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「思ってたんと違う」が世界を変える

知り合いが運営するイベントに参加した。ここ最近で一番の、感情が動いた経験になった。

初めは軽い気持ちだった。どんなイベントかもよく見ずに、興味だけで参加のボタンを押していた。イベント内容は、ろう者とともに音楽を議論する、というものだった。

会場へ向かうと、案内役の人が立っていたので、どっちに行けばいいですか、と声をかけた。すると案内役の人は、手で方向を指すだけで何も言わなかった。ここで自分はこのイベントのコンセプトを察した。

「きっと声を出さずに話をするんだろう」

まだ、自分にはできる、みたいな謎の自信があったし軽い気持ちだった。

会場につくと、グループが分けられていた。自分のグループにはほかに3人が座っていた。自分が一番最後だった。



イベントが始まると、登壇者が手話で説明を始めた。手話だけだと分からなかったが、スライドがあったのでやることは分かった。まず、自己紹介をするみたいだ。項目は、名前、出身地、好きなもの。

ここで、参加するまで持っていた今までの軽い気持ちは打ち砕かれることになる。


突然、グループの3人が手話で会話を始めた。ものすごいスピードでまったく言葉を発することなく自分の紹介を終えていく。手話サークルに入っているからなのだろうか、みんなコミュニケーションをとってお互いを理解していく中自分だけが理解できなくて焦る。そもそもこの中の誰かがろう者なのだろうか。

自分の番が回ってくる。手話はできないし、どうしたらいいものだろうかと悩んだ。出身地は富士山のマークを手で表して伝わったが、好きなものはどう伝えたらいいか分からず一番わかりやすいラーメンをすする素振りを見せたら、伝わった。自分なりのジェスチャーが伝わったのはうれしかったが、ラーメンは一番好きな食べ物ではない。



次は、「ろう者の音楽の授業について」というテーマで話し合うこととなった。10分間の話し合いを2回やるそうだ。

1回目の話しあいになると、グループの3人が活発に手話で話し出した。ホワイトボードなどを使い、意見をまとめていく。

さっきと同様、話が分かるわけもなく、ホワイトボードに書かれた日本語だけが頼りで何とかついていった。

教室は全くの無音だが、コミュニケーションがどんどん活発になり、手話もどんどん早くなる。理解するのに精いっぱいだった。少し怖かった。

結局自分の意見を言うことができずに10分が過ぎた。話というより、そのっ人が何を離そうとしているかを理解するだけで頭が精一杯だった。口や手のジェスチャーを必死に見ても全然わからなかった。目で見て会話をつくるので首を必死に動かした。理解できない。でも他の3人は共通言語としてわかっていた。このとき気づいたのは、3人はろう者であって自分だけが手話の分からない健常者であった。とても苦しい気持ちになった。

2回目の話し合いとなった。今回は前回の反省を生かそうとして、自分から筆談で質問してみようと思っていた。

そうしたら、同じワーグルの人から、アプリケーションを紹介され、筆談もしてくれた。アプリケーションは、声で発したことを文章に起こしてくれるもので、自分が話したことが伝えられるようになった。

3人が筆談を用いてくれる頻度も増え、アプリもあり、話し合いの情報量は落ちたが、自分が話し合いについていけるようになった。

聞きたいことが聞けたし、有意義な話し合いだと思った。10分はあっという間に終わった。



最後に、このイベントの意図が明かされることになる。


なんと、主役は自分であった。3人のろう者はもともと運営側で、1人の健常者である自分だけがコントロールされていた。

この2回の話し合いの、1回目はろう者が健常者に配慮することなく進み、マイノリティとマジョリティ(健常者)の立場が逆転した状態を演出していた。2回目はお互いに手を取り合い、全員が分かるやり方を演出したのだ。自分一人のためのグループだったのかと、衝撃を受けた。

