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・今日の周辺 2022年11月もおわりの気になり

(うだうだ、ぶつぶつ、言ってみる たっぷり)

○ 今日の周辺
11月も下旬になるのに室内で手足計4ヶ所も刺してくるのは日中天井にいるあの蚊。夜中、ベッドの横の明かりを消した頃合いで降りてくる、私とのそういうすれ違い生活のルーティンが成立している。
ともあれ、よく眠れるようになってきた。
9月の頭に『cocoon』を見てから5時にハッて感じで目が覚めて、勝手に結構シビアな考え事が始まる、もうちょい寝たいんだけどみたいな、癖が毎晩続いていたけれど一時解消した。
10月終わりから11月頭は結構重ため、重ためとかじゃない、最重量級のことが、自分の日記に書くのでは耐えられなくなって、誰かに伝えるための言葉にしたので結構疲れた。重い荷物はいっとき下ろすことすら面倒で、もういっそこのまま持ったまま帰ろう、とか、半端に休むとかえって疲れるから、とか、何かと言い訳というか、いろいろ含めて抱えがちだけれど、下ろしてみるのも練習だなあと思えた。

あれこれ言葉にするのも楽しい、
日記を書きはじめたのは、人前に表れない言葉、どのくらい自分のこと、自分が感じたこと、思ったこと、考えたことは言葉になるのか、ということに向き合う時間だったけれど、そのことは一旦行くとこまで行って、今度は自分の周囲を渡っていくことを考えるとき。

この間、友人に撮ってもらったポートレート、
人生にピンが立ったような感じだった、ああ自分はこんな風に振る舞いたいんだ、こうありたい、が友人の目に発見されたことで発見する契機になった。

○ この間の祝日
誰でもなんでもできちゃうように思われる今に、その人にしかできないこと、考えられないことを手の中に突き詰めていくことに圧倒された
すごかった。これは大変なことだった。
自分だけでは知れないことが、知れないの領域に山ほどあるということが押し寄せて、未知か不可知か、それらが終わることなくずらーっと並んでいた。
どこでもない場所の図書館?
はこういう感じかも、こういう感じだったらいいなって思った
そうそう、こういう感じ、面白い〜楽しい〜って、
1つ1つの扉を開けて入っていくまでに時間はかかるのだけれど、
それは、それぞれが正直に自分の言語で話をしていることの証拠だった
そのすぐ側に垣間見える生活と、それに、印刷方法や紙、製本へのこだわりや開発と普及、細くでも伝えていこうとするということを当然にできるということが、まだ私にはやろうとも、できないことだと思った 本を作るなら、せっかく作るなら、ということなのだと思う
取り上げられていることは普遍的な尺度で測ることはできない、だけれどとびきり面白い、知らないことやわからないことが人の心を掴みにくるって、
何にも寄らずにその説得力が、言う、示すことが、自立していられることの格好良さがあった
この方向に頑張ってもいいのだ、走ってみないとわからないことがこの先にあって、見てくれる人、光を当ててくれる人がいるのだ、と思えた
それは勝手に始まることでは勿論なくて人と人との繋がりがあってのことなのだけれど、そういう喜びがぽつぽつ存在しているのだと知れて嬉しかった

その前には、
川内倫子さんの個展『M/E 球体の上 無限の連なり』オペラシティアートギャラリー
入り口の文章、マクロとミクロ、何もかもが同時並行的に進行し不可逆であること
対象の導きを身体に行き渡らせて、呼応することに身体と動力を操られる/動かすことの清々しさ
写真集『うたたね』、覚醒と仮死の間をあちこち歩き回る感覚が自分にもあるなあと思う

中山英之さんが空間にいると思うと嬉しかった、会場構成が素晴らしく好きだった
中山さんの手が遊んでいる感じが見えたような気がした。

その後は、その後に川内倫子さんを連れて行かないように、ここに置いていくために椿屋珈琲店でラム酒入りのココアを飲んで、じっくり1時間を過ごした。

なんだか朝からぼんやりして、週の真ん中の祝日はどういう気持ちでいたらいいのかわからなくなって、
今日出かけても仕方ないんじゃないか……という落ち込みを励ます意味でとりあえずと爪を塗ってみる。

展示室に入る前、オペラシティの中の丸亀製麺でかけうどんに温泉たまごを乗せてもらった優しいのを、川内倫子さんのインタビューを聞きながら窓際の席で食べた。外の冬の雨の冷たい感じも相まってすっとした気分でお腹を満たした。

自分の言葉に蓋をしている数日から、
周囲に意識を向けると本当にだんだんと自分の中から言葉が湧いてくる、
まだぱらぱらした生活の中でもやっぱり、些細と思われることに耳を澄まして日記をつける、言葉を紡いでまとめる、何かまだないもののことを考えてみる
それに、人に話を聞くと尚更、
自分では転ばなかった方へ自分が転がる、それが快い

今日、意図や意思が隅々まで行き渡っていることは大きな抱擁であると感じられた
うだうだ、伝わらなさ、理解できなさとされなさ、気づかなさと気づかれなさ、見落とし見落とされ、憶えていられなさ、これらの中に、私が主体性を持つだけのことなのだと思えた。


○ 気になり
Netflix『ウヨンウ弁護士は天才肌』面白そう、けどNetflix何回加入して脱会するんだ……
自閉スペクトラム症を抱えながら働く主人公
これで韓国ドラマを初めて見るけど、1話70分で全15話って結構すごいボリュームね、
最近、東田直樹『自閉症の僕が飛び跳ねる理由』を読んだところ。自閉症と自閉スペクトラム症は同じではないし、程度もそれぞれ異なるのだろうけれど。
この本は、パソコン及び文字盤でのコミュニケーション手段を習得した重度の自閉症である東田直樹さんが、自閉症と自身のことについてQ&Aの形式で記述し伝えようとする本。
「テレビのコマーシャルを好きなのですか?」という問いに対して、
「どうしてみなさんはコマーシャルに興味がないのですか?
 あんなに何度も繰り返し見せられると、まるで友達が遊びにきてくれたような感覚になりませんか?」
という返答、なんか少し分かる気がして、笑った。

それと、最近読んだのは、
松尾芭蕉『おくのほそ道』
 旅に出る前から最高だった「草の戸も住み替わる代ぞ雛の家」この一句に濃縮されている時間と芭蕉の人となり
 (しかし蕪村の「奥の細道図巻」に照らすと本当にいいね)
大横山飴『再会する時間』(『USOうそ VOL.4』に掲載)
 リフレインする/させる経験を目の当たりにしてハッとする感じ、知っているような気がした


一昨日は最寄りの本屋で(最寄りの本屋はすごくいい選書してる、書店員さんとお客さんのあらゆるコミュニケーションの賜物)伊藤亜紗さんの新刊『体はゆく』を買った!
帯文「「できなかったことができる」って何だろう?日々、未知へとジャンプする“体の冒険”がここに」だってさ〜
装画・イラストは西村ツチカさん、なんつーこった。はよ読みたい。

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2つ目の短歌連作完成間近、50首。
1つ目の方は9月に完成していて、多分年始ちょい過ぎ頃に見てもらえそう。
3つ目ももう始まってる、
本当は短歌を公開するのに立ち上げた筆名だから、日記ばかりでなく歌も……。

不安は対象との距離によって生じる
ケーキを作る前にバターとか卵とか常温に戻していく時間があるように、何かに取り掛かるときにはそういう時間がすごく大切

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