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ふとしたきっかけで踊り子に…県外出身の私たちが心奪われるまで

昨年夏、四国の夏の風物詩に2人の若手記者が参加しました。阿波おどりに挑戦したのは徳島支局の伊藤美優いとう・みゆう記者、よさこい祭りは高知支局の船田千紗ふなだ・ちさ記者です。不慣れな踊りに四苦八苦しつつも満喫し、昨年秋に公開した記事に思いをつづりました。今回は2人から、そもそも踊ることになったきっかけや振り返りが寄せられましたのでご紹介します。


■「にわか連」に心奪われ

はじめまして。「踊る阿呆」の伊藤美優いとう・みゆうです。昨年4月から共同通信社徳島支局で記者をしています。皆には「デイジー」と呼ばれますが、なぜかは分かりません。

私が初めて阿波おどりを見たのは、昨年の春でした。入社式で初任地が徳島と伝えられ「阿波おどりと渦潮…?ワカメ?」くらいの知識しか持ち合わせていなかった私は、ひとまず引っ越してから1週間後にあった「春の阿波おどり」というイベントに行ってみました。

「わ~これが阿波おどりか~楽しいな~♪ヤットサー♪」
「チャンカチャンカチャンカチャンカ…」というぞめき(お囃子)の音が忘れられず、なによりも観客が踊り手と一緒に踊れるタイミングで勇気が出ず、輪に加われなかったのが心残りでした。

住宅下見の時「徳島阿波おどり空港」で撮った一枚。徳島どころか四国初上陸でした


それから3か月半ほどが過ぎ、お盆がやって来て、今度は取材をする側に。最終日、先輩と一緒に担当したのは、一般の観客らが即席で作る「にわか連」。事前の申し込みなどなく誰でも参加できる連です。

ここで私は(本格的に)心を奪われてしまったのかもしれません。

初日と2日目はプライベートで見ていましたが、最終日は素人ながら全然違う熱気を感じました。何のしがらみもなくひたすら踊りに熱狂する人々。演舞場だけでなく、町全体が踊りの会場になるあの感覚…。

私もうきうきしてきてしまって「何てすてきな町なんだ!文化なんだ!」と感動しました。踊りのかけ声にもあるように「こりゃ~踊らなきゃ損するわ」

取材を終える頃には「阿波おどり始めようかな…」と先輩に相談していました。かつては徳島支局の新人が阿波おどりを踊ったルポ記事を書いていた頃もあったとアドバイスされ「踊ってみた記事を書いてみよう」と決めました。

期間中の街は踊る阿呆、見る阿呆でごった返します

続いては高知支局の船田記者です。学生時代は防災の研究で高知を訪れていましたが、よさこい祭りに触れたのは初めてだそうです。

■偶然の出会いで…

はじめまして。船田千紗ふなだ・ちさです。昨年4月に入社した新米記者で、5月から第1希望の高知に赴任しました。普段は警察などを担当しています。

高知県民としての初めての夏、「よさこい祭り」に先輩を差し置いて踊り子として参加しました。阿波おどりに負けじと、その魅力をお伝えしたいと思います。

学生時代、研究で何度も高知に訪れて愛着を持っていた私は、自ら志願し高知に来ました。ただし研究で訪れていたのは、最西端の街と空港のみ。希望が通ったのは良いものの、高知のことは大して知りませんでした。

よさこいも鳴子の配色を思い浮かべられる程度。赴任後数週間が経ち、よさこいがなにやら大きな存在であることを感じながらも、慣れない仕事によさこいのことを考える余裕はありませんでした。

配属から1カ月が経ち、少しずつ支局内でもよさこいの話題があがり始めました。阿波おどりと同様、毎年取材に繰り出すためです。昨年は新型コロナウイルス禍が明け、4年ぶりの通常開催。加えて70回目の節目でもありました。今年は特別に特集記事も配信しました。


私は偶然の出会いがきっかけで、祭りに参加することになりました。

仕事終わりに立ち寄った居酒屋でのこと。たまたま隣の席に座っていたご夫婦と会話が弾み、高知県民になりたてほやほやの私は、高知の美味しい物やおすすめスポットなどを教えてもらっていました。熱く魅力を語る夫婦。

「よさこいチームをやっていてね」とスマホを取り出し、写真を見せてくださいました。そこに写る踊り子はご年配の方から幼稚園生まで、皆まぶしい笑顔。私はチームの名前を必死に覚え、取材のチャンスだと胸の高鳴りを感じながら帰宅しました。