そして、お互いに思っていることを共有する時間になった。この時間が大きな原体験となった。

ろう者の方から、1回目の話し合いは(自分を置いてけぼりにして)心苦しかったと伝えられた時には、いろいろな気持ちが高まって泣いてしまった。

まず、悔しさがあった。3人はコミュニケーションがとれていているのに、自分だけが思いを伝えることができないと感じる疎外感。意見を言うどころか、手話も分からないから伝える手段すらわからず、また、理解することもできない状況は、きっとアフリカのジャングルの部族に放り込まれた気分だろうなと思った。言葉が通じないのは本当に怖いことだと思った。言語が通じなくても理解する気持ちがあれば生きていける!なんてのは幻想だった、それくらい言葉とは安心を構成するものだと知った。それができない悔しさがこみあげてきた。

一番大きかった気持ちは、勝手にも同情のような悲しい気持であった。マイノリティとマジョリティが逆転した世界で分かったのは、ろう者の方が普段からこんなやる瀬ない気持ちに立っているかもしれない事、そしてそれを今まで意識できなかった自分がいることに申し訳ない気持ちと悲しみの気持ちが止まらなかった、だから涙が止まらなかったんだと思う。

自分は人生で一度もろう者と関わったことがなかった。それだけに、ろう者の方が、言葉が通じなくてこんな思いをしているのかと想像したら、つらくて仕方なかった。価値観を変えるほどの衝撃だった。マイノリティを意識しようと思っても、自分が経験したり、身近にそういう人がいないと本当の配慮ってのはできないのかもなとも思った。

そして以外にも、嫉妬の気持ちもあった。自分は学生団体に所属して、学生にリーダシップを届けるイベント運営などをしてきたが、ここまで人の感情を動かすイベントが作れるだろうかと思うと、このイベントを賞賛せざるを得なかった。人の心を動かすのは簡単なことではない。自分はそれをやられた身として、純粋に嫉妬した。きっと、参加者に負の感情を与えることに対していろいろな議論がされてきたと思う。でもそういうリスクテイクをしたことで最高のイベントに仕上がっていた。こういうイベントが増えれば社会も変わるかもなとも思った。

終わった後も、一緒に参加した2人の友人にはそんな素振りは見せられなかったが、今にも崩れ落ちそうな気持だった。そのくらい衝撃的な原体験をした。



運営者が言っていたメッセージとして、マジョリティが、マジョリティのスタンダードをマイノリティに押し付けて、平等を実現しようとするのは違うということだ。本当にそう思う、自分もどうやったらろう者が音楽を楽しめるだろうかと考えていたが、そもそもマイノリティは自分だったのだ。音楽を楽しむことが正しいと思っていたし、どうにかして楽しんでほしいと思っていた。でもろう者にとってそれは必要のないことかもしれなかった。どういう話し合いができたらよかったんだろう。

同時に感じたのは、対話の大切さだ。話さないと分からないことがたくさんあった。1回目の話し合いで、ついていけないとき、自分から意思表示ができなかった。言わないと分からないのに、どうして話せなかったんだろう。マイノリティは少数派だからマイノリティであって、多数派が話を聞こうとする傾聴の姿勢がないと、考えていることは分からない。だから、無視するのではなく丁寧に会話すること。言語が違っても、あきらめずにお互いが理解できる方法を探ること。そうでしか、マイノリティとマジョリティの境界をなくすことはできないと思った。


このイベントはいい意味で「思ってたんと違」った。最初の軽い気持ちだった自分は殴りたいほど失礼だが、それも含めてイベントで参加者に起こしたインパクトが最大化した。その結果、原体験になったとか言う参加者がうまれ、今後もろう者を意識したり問題意識を共有できる人材になった。「思ってたんと違う」っていうある種のサプライズは、価値提供においてとても大切な考え方だと思う。イベント運営しなくても、友達の誕生日や何気ない日常会話でも使えると思う。

いい意味で、予想を裏切っていこう。


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