矢羽野恭一(Yauno,Kyoichi)

小説、詩のようなものを書いています。 読んでいただければ幸いです。 画像を提供してくだ…

矢羽野恭一(Yauno,Kyoichi)

小説、詩のようなものを書いています。 読んでいただければ幸いです。 画像を提供してくださっている方々へ感謝申し上げます。勝手にトリミングして使わせていただいています。これからもよろしくお願いします。

マガジン

  • 福田翁随想録

    十数年前のことになる。師事していた方から「好きにしてよい」と、かなりの分量の原稿を託された。早速この随想を一冊の本にするべく、編集し、企画書をつくり、当時関わりがあった出版社数社に持ち込んだ。  ところが、滋味深いが目新しさに欠けるとの見立てで、出版にはこぎつけなかった。  その翌年、翁は八十四歳で亡くなった。遺稿は日の目を見ることなく、私の家の書棚の引き出しにしまい込まれたままになった。  眠らせておくのは、託された者として恥ずべきことと思い至り、このウェブサイトに少しずつ公開していくことにした次第である。

最近の記事

欲望

 欲望は拡大、膨張し続ける。  欲望に限界、終焉はない。  どうしても手に入れたいのか。  どうしてもそうあらねばならないのか。    満たされないのは不幸なことなのか。  忌み嫌われなければならないことなのか。  「もっと、もっと」  狂騒、狂乱の悲鳴が聴こえる。  「もっと、もっと、もっと」   餓鬼の雄叫びのよう。  身の毛がよだつ。鳥肌が立つ。  満たされないことがそんなに怖ろしいか。  堪えられないか。  おまえは本当にそれでいいのか。  

    • 音速を超える感覚

         ――音速を超えるとどうなるのだろう。どういう感覚なんだろう。  今朝目覚めと同時に、ふっとこんな疑問が浮かんできた。  空中を飛んでいる夢でも見ていたのだろうか。それとも昨夜遅くまで観ていたトム・クルーズ主演の戦闘機映画のせいなのだろうか。  なぜだか分からないが、なんの前触れもなく音速を超える瞬間の感覚が知りたいと心底思った。  実は、これが初めてのことではなかった。  バリバリという耳を劈くようなジェットエンジンの轟音が音速を超えた瞬間、ふっと消え、シンとした静寂

      • 沈香の香り

         ミュウがまた今夜も私につき合ってくれている。   ――おいおい、そんな狭いところでお尻を舐めないでおくれよ  私の心の声が聴こえたのか、不意にこちらへ顔を向けた。  目が合う。なんか文句があるのか、というきつい眼光をしている。  ――おっと。文句はありませんが、ただ……  また届いたのか、捨て置くように何事もなく先ほどと同じ行為に耽る。  よくもそんなに足をぴんと上げていられるものだと感心する。  ――できれば、というかもっと広いところでなすったら、と。その方がよろし

        • 祈り、願いは

          祈り、願いは、明日のためではない。 明後日でも、明々後日でも、 そのずっと先の日のためでもない。 ただ今、この瞬間のためにこそ生まれいずるものなのだ。 力強い励みと勇気と、そして限りない希望を与えてくれる。

        マガジン

        • 福田翁随想録
          43本

        記事

          朝まだきの夢物語

          「今朝もまた同じお花畑の夢を見たよ」  目覚めて間もなく武瑠が意味深げに呟く。 「へぇー、そうなの?」  智香はあまり関心がないという風。伸びとあくびをして武瑠の方へ体を向けた。 「実はね、二日連続なんだよ、昨日に続いて」 「………………」 「夢の中だけじゃなく目覚めてからも、ずっと満たされた感覚が後引いてて。……もしかするとこれが俺の理想郷ってものなのかもしれない」 「死ぬんじゃね」  うまいツッコミ返しをしたという顔で笑っている。 「なんてことを」 「じゃあ、天国?」 「

          永訣の時刻に

           ただいま、お亡くなりになりました。  医者が聴診器を外して告げた。  なぜ君はひとりで逝ってしまったんだ……。  夫は泣き崩れた。そして妻の躰を強く抱きしめた。  医者は黙礼すると病室を出ていった。看護師は残り、見守ってくれていた。  泣き止んでも離そうとはせず、抱いたまま腕をゆっくり擦っている。  深い薫りがする。お香が焚かれたのだ。  まだ温もりの残る躰からいま魂が離れたのだと告げられたように思った。  これが死別というものなのか、そんな冷めた思いが浮かぶ。

          老先生の奇行話

          「あの痩せぎすのお年寄りのことかな?」  店主婦人はテーブルを拭く手を止めて、小奇麗に束ねた髪にちょっと手をやって思い返すような目つきで答えてくれた。 「あなたがいま坐ってる所に坐って、じっとあたしのこと見てるのよ。最初はその視線が邪魔臭くて、邪魔臭くて。だってそう思うでしょ、誰だって。知らない年寄りがずっと目で追ってくんだから、無遠慮に」  ――先生がやりそうなことだ。  その場の様子が目に見えるようで、道雄はなんだか嬉しくなった。  ――夢中になると遠慮会釈なしのところが

