『興行とパトロン』と渋沢栄一

 だらだら、この話というか、テーマを書こうとして、書き直しては放置して、過ごしてきた。
 どんな文章を書いても、完璧はないので、この辺で書いておこう。

 現在放映中の大河ドラマ『青天を衝け』の主人公・渋沢栄一は、現時点では、まだ幕末の動乱を生きているようだが、そのうち、明治の財界人として頭角を現す。その前には。のタイミング。。で、まだ、だらだらしている。ま、遠い人だし。
 ……いや、実は遠くない。自分が生きてきた人生で関わっているもの、に関わっている。彼がいなければ自分の人生は違う方向だったのか、さあ。

ビジネス街の不思議な空間で出会った

 さておき、東京都内に渋沢栄一の銅像はいくつかあるらしいが、数年前のある日、そんな気もなく突然出会ったのが、千代田区大手町の常盤橋公園。単に大手町から日本銀行、日本橋三越のある方に歩いていて、あれ、こんなところに銅像が。誰の? 渋沢栄一さんでした。びっくり。ここが橋の上ではないのか、ここは公園か? みたいな、ビジネス街なのになぜか突然ふっと人気がなくなる静かな不思議な空間に、立っておられます。

 でも、最近行ってないから、大河の今は結構な観光スポットかもしれない。

そういや、渋沢栄一はパトロンだった

 さて、本題。別に渋沢栄一のことを書こうとしたのではなく、演劇関係の本を読んでていて、結構興味深い内容だった中に、渋沢栄一が出てきて、おおお出てきた、でも、そう言えば、演劇とか芸能とか、こういう経済人や経済あってのものだな。と改めて認識したという話。
 演劇(解説)本は演劇のなんなるか、演劇史、みたいなものが多いような気がするが(いや、そんなに読んでいないが)、ちょっと視点が違って面白かった。 

 神山彰編『興行とパトロン』(森話社、2018)である。
 「近代日本演劇の記憶と文化」シリーズの7。神山先生監修で、いろんな人が書き分けているようだ。 

 そもそも、深く考えず、某図書館の演劇本コーナーで「興行」「パトロン」という言葉にひかれて手に取り、何度か借りながら繰り返し読んでいるのだが(お値段も一冊4600円+税とそれなり)、期せずして「渋沢栄一」が登場。
 そういや、そうだな、そりゃそうだ。明治の財界の大物なのだもの、エンタメとか近代演劇とかのパトロンだわ、そりゃ。愛人もたくさんいて、朴念仁ではなかったようだし。

ひゅるひゅる登場、ゆえの存在感

 ただ、その登場の仕方。目次にもある各章のタイトルに「渋沢栄一」の名があるわけでなく、ひゅるるると、「鉄道と保険」という章の中の小見出し「帝国劇場と山陽鉄道」の冒頭に、「帝国劇場は渋沢栄一が名目上トップに立ち……」と入り込んでくる。しかし、主役ではない。演劇人ではないから。後何回この本に出たか出てないかも覚えていないが、そうか、演劇、芸能には必ず経済がついていると、ひゅるひゅる感じた。

 阪急の小林一三、東急の五島慶太は、芸能と経済(まちづくりも)で直結し、文化に力を入れ、それによって自らの利益をも上げていった財界人というイメージが前からあるが、渋沢栄一はあまりにたくさんの重要なことをしていたので、帝国劇場の発起人など、そのひとつに過ぎないレベルで(言い方悪くて申し訳ない)、失念というとあれですが。的な。
 あまりにたくさんのことをしたので、「○○をした人」のイメージがつかないのかな。。

「純粋な演劇」というものは存在しない。

 は、さておき、思ったのは、
 「純粋な演劇」というものは存在しない。
 
ということだ。当たり前のことだが、自分でそう思った。
 純粋って何だと言われると何だが、例えば今、テニスの大坂なおみ選手が記者会見を拒否しているがその是非はどうあれ、「選手はプレーさえしていればいい」ではさすがにないだろう、的な。競技以外のもろもろを含めて、「客に見せるプロ」と思う。

 なので、演劇も太い筋のパトロンから何から、いてこそ、の存在。

 そもそも、この神山彰さんの「近代日本演劇の記憶と文化」シリーズ自体が、「新劇の父・小山内薫」への批評的な感じがある気がする。小山内薫本人というより、新劇中心に演劇を考えることへの批判というか。
 人間は自分の生きてる前後を含めて100~100数十年くらいしか想像できる感覚に入らないっぽいし(何かに書いてあったか、誰かが言ってたが忘れた)らしい((ひい)祖父母まで、(ひい)孫まで、とか)。
 そして、今の日本の演劇界を見ると、伝統芸能の歌舞伎や能は別枠として、どうしても「新劇」「アングラ(アンチ新劇)」「反アングラ」「それ以降」みたいなものの見方になりがち、みたいな。
 いや、事務所の力の方が圧倒的に強いわけだが。
 いや、テレビの勢いが落ちてくる中で、もっと勢力図は変わるか。。

 ああ、やはり、だらだらだ。
 要するに、きれいごとではない、ということかな。自分の勉強不足。
 『興行とパトロン』から、引用の引用で、お茶を濁しておく。

 p106
 抱月や松竹を非難した小山内(薫)も晩年にはようやく、こう語るに至る。
 —私はもう演劇を単なる芸術だとは思ふことが出来ない。私は演劇を芸術的娯楽機関の一つだと思ってゐる。私は昔、娯楽といふ文字を嫌つた。しかし、今はそれを嫌はない、文化機関としての演劇は大衆を対象とする、大衆は娯楽なしに演劇を見ようとはしない(=城戸四郎編・脇屋光伸著『大谷光次楼演劇六十年』講談社、1951から)

 あ、娯楽、ですな。

 

 

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