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【書評#13】育休取らなければ分からないこと/小山田浩子『穴』(34冊目)

働きたくないわけでもないが、別段働こうとはしない主人公の女性。いわゆる専業主婦と呼ばれる女性たちが社会と断絶されて、世間という狭い世界で生きる閉塞感を、重苦しく、しかし自然豊かに美しく描く。

作中に出てくる穴という存在、獣という存在、義兄という存在。本当にあるか、いるかは分からない。しかし主人公の女性は、"穴"にはまって抜け出し、今まで見えなかったものに気づける視点を持つようになる。当たり前の世界から逃れようとする。そして、社会からも遠ざけられ、世間にも知られない存在を五感の全てを使って感じてゆく。そして、最後には世間だけでなく、社会とつながることを渇望して一歩を踏み出すのだった。

「男が育休なんて」

私も昨年、育休を一ヶ月という短い期間であるが取得した。管理職から「男が育休なんて取って何するんだ」と真顔で言われても頭を下げて、我を通した。育「休」とは名ばかりで、生後二ヶ月の娘は床に置いたら泣くという時分で、24時間30日全く休みなしであったように思い出される。そのときの私(たち)と言えば、朝から晩、晩から朝まで育児と、生命維持に必要な食と睡眠と、それに必要な家事を繰り返しているのみの、風が吹けば飛んでいってしまうような存在であった。

仕事場から連絡は一切入ってこない。私がこの小さなアパートの一室で繰り返す営みを、誰も知らない。みんなに忘れられてゆく。そういった焦燥感があった。しかし私は期限付き。だから何とか心を保てたのだと思う。これを数年、数十年、死ぬまで続けることは、どれほどの苦しみであろうか。もちろん"子ども"という存在によって自らの存在を規定されて安心できるという保険付きであったことを考慮したとしても、とうてい私にはできないと確信する。

誰からも知られない存在

私たちはあの穴のように、獣のように、義兄のように、そして主人公の女性のように。そこに確かにあるのに、いるのに、毎日誰かに見られているのに、誰からも知られない存在に、いつかなるとしたら。

少なくとも私は今度生まれてくるかもしれない子どものために、また育休を取るつもりである。また私も誰からも知られない存在になる。しかしこの本を読んでまず頭に浮かんだのは、これからまた私より長く育休を取るであろう妻、そしてもうすぐ仕事を辞めるであろう還暦の母親、最後に偏屈な祖父と山奥に二人きりで暮らす祖母の顔ーーそしていま、私の腕に抱かれている一歳の娘のこと。身近にいる"女性" たちの顔が脳裏をかすめる。

私たちはいつまで、社会と切り離された生き方を、その"女性像"を求めて、女性たちに強いれば気がすむのだろうか。

そして結局男も女もみんな、老いて死ぬ直前にはあの義祖父のように、結局は"誰にも知られない存在"になってしまうのが今の世の中だ。それで果たして良いのだろうか。

はやくみんな"穴"に落ちてしまえばいい。そして、一刻もはやく当たり前の世界から、抜け出さなければならない。

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