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【四十五歳中央アジア紀行1日目】飛んでソウル

0日目の旅行記はこちら

 十一月二九日。
 小学校へ登校していく息子たちとランニングに出掛けた妻を見送り、「BS世界のトップニュース」と新聞を読みながら昨日のあまりの餃子とご飯、味噌汁を食べ、洗濯機を回す。トルコ軍がシリアのクルド人勢力に対して本格攻撃を始めたというニュースに辟易とし、「羽鳥慎一モーニングショー」にチャンネルを変え、皿を洗い、掃除機をかけ始める。
 掃除機の轟音の向こうに、武田修宏が森保監督を励ます会を主催したことを披露していた。全ての支払いはカズ、三浦カズ。主催者なのにと、武田は出演者から弄られていた。ただ、私は武田をカズ、ラモスに匹敵する偉大なスターだと確信している。浦和レッドダイヤモンズ対ヴェルディ川崎。我ら浦和レッズサポーターは歌う。
「♪薄汚れた緑のでくの坊、ヨミウーリーのタケダー、今はもう使えない、ヨミウーリのターケーダー」
 古時計の替え歌で武田を罵倒した。武田は全く動じることなく、薄ら笑いを浮かべて、Jリーグのお荷物たる我が浦和レッズゴールにゴールを叩き込んだ。その精神力たるや。我々はもっとヨミウリの武田を評価した方がいい。
 そういうことを思いながら、掃除機の途中で洗濯が終わり、家族全員の洗濯物を風呂場に干し、数日間放置していた洗って干したままのワイシャツをアイロンにかけ、再び家中を掃除機をかける。途中気になる埃は雑巾で払う。掃除機が終わると、クイックルワイパーで家中の床を拭く。
 在宅勤務なら朝会に参加しなければいけない時間をとうに過ぎ、トイレも徹底的に掃除する。ドメストの液体が跳ねて、黒いズボンをまた一枚、まだ模様にピンク色へと脱色させた。
 帰ってきた妻が言う。
「プリンタの調子を見てくれだって、じいじが。」
 勝手口を出て、5メートル先の隣の義実家へ行く。
 早々に年賀状印刷を始め出した義父が、ハガキのセッティング方法について思案していた。
 私の強い推薦で昨年買い替えたブラザーのプリンタのハガキのセッティング方法が、あまりにも以前使っていたキヤノン製のものと違うらしく、慣れないのだ。ハガキ印刷は一年に一回。混迷する義父のおかげで、私は一ヶ月後に来たる年賀状印刷の際に迷わずに済む。
 無事にセッテイングが完了し、何枚か正常に印刷されたことを確認し、立ち上がると義母が話しかけてきた。
「ウズベキスタンにして正解よ。トルコ危ないわよ。」
 義母もトルコのニュースを見たのだ。
 そうだ、ウズベキスタンにして正解だ。

 十一時半。早々に腹が減ったので、プールへトレーニングに出掛けた妻が用意した蕎麦を茹でる。具はないかと冷蔵庫を漁ると餅があったので力側にせんとする。餅を電子レンジにかける。かけ汁にするための湯をケトルで沸かそうとした瞬間、ブレーカーが落ちた。
 Wi-Fiルーターの復旧に時間がかかり出発時間までに間に合わない事態と、スプラトゥーン3だの、マイクラだのとNintendo Switchに熱中する息子たちの批判は、バスティーユ監獄を襲撃する怒れるパリ市民のようになる。
 幸い、数分で復旧した。
 まだ荷物のパッキングは終わってないが、電子デバイスを充電しておきたいし、人畜無害の善良外国人をアピールするために剃っておきたい無精髭は出発直前に入る予定のお風呂で剃る予定である。髭剃りもパッキングしたいので、出発一時間前がパッキング終了の目安だ。
 アメリカドル500ドルを用意していたが、日本円は千円札が十枚ほど。ウズベキスタンは物価の安い国なので十分に足りると思うが、日本円が千円札しかないのはいささか心許ない。自転車で銀行のATMへ行き、一万円札一枚を引き出す。
 時間が余ったので、韓国入国に必要な健康チェックアプリQcodeの登録や、デルタ航空のマイルで交換した大韓航空のオンラインチェックインをしてから、0日目の旅行記の仕上げをする。今日仕上げて投稿しなければ、炭水さんに宣言した「リアルタイム旅行記」の実現が出発前に破綻してしまう。
 プールで鍛え上げた妻は家に帰ってくるや、十三時半に長男の授業参観と懇談会のために小学校へ出掛けた。いつ昼ご飯を食べのだろうか。プロテインバーでも齧ったのだろうか。自室に引きこもって旅行記を書く。
 一時間後に長男が帰ってきた。本来なら六時間授業だが、懇談会のあるため今日は五時間授業なのだ。
「どんな気持ちだ!ウキウキだろう!」
 帰ってくるなり、長男は私を攻撃する。
 ピンポンが鳴る。次男は六時間授業であり、妻は鍵を持っている。
 長男の同級生だった。
「あのー、うちのお母さんが学校に行って、お父さんも仕事でいないけど、鍵がかかっているんです。」
「ええ!そうなんだ、それならばうちに上がってよ。」
 歓待して、茶菓子を出す。
 長男はゲームが出来ることにウキウキする。長男の友達が来るのに、私が素っ裸となって風呂に入るわけにはいかなくなった。ヒゲと洗顔だけして、家用の汚くみすぼらしい服から、旅行用の汚くみすぼらしい服へと着替える。髭剃りの水分をよく落とし、充電が満タンとなったことを確認した電子デバイスのケーブル類をパッキングする。韓国入国用の健康チェックサイトQcodeの登録をする。大韓航空のオンラインチェックインをする。

