霜村三二さんの『やわらか本』に寄せて。

『やわらか本』の意義

この記事では、霜村三二さんが著書『やわらかな教育をもとめて』(以下、『やわらか本』とする。)の中で問題提起していることを、僕の問題意識をもとにしつつ紹介していこうと思う。
『やわらか本』はどのような本かということを、僕の言葉で要約するなら、「学校で過ごす一人ひとりの人が人として尊重される」という、学校教育において最も大切にされなければならないことの意味内実を、霜村三二さんの実践、エピソード、視点を通して示している本だ。
授業が上手くいかなくたって、生活指導がうまくできなくたって、ICTが使いこなせなくたって、子どもの前で上手く語れなくたって、学校を一人ひとりの人が人として尊重される場にすることができたなら、少なくとも教員として働く「私(それぞれの主体)」が、一人ひとりの人が人として尊重されることを大切にすることができたなら、学校教育はそれで十分に価値のある営みになる。そのことを、自らの姿勢を通して、三二さんは伝えている。『やわらか本』は、そういう本として受け取ることができるように思う。(念のために言っておくと、三二さんが、上記のことができないと言っているのではない。それよりも上位に置かれるべき重要な価値あることは何かをこの本は示しているということを言っている。)
そういうわけで、『やわらか本』が、「学校で過ごす一人ひとりの人が人として尊重されること」の意味内実をいかにして示しているかという視点で、この本を紹介していこう。

『やわらか本』の構成

この本は、以下のような構成になっている。

はじめに
1子どもたちとゆったり
2スタンダードって???
3大学の授業より
4若者支援は今日も
5教育はいつでもオリジナル
おわりに
おもしろ真面目な三二先生に出会って(末定整基)

それぞれの箇所から、順番に、本の言葉を拾いながら、『やわらか本』の実践、エピソード、視点を紹介していこうと思う。

はじめに

「ずっと思い続けたこと、同調を強いるような教育現場にしてはならない、一人ひとりをよく見ること。考えて、考えて、おもしろい実践を創ろう、どの子も居心地のいい場所をつくりたいと声をあげ続けてきました。もちろん独りよがりにならぬように、その声は、保護者にも、同僚に対しても発しながらのことです。」(p.3)

僕は、「はじめに」に登場するこの言葉の中に、三二さんの教育実践のエッセンスが詰まっているように思う。
「同調を強いる」ことの拒否、「一人ひとりをよく見ること」、「おもしろい実践」をすること、「どの子も居心地のいい場所」をつくること、これらが、三二さんが実践の中で大切にしていることだ。それは、つまり、「学校で過ごす一人ひとりの人が人として尊重されること」だと、僕は思う。
けれども、その尊重というのは、お客様として丁重に扱うということではない。ともに学び合い、励まし合う仲間として尊重し合うということだ。「独りよがりにならぬように、その声は、保護者にも、同僚に対しても」発してきたのは、三二さんが、ずっと、ともに学び合い、励まし合う関係性の構築を目指してきたからなのだと思う。『やわらか本』は、三二さんがそのような想いを持って書き続けてきた学級通信「らぶれたあ」、及び、ブログ「さんにゴリラのらぶれたあ」をまとめたものとなっている。

1子どもたちとゆったり

「だいたい、子どもを"問題のある子”とみる見方の問題点がここにはありました。子どもはさまざまな『問題』(大人側、学校側の価値観から見る場合が多い)を起こして、その過程で学びながら育っていく存在です。問題を起こさせないという管理的発想は、教育の場にはなじまないものです。このように子どもを監視の目でみるという発想が問題でしょう。」(p.17)

「ガムテープを貼るなどというのは、"懲罰”の意味合いでしかないでしょう。この子は名札すら忘れるだらしない子どもだ。ガムテープの名札で十分だ。この罰が嫌なら、忘れるな。こうしたメッセージを発していることに、なんと無頓着なのか。だから懲罰的な『ガムテープ名札』に疑問も持たなくなっているどころか、名札徹底の有効な方法として広がっています。実に恐ろしい。」(p.17)

