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隣人 

我が家が越して来たのは、畑中の造成地であった。
一面の畑地に、1メートル程のコンクリートの壁を打ち、土盛をして嵩上げをし二十五棟の家が建った。我が家は、その造成地の北の端にあり、北と東には農地が広がっていて、時折、畑に人が歩いているのを見かけることがあった。
皺の多いその顔は、七十を二つ三つ越えた年齢と見えたが、陽に焼けた面差しには、まだまだ精彩があった。
私は、畑の人に出会うと軽く頭を下げた。
「朝から精がでますね。」声をかけることもあったが、ある時、畑の人が1メートル下の畑から言うのである。
「この壁は、大雨が降ったら倒れるね」

窓のすぐ向こうに畑が広がっているのは、なかなかいいものであった。
畑から伸びて来たゴーヤの蔓が、我が家の山茶花の生垣に絡みついたり、日曜日の朝寛いでいると、突然、耕運機のエンジン音がケタタマしく鳴り響いてビックリさせられることもあったが、窓の外に幾重にも緑の畝が連なる眺めは、心安らぐものであった。
桜の咲く頃、冬枯れの畑に緑が芽生える。トマトや胡瓜の双葉から蔓が萌だし、日毎に支柱を這い上る。トマトの葉が繁茂して、最初の実を結ぶ頃、田圃に水が張られ、遠く連なる早苗が、風が吹き渡るたび波打って、光の波紋を広げていく。
丹精された田や畑が、美しいものであることに気づいたのは、この造成地に越して来てからである。

始めこそ嫌味を言われ、良い印象とは言えなかったが、話しているうちに畑の人は、その武骨な顔に似ず気さくな人であることが、分かってきた。
姓を田中といい、街中にある自宅の所在も、言われてみれば知っていた。
冬の畑では、田中さんの姿を見ることは稀であったが、夏場になると日が上れば、畑の何処かに、田中さんはいた。
その朝は、我が家の庭のすぐ横の胡瓜の支柱の前に、ガッシリした長身が背を丸め屈んでいた。
「いつも、早いですね」
声をかけると振り返り、
「胡瓜が、水欲しがってるからね」
よく通る太い声がかえってきて
「何か入れ物、持ってきて」
言われてバケツを持って来ると、太くて曲がった胡瓜をバケツいっぱい入れてくれた。
規格外ではあったが、もぎたての胡瓜には新鮮な好意に溢れていた。

住宅街に続く農地は、ここ数年、作付けをしないものが増えてきた。
雑草が伸び放題の荒れた畑は、見るも無惨で、農家の嘆きが聞こえてきそうだが、気がつくと造成され、驚く間も無く区画整備が始まって家が建ち並ぶ。
田中さんの畑の北の放棄地には、一昨年の春、同じ造りの二階屋が五軒並んで建ち、この冬、南側の荒地にブルドーザーが入り、宅地造成が始まって、遂に残るのは、田中さんとこの畑だけという形になっていた。

日曜日の朝、春めいた明るい日差しが溢れる畑に、田中さんの姿があった。
何の作付けもない冬の畑は、いつもひっそりとしている。田中さんを見るのは、久しぶりであった。前回、田中さんを見たのは、何時だったろう。
「田中さん、久しぶりですねー」
呼びかけようとして、私は、声を呑んでしまった。
田中さんは、綺麗に整地された隣の土地の縁に立ち、何かをジッと見ていた。

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