晴れたり曇ったり

スーパーの駐車場の脇に、小さな田圃がある。覗いてみると、澱んだ水の底に、オタマジャクシ…

晴れたり曇ったり

スーパーの駐車場の脇に、小さな田圃がある。覗いてみると、澱んだ水の底に、オタマジャクシがいた。時にジッとして、時に忙しく尻尾を振り、苗の根方をすり抜ける。それを、心弾ませ見つめる私がいた。 こんな気持ちになるのは、五十年ぶりだろうか。

最近の記事

心浮き立つ季節

今日、七輿山古墳に登った。 全山、桜が満開であった。桜に包まれ頂きまで登り、関東平野の西端を一望し、天空に近づいたかのような浮き立つ思いで下山した。 桜の華やぎの余韻が、今も続く。 花盛りこんなとこにも石仏が 石仏の踊りだしそな花盛り

    • 医術にはぐれて

      その日、歯科医の態度が違っていた。 診療が、手荒だった。メスのような先の尖った器具で、歯や歯茎を手荒に突いていく。 大口を開けた無防備な態勢で、仰向けになっているのが怖かった。 歯茎がだんだん後退していくのが気がかりで、そのことを尋ねた。 「歯周病ですかね」 歯科医の表情は、マスクに隠れて見えなかったが、「歯を強く磨き過ぎるのよ」その返答は、投げやりのようだった。 この医院には、勤め先に近いこともあって、勤め始めてすぐの頃から虫歯の治療に通っていた。 その後、歯の具合はどう

      • 大きな自動車

        中村さんが山口へ帰り、しばらく空き家になっていた家に、ある家族が越してきた。 その家の駐車場に、黒塗りの高級外車が停まっていた。車は、堂々とした存在感を辺りに放っていたが、中流のサラリーマン家庭が殆んどのこの街では、ちょっと場違いな収まりの悪さがあった。 どんな人が越してきたのだろう、住民は、その家の前を通るたび、外車を見た。 ある日、その家の前を通ると、高級外車の横に男が立っていた。 強面の、がっしりした体格で、車のオーナーにはとても見えなかったが、車の直ぐ横に立ってるの

        • 隣人 

          我が家が越して来たのは、畑中の造成地であった。 一面の畑地に、1メートル程のコンクリートの壁を打ち、土盛をして嵩上げをし二十五棟の家が建った。我が家は、その造成地の北の端にあり、北と東には農地が広がっていて、時折、畑に人が歩いているのを見かけることがあった。 皺の多いその顔は、七十を二つ三つ越えた年齢と見えたが、陽に焼けた面差しには、まだまだ精彩があった。 私は、畑の人に出会うと軽く頭を下げた。 「朝から精がでますね。」声をかけることもあったが、ある時、畑の人が1メートル下の

          山鳩とスズメの大群

          一昨年の秋、山鳩の鳴き声に誘われるようにして餌付けを始めた。餌付けを始めて直ぐ、スズメの多いことに気がついた。朝、外を見ると山鳩の姿はなくて、電線にはスズメばかりが並んでいた。 スズメが多いなとは思ったが、私は、いつものように、裏庭に回り餌台に鳩用の穀類を撒いておいた。 しばらくして、裏庭に行ってみると、餌台の上は見るも無惨に食い荒らされ、辺り一面にトウモロコシばかりが散乱していた。どうやら、スズメが食い荒らしたようであった。         当の山鳩はというと、暫くしてから

          山鳩とスズメの大群

          大いちょう その2

          我が家は、曽祖父の代から瓦造りを生業としてきた家だが、庭に銀杏の大木があった。 柿や杏や楓に混じって、応接間の出窓の直ぐ前に、銀杏が、ズンと聳え立っていた。 銀杏は、冬が近づくと黄に染まり、日差しの中で 鮮やかに輝き、まもなく落葉した。その葉の量は桁外れで、庭一面を黄に染め、隣近所の庭にも、道路にも、裏に広がる畑にも、黄色い枯葉を散り敷いた。 銀杏の葉が、すべて散り尽くしたある晩、父は近所の家に招かれた。 近所付き合いなど億劫がる父が、出かけていくのを、意外の思いで見送ったが

          大いちょう その2

          大いちょう

          我が家の庭には、大銀杏があった。 曾祖父が植えたという銀杏は、大きく成長し家の屋根の遥か上にまでそそり立っていた。 銀杏は大きくても、日頃は目に馴染んだ景色の中にいたが、十一月の下旬ともなると目の覚めるような黄に染まり、光の中では浮き立つように輝いた。 ほどなく銀杏は、葉を散らす。 黄葉は庭一面を覆いつくし、塀沿いに吹き溜まりをつくり、隣家の庭にも飛散した。 「こんな街中に、銀杏なんか植えるもんじゃないよ」 隣近所では、銀杏の評判は甚だ芳しくなかったが、父の工場がいけなくなる

          戦い済んで

          片側二車線の国道を、車の流れに乗って走っていた。車間距離は、少々長めであった。 不意に、横合いから、車の頭が、私の車の前に現れた。 アブナイ、私が咄嗟にブレーキを踏むと、車はスッと私の車の前に割り込んだ。 怒りがこみ上げた。 抜き返してやろうと機会を窺いながら、割り込んだ車の後に続いた。アクセルを踏みたかったが、市街地へ向かう私は、次の交差点を右折した。怒りは、いっこうに収まらなかった、 己の小ささを嗤えるのは、いつも車を降りたあとである。