ここで取り上げた引用は、「『ガムテープ名札』は人権を無視したものだ」というタイトルの箇所から引用してきたものだ。ここでは、名札を忘れた子どもの胸にガムテープを貼らせ、そこに名前を書かせるという、学校で行われている慣習(この慣習を、以下では「ガムテープ名札」と呼ぶ。)が批判されている。
ここで僕が注目したいのは、「ガムテープ名札」の是非ではなく、「ガムテープ名札」を、三二さんがどう意味付け、それとどう向き合っているかということだ。
問題なのは「子どもを"問題のある子”とみる見方」であると指摘されている。つまり、ここで問題とされているのは、単に「ガムテープ名札」を実施するかしないかということだけではないのだ。その裏に潜む、子どもを「"問題のある子"」とみて、その「子どもに問題を起こさせない」ようにするという「管理的発想」を問題にしているのだ。
引用箇所から、もう一つの重要な点に迫ってみよう。三二さんは、「ガムテープ名札」に「"懲罰”の意味合い」を見出している。だから、「ガムテープ名札」に反対だというのだ。
「ガムテープ名札」に対して、教員がどのように感じるかということに関しては、それぞれの教員に様々な感じ方があるだろう。もしかしたら、何も感じない教員もいるかもしれないし、違和感を感じつつも、隣のクラスでは実施されているから、戸惑いながらも仕方なく同じことを実施する教員もいるかもしれない。
けれども、三二さんの決断と実行はとてもシンプルだ。それを僕の言葉で要約するなら、「自分の人権感覚からして到底認められ得ないようなものは実施しない」ということなのだ。
きっと、一人ひとりの教員が、自分の人権感覚に照らし合わせて認められ得ないと感じるものは実施しないということを決断し実行したならば、「学校で過ごす一人ひとりの人が人として尊重されること」は、かなり前進するだろう。しかし、それがなかなかできない現実がある。それは、学校現場の動かし難い慣習や同調圧力によって、心理面においても、行動面においても、制約を受けることが、学校現場においては少なくないからだ。『やわらか本』に登場するのは、このような問題と学校現場の中で向き合い、それに抗ってきた実践やエピソードである。
このように、『やわらか本』は、学校における根本的な問題を抉り出し、そこに変容を迫っている。

2スタンダードって???

「あげられたことは、個々には『当然なこと』もあるかもしれません。しかし、『こうすることが当たり前』として、無条件で押し付けられ、みんな一律に強制されたら、そこは子どもにとっての学ぶ場所=学校ではなくなります。」(p.36)

「いま、学校にはこうした形式主義がはびこり、子どもの生活背景への共感がないがしろにされているように思う。一人ひとりの教師が自分らしくかかわることを基本にした人間らしい学校を回復したい。」(p.49)

「ぼくは、この『スタンダード』は『正しさ』の押しつけだと考えています。何事も押しつけはいけません。それは、理解・納得・共感・合意こそ、教育では大事にしなければならないと思うからです。」(p.79)

『やわらか本』では、一貫して、「学校スタンダード」に反対するスタンスが貫かれている。「学校スタンダード」には、「教師スタンダード」「児童スタンダード」「保護者スタンダード」があることが取り上げられ、それらの問題点が丁寧に描かれている。(pp.34-46)
しかし、個々の「学校スタンダード」の問題点を指摘することも必要かもしれないけれども、それだけではダメだという。(p.81)「学校スタンダード」の根本的な問題は、一律に決められたルールを徹底的に守ることを強制するというあり方にあるという指摘こそが、『やわらか本』で展開されている「学校スタンダード」批判の核心である。
「『こうすることが当たり前』として、無条件で押し付けられ、みんな一律に強制されたら、そこは子どもにとっての学ぶ場所=学校ではなくなります」という言葉は、まさに、「学校スタンダード」の根本的な問題は、一律に決められたルールを徹底的に守ることを強制するというあり方に表れるということを示している。「『正しさ』の押しつけ」をしてはならず、「理解・納得・共感・合意こそ、教育では大事にしなければならない」というのだ。
「あげられたことは、個々には『当然なこと』もあるかもしれません」とあるように、「学校スタンダード」の内容は、個々に適切なはたらきかけとなり得るものがあるということは認められている。たしかに、僕の教員経験に照らし合わせても、それはその通りであるように思う。けれども、それが適切なはたらきかけとなり得るかどうかは、その文脈と子どもの実態によって規定される。そのため、絶対的に正しいものとして一律に強制することが適切であるとは考えられない。
このように考えると、結局、「学校スタンダード」という一律のルールを設けることは、文脈と子どもの実態に即した働きかけができないようにさせるという意味で、「学校で過ごす一人ひとりの人が人として尊重されること」を妨げることになるといえるように思う。
「いま、学校にはこうした形式主義がはびこり、子どもの生活背景への共感がないがしろにされているように思う」という言葉には、まさに、文脈と子どもの実態をみないあり方が拡がってしまうという問題への懸念が表れている。そして、その言葉に続けて、「一人ひとりの教師が自分らしくかかわることを基本にした人間らしい学校を回復したい」と言われている。つまり、文脈と子どもの実態に即した働きかけをするためには、「学校スタンダード」のような形式主義による指導の徹底をしてはならず、教員が自分で考えて判断し、一人の人間として子どもと関わることが必要だというのだ。

