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他人の心を動かす大変さ(体験談)

ここ数年の話だけどプラスにしかならなかったら自分の教訓を記録としてメモっておこうかなと思います。

何でも「楽しそう」って思った事は何でもやってみたいと思う性格だしそこに対して損得感情で動く事はあまりない。

今回メモしておきたいなと思ったのは「他人の心を動かす大変さ」

あくまで僕個人の体験談なので一般論的に考えてはダメなやつです。

よく、何でも好きな事はやってみるべきっていうけどそれ自体は本当にその通りだなって思ってます。
ただそれは僕個人がただ突っ走る場合に限るなって。
そこに対して他人を巻き込んでやってみようってなった時に、その巻き込む人の「時間」と「エネルギー」をしっかり考えなきゃいけないなと。

今まで考えてこなかった訳は無いのですが、より考えるキッカケを有難い事に沢山得られる経験を沢山してこれています。

「考えてるよそんくらい」っていう「考える」ことの精度やレベルを少しずつですが上げていってる感覚です。

経験値が沢山なのは本当に有難いし自信が付いていく事は素晴らしいんだけど、それがいつか自分でも気付かない内に自信が「驕り」に変わっていってしまう時が凄く怖いです。
自分でも気付かない内にってのが怖いポイント。

周りに言ってくれる人っているのかな。
言われてないって事はちゃんと出来てるって事なのかな。
もはや見限られて言われてないだけなのかな。

とか勘繰ったらキリが無いので結局のところ自身で気付くしかなくて、その為には日頃「謙虚」である必要があるなと思うんです。

僕は理屈っぽいし割と論理的に話す事が苦手では無いので、人を説得するとか話し方の部分に関しては少しばかり自信を持っていたのだと自己分析しています。

が、自分の理論や理屈を熱意を持ってしても説得出来ない事って沢山あって(当たり前)、それを体感して次にどう活かして改善していこうかな、っていう考えに至れるかそうで無いかが今後の自身の人格を分ける大きな分岐点だと思っています。

簡単な言葉で言うと、「人のせいにする」のか「自分のせいにする」かです。

理屈上絶対に自分は悪くない、あの人に聞いてもこの人に聞いても自分は悪くないって言ってたからやっぱり自分は悪くなかった、っていう感覚はこれからは変えていきたいなって思っていて。あくまで僕はです。

っていうのも1人1人が大切にしている、或いは重要だと考えるポイントって言葉通り本当に1人1人違うと感じるからです。
そこに常識だ宗教だ文化の違いとか色んな沢山の要素が入ってくると益々多様だし、むしろそれが人間だなって思うし、そういった人達と生きていくのが社会で生きるって事だし世界なんだなって。

話が広がり過ぎちゃったけど。

自分が重要だと思ってる事を相手が同じように重要だと思ってるかどうかはまた別で、「きっとそうなんだろう」っていう感覚は危ないし、「大抵の人はこうだから」っていう自分が培ってきた経験値は常に疑っていいなって。

自分の自信を無くしていこう、自分なんかダメだ、、っていうネガティブキャンペーンをしたいんじゃなくて、自分の中の「当たり前」を疑ってあげるキッカケに必要なのが力が「謙虚さ」なのかなと自分は感じました。

人の事を自分の経験値と物差しであーだこーだ言った時に、あれっ自分偉そうな事言ってるけどこれで説得出来ないとか共感を得られない場合ってなんなんだろ?

相手に問題があるのか?馬鹿なのか?いやいや、そもそも自分が頭が良い前提で上から話をしちゃってる気がするけど自分の語彙力に問題が?プレゼンテーション能力が低い?そもそも話の内容に問題があるのか?

など物事がうまくいかない原因を他人では無く自分の方に向けてみる。
人のせいにしない。

考え過ぎかもしれないし全てに当てはまる事だとも思ってないし、常にこんな事を考えながら人と話してる訳じゃないけど自分は過去の自分を振り返ってみてこんな体験をしてこう分析してみましたよって話です。

ここまで読んで頂き有り難うございました。

ふーんって思ってもらえたら嬉しいです🥸

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