 次男が帰ってきて、妻も帰ってきた。
 妻が言う。
「余っているドルの小銭を持って行けだって。じいじが。」
 ウズベキスタンで両替するために一番便利なのはドル紙幣である。
 一人でホイホイもらいに行くのも気が引けるので、妻の先導でついていき、義実家へ行く。
 義父が妻に言う。
「そこの引き出しを開けて、それ全部持って行っていいよ。」
「これ?」
 妻から何枚ものドル紙幣が手渡された。
 一ドル紙幣が十数枚、五ドルや十ドル、二十ドル紙幣が数枚あり、百ドル紙幣も混じっていた。小銭ではない。
「全部持って行っていいよ。」
 父からも餞別として数万円をもらっていた。
 落涙しそうになる。
 心遣いだけありがたく受け取る。どんなにかっこいいことか。
 「いえいえ、いただけません。」
 そう言いつつ、一度握ったドル紙幣を手放すことはなかった。

 そうこうしているうちに時間がなくなってきたものの、パッキングも済んで、スーツケースに鍵をかけて、玄関に持っていき、引き起こそうとした。スーツケースの底部のチャックの糸がほつれていることを発見し、指を突っ込むと穴が空いていた。
 さすがだ。五年前にヨドバシカメラ最安値数千円で購入しただけある。
 この穴を放置したままでいいだろうか。
 海外の空港職員が乱暴に我がスーツケースを放り投げた瞬間、中身の荷物が飛び出す絵が容易に想像できる。
 リビングの収納に駆けていき、妻の中学時代に使っていた裁縫道具を取る。明らかに貧弱な糸しかないが、気休めにはなるだろう。狭い玄関にて、己が小学生の家庭科の授業の記憶を頼りに、針に糸を通さんとするが、慌てていると糸は通らない。イライラする。
 ようやく糸は通せたものの、今度はスーツケースのチェック部の生地が硬い。イライラする。
 いつの間にか、親指が血まみれになる。その姿を家に帰る息子の友達に見られる。
 二十分ほど格闘すると、もう出発の時間になってしまった。裁縫はそれはもう大雑把である。家庭科の教師ならば怒り心頭に発する出来である。パッキングの最終確認をすることもできず、玄関で大声を出す。
「では、行くので!」
 リビングから家族三人が出てきた。
「なんかうまいもんを買ってこいよ!」
 長男と次男がが要求する。
「ウズベキスタンに口の合うものあるかな。」
 妻が言う。
「余計なお土産はいらないから。本当に気をつけて。普段からぼーっとしているんだから。特にパスポートとお金とスマホとiPad。スマホとかiPadを無くしたら、今後ないものと思え。」
 私はポジティブ考える。
どこに出しても恥ずかしい自分勝手の夫であっても、無事に帰ってこいという愛情表現なのだと。

 昼過ぎから雨がぱらついていたが、この時間はタイミングよく降っていなかった。
 駅まで徒歩十五分、早歩き。アスファルトを走らす振動でスーツケースが崩壊しないか心配となる。

