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福田翁随想録(終)

 託された原稿はまだ残っているが、本稿で終りとしたい。
 これまでの項の内容と重複していたり、また健康に関するものについてはあまりに我流すぎるきらいがあり参考にならないと思うからだ。
 原稿のなかに「あとがき」風のものがあったので、それをこの「福田翁随想録」の終項にしようと思う。

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 おわりに――死して朽ちず 

 三十五年前のヨーロッパ旅行で、それまで画集だけで楽しみ憧れていたレンブラントの原画を直に鑑賞でき眼福を満足させることができた。
 旅にいくら疲れていても各地の美術館でレンブラントに出会うと慰められ励まされ、力づけられた。
 ウィーンからイスラエルを経て中近東、インドをまわって帰る予定だった。ウィーン市の美術史美術館に展示されている十三点はこれが見納めになるので「レンブラントよ、さようなら」と思わず口にして後ろ髪を引かれる思いで美術館を後にした。
 私は佐藤一斎から教えられ励ましを受けたご縁を思う時、レンブラントのことを連想するのは故なしとしない。
 カナダ滞在を切り上げて帰って二十年経ったが、一斎の『言志四録』をこれほど長く読み続けるとは考えてもいなかった。最後の四冊目の『言志耋録(てつろく)』を著したのが拙稿を草している私と同じ年代と思うと、一層感慨深い。
『言志晩録』に次の訓えがある。

 少にして学べば、即ち壮にして為すことあり
 壮にして学べば、即ち老いて衰えず
 老いて学べば、即ち死して朽ちず

 この「老いて学べば死んでも朽ちない、死んでも死んだことにならない」はどう解釈したらよいのだろう。

 学ばざれば則ち老いて衰ふ (『近思録』朱熹・呂祖謙 共編)

 一斎が『近思録』に通じていないはずはないが、この『近思録』の消極論に満足せず、むしろ『論語』( 里仁篇)の

 朝(あした)に道を聞かば
 夕べに死すとも可なり

 とする孔子の心境に近い思いを馳せていたのではないだろうか。
 偶然にも私と同じ年齢に筆を絶った一斎の心境はうかがう由もないが、なんとなく理解できそうに思う。いまこうして拙稿を綴りながら一斎に別離に似た感慨が去来して、ふと若き日にレンブラントの原画と別れた時のことを回想したのかもしれない。

 昨今の不況を覚えるにつけ昭和初期の世相を思い出す。先の予見は難しいが、われわれはバブル経済という喧騒な風潮を経てきた疲れからか堅実なムードを待望していないだろうか。
 老子の『小国寡民 (しょうこくかみん)』の桃源郷の一節にこうある。 

 其の食を甘しとし、其の服を美とし、
 其の俗を楽しみ、其の居に安んず

 もちろん現代社会にそのまま復元されるものではないにせよ、気品ある国造りに向けてのわれわれの心構えとしたい。

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 毎日「スキ」をいただいていた方はもちろん、お読みいただいていた方々にも感謝を申し上げます。四十数日でしたが、毎日決まった時間に記事をアップし続けることの苦労をちょっとだけ味わいました。
 元原稿があってのリライトですら大変なのに、真っ新の記事を毎日継続投稿なさるのはもっと大変なことだと推察いたします。畏敬の念しかありません。
 また素晴らしい画像作品を提供してくださっている方々へも感謝申し上げます。巻頭に画像があるのとないのとでは大きな違いがあります。勝手にトリミングして使わせていただいています。今後ともよろしくお願いいたします。

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