          心付け

          昼過ぎの床屋さんは、すいていた。 隣の席の人が、整髪を終え立ち上がった。 髪の白い初老の方だった。カウンターで会計をすますと、紙袋を女性理容師に手渡し、しばらく話し込んでいた。話の様子だと、袋の中身はお煎餅のようだった。 マスクをした女性理容師が、喜ぶような笑い声が聞こえた。 二人のやりとりを鏡の中に見ていた私は、小学生の頃を思い出していた。 私が通っていた街角の床屋さんは、理髪が終えると、キャンディを数粒、手のひらに載せてくれた。高校生になると、整髪が終わりサッパリしたとこ

          魚の相貌

          妻のお供でスーパーへ行った。 鮮魚売場の前まで来たとき、足が止まった。 切身になって食品になりはてた魚の先に、銀色に輝く魚が全身をさらして寝そべっている。 銀色の顔面に真ん丸な黒目の秋刀魚、鰯、鯖、鯵、流線形の体には、まだ力が漲っていた。 魚の顔をじっと見ていると、三陸沖の太平洋が見えてきた。

          午前五時の挨拶

          十年以上前のことになるが、仕事の関係で、早朝の四時に家を出ていたことがある。 工場には五時に入らなくてはならない。通勤に少なくとも一時間かかるから、起床は午前三時であった。 始めの数日、妻もいっしょに起き出して、朝食を用意してくれた。 テーブルに牛乳とバナナ一本とビスケット数枚が並べられていた。私は眠気の覚めぬまま、バナナを牛乳で胃の腑へ流し込んだ。三日目には、「起きて直ぐ家を出るから、寝てていいよ」と妻に告げた。 感謝の思いに至ることができたのは、ついこの頃のことである。

          山鳩のうた

          去年の冬から、山鳩の餌付けをしている。 急に冷え込んだ十二月の半ばの朝、何処かで山鳩が鳴いていた。デデッポーポーという鳴き声に誘われるように窓の外を見回したが、その姿は見えなかった。 それからしばらくして、私は、山鳩の餌付けを始めた。 朝、裏庭のすみに並べた五枚のブロックの上に撒き餌をして、傍らに水をいっぱいにはった水盤を置いておいた。 山鳩は、すぐ姿を現した。 庭先に、黒目勝ちの細面の、褐色の縞柄の丸い体が歩いていた。そのすぐ後から、一回り小振りな山鳩がついていき、二羽揃っ

          つばめを見る

          私は、つばめを見たことがなかった。 仕事一辺倒の生活で、空を見上げるほどの気持ちのゆとりもなかったのか、単なる無関心であったのか、つばめを見たという記憶がない。 そんな私の家の玄関に、数年前の春、つばめが巣を作った。 つばめの巣作りを興味深く眺め、その世話らしきことをしているうち、不思議なことに、私は、街でつばめが飛ぶのを見るようになった。 つばめは、いつも滑るように、颯爽と飛んでいた。 つばめの巣は、意外なことに人の暮らしのすぐそばにあった。 我が家と同じように家の玄関や軒

          屋上のながめ

          大学に入学して最初に親しくなったのが、鈴木くんであった。 教室で見かける顔のまだ区別のつかぬ頃、鈴木くんの方から声をかけてきた。何を話したのか、全く記憶がないのだけれど、鈴木くんの一言で、直ぐに親しみを覚えた。 柔和な顔付きも、育ちの良さそうなおっとりした茨城弁も取っ付き易く、誰とでも分け隔てなく話すであろう軽さが心地よかった。 鈴木くんは授業が終わると、よく友達を訪ねた。一緒にいることの多かった私は、流れとしてついて行くことになるのだが、学生の住まいとなれば、大概、民家の

          ツバメの巣立ち

          四月の中旬、玄関ポーチに、ツバメが巣を作った。 はじめのうちこそ、ツバメの巣作りや子育てを面白がって眺めていたが、子が成長するにつれ、少々汚ない話で恐縮だが、その糞の多いことに困惑した。床に敷いた段ボールの上に、たちまち糞が積もり散り、段ボールを日に二度、三度と交換しなくてはならなくなった。その上、糞は段ボールの外にも、回りの壁にも飛散して、掃除するのが日課になった。 生き物の世話することの大変さを、今更ながら思い知らされた。 それでも、子ツバメたちは、みるみる成長して、天井

          犬の故郷

          バロンが我が家にやって来たのは、十三年前である。 灰白色のこわい毛並みのシベリアンハスキーで、義弟が飼っていたのだが、肝臓を患って入院し、世話をするご主人がいなくなってしまった。雪がたくさん降った早朝、犬を心配した妻が義弟の家に行き、犬小屋の奥でうずくまっていたバロンを連れてきた。 当時、バロンはまだ三歳であったが、歳に似合わぬ風格があった。我が家にやって来た日こそ、ソファーのすみにかしこまっていたが、一緒に暮らすようになると、ドッシリした風格が目についた。何があろうと、誰が