 浦和駅。
 東京嫌いとして、旅行の出発地を大雑把に東京とすると非常に癪に障る。
 というわけで、ますは浦和から具体的な地名を挙げた出発とし、一つ目の旅の目的地たる羽田空港を目指す。

 乗ったのは、16時40分発の上野東京ラインの平塚行きである。日本にいるうちにスマホの充電を減らしたくないので、日の沈んだ車窓に流れ行く陽の沈んだたわいも無い川口の住宅地を眺めると、同僚で産休・育休中の西国分寺さんからFacebookのメッセンジャーが入った。旅行記0日目の投稿を読んだ感想と、無事に赤ちゃんが生まれたという報告であった。
 西国分寺さんのメッセージは長文であり、私の返信も長文であり、短時間で何文字のやり取りをしたか数えたくなるうちに、新橋で山手線に乗り換え、浜松町から東京モノレールに乗る。品川まで行ったほうが乗り換えが一回で済むが、前世から羽田空港へ行くときは東京モノレールに乗らなければならない主義からである。なお、横浜、横須賀へ行くときは京急線の快特に乗らなければいけない主義だ。

 羽田空港には思ったよりかは人がいた。
 コロナ禍での国際空港の様子は知らないが、隣のチェックインカウンターのアメリカン航空は大行列ができていたが、大韓航空のカウンターには行列はなく、さらにオンラインチェックイン済みだったため、手荷物だけを預ける。スーツケースがベルトコンベアで運ばれていく。
 おぉ、スーツケースよ、無事な身体を韓国で見せておくれ。チェックが崩壊しないことを切に祈る。

 機内食は出るが、足りるわけがない。最後にこれぞ日本の味を食べておきたくなった。

 吉野家で牛丼大盛り+お新香+味噌汁である。
 胃を吉野家で膨らませた身体で出国する。
 人はそれなりにいるのに、店のほとんどが閉まっている。
 免税店に用はないが、当初日本の最後の味として念頭に置いていた制限エリア内のフードコートにある六厘舎は早々に十七時にクローズしていた。

 数少なくオープンしているお好み焼き屋は大行列。出国前に吉野家に寄った我が洞察力に感服するものの、搭乗前に楽しみたかったビールが見当たらない。唯一ビールが飲めそうな同じフードコートにあるバーもまた大行列。

 売店でビールか氷結でも売ってないかと探すが、売店も空いていない。
 ようやく辿り着いた搭乗ゲート付近にあったドラッグストアがオープンしていた。
 アルコールはなかった。ガッカリした。
 コカ・コーラに手を伸ばすもぬるい。ガッカリした。
 自動販売機を探すが、コカ・コーラの自動販売機が見つからなかった。
 諦めてドラッグストアに戻って、かぼすジュースを手に取ると、メンズ洗顔料が目に入る。顔を撫でる。中年男らしく脂が分泌されていた。
 色気付いていた時代、こういうメンズ洗顔料をよく使っていたが、何の意味があったのだろう。
 だが、一度気づいた脂は除去せねば気が済まず、購入した。決して清潔な肌を手に入れて、ウズベキスタン女性にモテようという魂胆ではない。そうならないことは色気付いていた時代に実証済みである。

 十九時過ぎに搭乗開始。
 KE2104便ソウル金浦空港行きである。
 エコノミーの最後部の右側窓際に座る。前方はそれなりに混んでいるが、後方は空いていた。隣には誰もいない。

 大韓航空のCAが韓国語で話しかける。私がわからない素振りをしても韓国語で続ける。どうやら韓国の入国に必要な書類を配っているみたいだった。受け取る。
 飛行機に乗ることは好きだが、いつも一度飛び立つと着陸しない限り生きて帰れないという恐怖におののく。離陸する瞬間に、落ちないでくれと祈る。
 雨が打つ機窓から海ほたるが見えてから旋回していつの間にか千葉の市川から都心に入ったようだった。夜景はそこそこ綺麗だが、窓から見えるのはエアマップから見るに葛飾や足立区、荒川区、北区あたりだろうが、目印となるようなものが見つからず、あっちの方が浦和かなと想像しているうちに完全に雨雲の中に突入した。
 吉野家で満たした胃はもうすでに機内食は機内の最大の楽しみだ。
 離陸後、しばらくして配り始める。
 韓国語でまたCAが捲し立てる。何を言っているのか。
 ここは私が話せる韓国語会話の二つのうちの一つ
「メッチュ、チュセヨ。」を披露する場面ではない。
「ビール」とはっきり発音して、CAに気付かせる。
それにしても、斜め後ろの日本人カップルには普通に日本語で話しかけるのに、なぜ私には韓国語なのだろうか。
メンズ洗顔料で搭乗前に洗顔したせいで韓流スターの誰かに顔が似ているからだろうと思い、スマホの自撮りカメラで己の顔を確認すると、韓国人男子的分け目なく前髪が一直線に揃ったおかっぱのような髪型になっていた。

