚、初めてじゃない。 と思い出すことがある。 引

          あのとき、時間が解決することを知っていたら。