          春雷の轟き喧しい夜に

           深夜一時過ぎ。春雷の轟きがかまびすしい。 「数日前に古書店の店頭ワゴンでとんでもなく怖い写真集を見つけたんだよ」  長い沈黙の後に彼が唐突にそんな話を持ち出してきた。 「写真集? 珍しいね、活字中毒の君が」 「そうだね。自分でも信じられない行動を」 「行動?」 「うん。気がついたら手に取ってたんだよ」 「……………」 「モノクロの、老人の顔のクローズアップ写真。毛穴まで見えちゃってんじゃないかぐらいのズームアップでさ。なにもかも見尽くした、もう見飽きたっていう疲れ果てたよう

          春雷の轟き喧しい夜に

          真夏の噴水広場にて

           真夏のフォンテーヌ(噴水)公園。よく晴れた日の昼下がり。  広場の真ん中に大きな噴水池があり、その周りを円状に洒落た洋風ベンチが取り囲んでいる。男と男、女と女、男と女がそれぞれの距離感で腰かけている。   智彦と智子が坐っているベンチは木陰だったけれどあまり涼しくなかった。やや熱の籠もった空気が肌に纏わりつくように触れてくる。救いは稀に吹いてくる噴水の飛沫に冷やされた風だった。    ひどく力を落としているようだったので励まそうと思って肩に手を掛けたら、森君なにを勘違い

          父の遺した掌編小説

          「いつの時代の話なんだよ」  いつも同じ笑みと言葉が漏れる。 「そんな昔でもないだろうに」  モノクロ映画というか、古い活動写真でも観させられているような気分になる。 「なんなんだろう? このもの哀しさは……」  体力の衰えを覚え始めていたからなのか、高血圧症と診断されたのを機にきっぱりと釣行を止め、親しかった古書店主の指導を受けながら文章を書き始めるようになった。  年に一度募集していた郷土新聞主催の文芸賞に応募したところ、選者の目にとまり、入選は逃したものの佳作として活

          東の空に

           薄水色の空に  陽に燒けたちぎれ雲  冷厳、冷徹、峻厳、荘厳  喜悦が溢れ、悲鳴があがる  今朝もまた  東の空に泥水色の子雲が走る

          喧嘩はディナーの後で

           時間に間に合わないから、ここは一旦謝っとこうと思ったわけですよ。で、ひと謝りしたわけです。さすがに心は籠ってなかったけれど。 「謝るのが早い!」  速攻返ってきた言葉が、これ。 「早い、遅いの問題?」  矛を収めかかっていたのに、ぶり返しちゃって、 「じゃあ、何時だったらいいの?」  と、つい嫌味なことを。 「今じゃないことは、確か!」 「………………」  息が詰まりそうな雰囲気に負けてFMラジオをつけると、運悪くというか、適っているというか、ハチャトゥリアンの『剣の舞

          喧嘩はディナーの後で

          真闇の洞窟

           山門からかなり登った高台に目指す寺院はあった。  さらに進むと、秘境・奥千石峡に達する。懸崖が県境まで数キロにわたって続いている。  正面の大門に掲げてある額に「隋唐寺」の寺号が刻まれていた。創建は一三〇五年(嘉元三年)。四国の山間奥地に、樹齢五、六百年の杉や欅などの天然木に守られるようにして建っている。  大本山級寺院の境内はさすがに古刹の霊気が感じられる。本堂には本尊の釈迦如来坐像と観世音菩薩像が安置されていた。  寺務所で簡単な手続きを済ませ、案内されるままに裏手の研

          黄色の短冊飾り

           腰が曲がった白髪の老婦人。店頭に並べてある在庫一掃セールのワゴンから古雑誌を盗んでいく。毎日のことではないが、週に一、二度、通りかかる時に。   ――盗まなくったって、欲しければあげるのに。  ある時武瑠は、彼女が手提げ袋に雑誌をしまう一部始終を見てしまい、見兼ねて腰を上げた。  ところがいざ店頭に出てみると声を掛けることができなかった。ゆらゆらと揺れながら不自由そうに歩く貧相な後ろ姿に、かつての母親の佇まいを感じとってしまったからだ。  ……パックに入ったウナギの白

          縦走路を前にして

           見晴らしの良い竜野山の頂に坐り、やおらリュックに入っていたレモンを齧ると、信じられないほどの甘い果汁が柑橘系の香りを伴って口の中いっぱいに広がった。  その瞬間、驚愕とともになにかが覚醒させられたように思えた。  ――味覚が激変している……。  いつもの強烈な酸っぱさが微塵も感じられない。なに事が起ったのかしばらく理解できなかった。 「食え、食え、もっと食え」  パニック状態にあるかのように、荒々しく「貪り、齧り尽くせ」としきりに求めてくる。  ――きつい登攀で大量に掻

          失われし学び舎を求めて

           私の心を魅了していたあの空気、包み込むような匂いをふと思い出した。  すぐにパソコンを立ち上げたのだが、いざタイピンクする段になると、浮かぶ言葉や文章の齟齬に阻まれて手が止まってしまう。  あの初春から初夏にかけての空気感を感じとっていた感覚がいまは薄れてしまっている。時が経ちすぎてしまっている。  魅惑させられていた当時の記憶だけが蘇ってくる。それを頼りに言葉で探り探りながらあの空気感を文章に落とし込めようと試みたのだ。   魅惑の正体を絞り込んでいくきっかけすら掴め

          失われし学び舎を求めて