 機内食はキムチチャーハンにプルコギ、スイートポテト、卵焼き、韓国海苔、パイナップルにパンであった。
キムチチャーハンと韓国海苔の組み合わせは先週食べたばかりだ。本場の味はいかがか。普通である。プルコギはおいしく、チューブに入ったコチジャンがよく合う。スイートポテトはアーモンドの甘さが口に合わず、卵焼きはお麩を何も味付けなく食べているような無味だった。
 ビールは韓国ビール。

 今日の旅行記を書こうとしたが気力が出ないので、Kindleに入れておいたはずの鎌倉殿ではなく『鎌倉ものがたり』を読み始める。途中でページが捲れなくなる。ダウンロードが完了していなかった。諦めて旅行記に戻る。
 いつの間にか韓国国内に入っていたものの、雲が分厚くて地上の灯りは見えない。
 着陸体制に入り、厚い雲を抜けると、ソウルの夜景が広がっていた。
 ソウルは初めてだ。道路が広い。
 22:30に着陸。

 金浦空港の検疫と入国審査には行列ができていたが、 Qcodeを事前に登録していたおかげで滞りなかった。
 二十三時過ぎには荷物を受け取り、韓国入国。
 早くホテルに行きたいので、先を急ぐ。ソウル地下鉄5号線に乗る。
 その前に駅のコンコースにあるセブンイレブンで、ソウルのSUICAのT-moneyカードを購入する。おばさんの店員が一人いるだけだったが、慣れたもので、言葉の通じない私でもスムーズに購入できた。

 急に難関が立ち塞がった。5号線ホームは行き先別に改札が分かれており、ハングルでしか行き先が書いていないので、どちらの改札に入ればいいかわからない。路線図とハングルの文字の形を見比べる。
 日本人サラリーマン二人組がいたので、きっと同じ方向に行くのだろうということでついて行く。願わくは同じホテルであってほしい。目的の駅は新吉駅で、十三駅先。二駅目で早々に日本人サラリーマンは降りて行った。隣にどかっと座ってきたのは、中年の酔っ払いグループであった。
 これは厄介!

 幸いにもちょっかいを出せれることはなく、新吉駅に着く。
 地上に出ると、寒い。浦和は二十度近くあったのに、ソウルは氷点下であった。


 ホテルは近い。
 そして見覚えのあるサインが。

 東横イン。安心安定のブランド。チェックインが日本語でできるのが嬉しい。
 十七階のシングルルーム。

 シャワーを浴びてから、明日からが旅行の本番なので荷物を整理し出す。テレビをつけるとワールドカップオランダ対カタールが放送されていた。
 荷物整理をしだすと終わらない。現金も入念に数える。中央アジアの国は現金の持ち込みにうるさく、入国時に正確な金額を問われる可能性があるらしい。
 いつの間にかオランダ戦は後半になっていた。
 明日は頑張って6時15分にはチェックアウトしたい。そのためには5時45分には絶対に起きる必要がある。
 もう午前一時半だった。

【この日の旅程】
浦和 16:40 → 羽田空港第3ターミナル
羽田 19:50→(KE2014) → ソウル・金浦空港 20:30
金浦空港 23:15 → 23:42
東横INN泊

【この日の費用】
浦和→浜松町 473円
浜松町→羽田空港第3ターミナル 492円
吉野家 874円
洗顔料+かぼすジュース 590円
日本円→韓国ウォン 7,000円
T-moneyカード 3,000ウォン
チャージ 8,000W
東横INN  60,000W

2日目の旅行記はこちら

サポートしてもらって飲む酒は美味いか。美味いです。