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福田翁随想録(30)

 高齢者は「臆病」を習え

 貝原益軒の『養生訓』第一巻・総論に「身を保ち生を養うに一字の至れる要訣あり」とある。養生する上で何が一番大切かと言えば「畏(おそるる)」の一字だと断言する。
「畏」というのは、身体を守る心の有り様のことで、些細なことにも気を配り過失を犯さないよう注意し欲望をコントロールすることだ、と説いている。
 私はこれを書いていてハタと思い出した。
 カナダのバンクーバーで一人暮らしをしていた時、英語の勉強もかねて自動車運転免許証取得に挑んだ。日本と違っていきなり公道で車を転がす教授法には驚かされた。機械に弱い私は不安と自信喪失で投げ出そうかと諦めかけたことがあった。 
 しかし三ヵ月も続けているとそれなりにハンドルさばきも上手になり、州政府のテストに合格した。六十三歳でよく合格できたものだと周りから感心されたものだ。日本の商社勤めのご婦人は何度も失格しているそうで大層羨ましがられた。
 帰国して免許証の書き換えを済ませ、いざ孫の車でスケッチ旅行に出かけようとして躊躇した。というのは、日本はカナダと違い道路が狭いうえに車の量も多く、マナーもいい加減という交通事情のなかに紛れ込んで事故でも起こしたらどうなるという不安に駆られたからだ。
 かつてさるお偉方の車で軽井沢に向かう途中、制限速度を守って走っていたものの前方のバスの陰からいきなり子どもが飛び出してきてはねてしまったことがあった。子どもは十メートルも空を飛び、路上に倒れた。幸い子どもは気絶だけで済み、危難は避けられたものの一瞬にして楽しかるべきゴルフ企画は修羅地獄に一変してしまった。
 便利、快適は、悲嘆と苦痛と背中合わせの不離一体になっているのではないだろうか。
 被害者になったら元の身体に戻れるという保障はない。障害を抱えて長く病院暮らしをしなくてはならなくなるかもしれない。ましてや加害者にでもなったら、その心理的負担と賠償にどう対応すればいいのか。
 急ぎの用もない老人が、趣味だ、楽しみだといって無暗に人混みのなかに紛れ込んでいっても碌なことはない。万一予期せぬ人身事故にでも遭ったらどうするのか。
 あれこれ考えた末に、私は車のハンドルを握らないという選択をした。
 カナダで取得したライセンスは老人街道を往く通行証にでもしたらいいではないかと思い定めた。また横文字の免許証は、孫たちに羨望と畏敬の念を抱かせるのに充分役に立ってくれる。いずれにしても私にはもう無用な一枚のカードに過ぎなくなってしまった。

 今こう書いている最中に古い切り抜き帳を捲っていて面白い記事が目にとまった。
 平安時代中期の武将である源頼光(よりみつ)に従事した四天王のひとり、坂田公時(きんとき)の逸話が『渋柿』(鎌倉時代の武士の認識を示した書)にあるという(「武士道を現代に見直す」高橋富雄)。 
 新参の渡辺綱(つな)が公時に「強くなるためにはどうしたらよいか」と聞くと、公時は「臆病を習え」と答えた。大事な時に立派な仕事を果たすためには、つまらない喧嘩をしたりして身体を損ねていてはいけない、という意味の教えだという。
 これを今日の生活に当てはめると、市民生活を大切にし、法を守り、健康に留意して、いざという時に大事を成し遂げることだと、高橋教授は解説している。
 われわれは「臆病」と言えば、びくびくして消極的になり、やらなくてはいけない事にも二の足を踏むような心境のことのように思い勝ちだが、公時の「臆病を習え」という言葉は反対で、「臆病である」ことに重みを覚える。 
 公時といえば、裸で可愛らしい胸当てを着け、鉞(まさかり)を肩にした足柄山の金太郎(幼名)を思い浮かべるが、彼の言う「臆病」の真意を知ると熊と相撲を取ったという逸話になんかしら別な親しみを覚えるのは私だけだろうか。

 こう見てくると益軒の「畏」と公時の「臆病」は同じ意味を持っているように思える。
 若い時には確かに血気の勇に走りたがるものである。
 怖いもの知らずの三十歳の頃、私が危ないと言われていたシカゴの場末を独りぶらついていると、顔つき、目つきの悪い三、四人の大男に遠巻きされたことがあった。
 さすがにゾッとして俊足に任せて難を逃れたことを、今苦々しく思い出している。

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