自分でも「私、持ってるな」と思ってしまうほどの巡り合わせです。

翌日、意気揚々と支局長に報告すると「踊ってみたら」と予想外の反応。支局では毎年祭りを取材して記事を書くことになっています。正直、先輩方を差し置いて(取材をお願いして)出場するのは気が引ける思いでした。

自分が踊るか、取材をするのか。

悩みながら、頭によぎったのは学生時代に出会った人たちの顔でした。

地域と祭りの関係性を研究していた先輩祭りを通して世代を超える人のつながりを熱く語っていた様子は、郷土愛と未来への期待にあふれていた。

お世話になったバスケットボールチームのチアリーダーのお姉さん。踊りの迫力と笑顔は当時の原動力で、何度も背中を押された。

踊ったら高知での生活が何か変わるかもしれない。この先のきっかけになることを少しばかり期待して踊ることを決めました。

高知の日差しのもと、列をなして踊る達成感は部活動や運動会を思い出す熱さでした


■一歩ずつ「本当の高知県民」へ

船田記者は、祭り終了後の街があっという間に日常の風景に戻ったことに触れながらこう振り返りました。

よさこい祭りの4日間は、町中がよさこい一色になります。海外からも踊り子や観客が集い、電車の時刻表もよさこい仕様に変わるのです。ところが祭りが終わると、翌日にはあっという間に普段の景色に戻っていました。

スタンバイ中に見た景色。地方車からは歌い手が掛け声をかけてくれ、みんなで気合いを入れる思い出深い景色です。


日常に戻った会場跡地を眺めながら、ベテランの方々が「来年も一緒に踊ろうね。私たちもよさこいで毎年会ってるの」と話してくださったことを思い返します。職種も休日の過ごし方も違う人々が、初夏になると集い共に汗を流す。すてきな文化だなと思いました。

人で埋め尽くされていた商店街は、よさこいの面影を少しばかり残し、翌日いつも通りに戻っていました


参加するまでは「はじめまして」ばかりの毎日でしたが、最近は踊りに参加した皆との偶然の再会が増えました。ある取材の帰り際、歩いていると「おーい」と声がしました。振り返ると、呼んでいたのは同じチームで一緒に踊った小学生男の子だったのです。取材をしている姿もきっちり見られていました。

こうした繋がりも、全力で踊って汗を流したからこそだと思います。一緒に踊ったみなさんと街中で会うたびに「本当の高知県民」に一歩ずつ近づけていっているような気がして、嬉しく思っています。

■是非みなさんも「踊る阿呆に」

伊藤記者からはこんなお誘いがありました。

「本当にとんでもない踊りだ」という事は改めてお伝えしたいです。

10カ月練習したところで人並みにも踊れるようにはなりませんでした。先輩方の踊りを見ては自分とかけ離れていて、肩を落としていました。上達せず、振りは覚えられず、仕事で練習に行けないことも多々あり…。しんどいなあきついなあと思うこともありましたが、迎えた本番はなんとも言い表せない高揚感で、ますます虜になりました。

県外から飛び込んで来た、阿波おどりの「あ」の字も知らない人間を「踊る阿呆」にしてくださった連の皆様には感謝してもしきれません。

23年4月春の阿波おどりでデビュー。まさか初めて見た舞台で、1年後自分が踊っているなんて想像もしていませんでした

ところで阿波おどりの数日前、高知ではよさこいが盛り上がっていましたね。実は高知のよさこいは徳島でも中継されるんですよ! 高知支局の船田記者もよさこいに出てルポを書くと聞いており、「これは負けられないぞ」と勝手に闘争心を燃やしていました。

来年は阿波おどりの前によさこいを見に行ってみたいです。阿波おどりも見に来てください!

こんなすてきな文化が何にも邪魔されず「阿呆」のためだけにいつまでも続いていってほしいものです。阿波おどりは夏だけでなく年中本場徳島で見ることができますよ。

皆さんも是非「阿呆」になってみてはいかがですか~^^

伊藤美優(いとう・みゆう)=1998年長野県生まれ、2022年入社。「海があって雪が降らない西日本」への配属を希望し徳島支局に赴任。警察や裁判を担当している。

船田千紗(ふなだ・ちさ)=1998年生まれ、2023年に入社し高知支局に配属。警察や裁判、スポーツを担当。休みの日に土鍋でご飯を炊いてます。

よさこい祭りについて、一から知りたい方向けには、高知支局の鈴田卓記者がnoteを書いています。

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