3大学の授業より

「Sさんに限らず、ぼくのところにメールなどで『スタンダード』のことで知らせてくれている教師生活をする若者が、自分の大事にしたい思いと、上からの押し付けの間で引き裂かれている苦しさを語ります。改めて思います。ぼくにできるのは、この若者たちの思いを聴くことだと。」(p.88)

「〈Yさん〉《私は小学校の頃、給食が食べられなくて、学校にいきたくなかったことを思い出した。食べ終わらないと、昼休みの時間も一人でずっと給食を食べなくてはいけなかったけれど、なかなか食べられずに、いつも一人で昼休みも食べていた。これが今でも嫌な思い出として残っている。勉強は嫌いじゃなかったけれど、給食の時間が嫌で嫌で、学校に行きたくないと泣き叫んでいた。確かに食べ物を残さないというのは大事なことだけど、何かほかのやり方もあるはずだったと、今になって思う。》」(p.97)

「〈Hさん〉《私は三二先生の「学校スタンダード」に対する考え方に少し違和感があります。確かに学校特有のルールや意味のないルールがあることは事実です。しかし、学校は名札を忘れないことを身につける場ではなく、忘れ物をしない人間性や、忘れ物をしやすいことに気づき対策を考える力を身につける場だと思います。細かなルールが子どものひととしての土台をつくっていると、私は考えます。》」(p.120)

三二さんが「学校スタンダード」を批判するのは、教育実践の核心に、「『正しさ』の押しつけ」をしてはならず、「理解・納得・共感・合意こそ、教育では大事にしなければならない」という考え方があるからだった。そして、その考え方は、学校での子どもとの関わりの中だけでなく、大学の授業でも貫かれていた。そのことが、ここで取り上げた引用からよく分かるように思う。
「改めて思います。ぼくにできるのは、この若者たちの思いを聴くことだと」という言葉からは、三二さんが、授業を受けた学生や若い教員の言葉を受け止め、共感し、傾聴してきたことが分かる。
しかし、三二さんは、聴くだけの人ではない。語り、揺さぶる人でもあるように思う。Yさんの「私は小学校の頃、給食が食べられなくて、学校にいきたくなかったことを思い出した」という言葉で始まるコメントからは、Yさんが、授業を通して、自分の教育経験を振り返り、そこから、自然と教育実践をしていく上でどんなことを大切にしていきたいのかを考えることへと向かっていることが分かる。三二さんの言葉に触発されて、過去の自分の教育経験から、これからの教育をどのようにつくっていくかを展望することへと誘われているのだ。
双方向性のある思考の深め合いを対話的であると呼ぶとすれば、傾聴と語りによる触発という三二さんの姿勢は、とても対話的であると僕は思う。
三二さんは、自分とは異なる立場を打ち出すコメントをも受け止めて、そこから、対話をし、思考を深めようとしている。〈Hさん〉の「私は三二先生の『学校スタンダード』に対する考え方に少し違和感があります」という言葉から始まるコメントにも、三二さんは、丁寧に受け止め、それと真摯に向き合っている。『やわらか本』では、この〈Hさん〉のコメントに、三二さんが応答し、さらに〈Hさん〉からの再コメントがなされたことが紹介されている。そして、そのコメントからは、〈Hさん〉が、三二さんから無理やり抑えつけるような形で意見を変えさせられたのではなく、〈Hさん〉の違和感を受け止め尊重した上での三二さんの応答に、〈Hさん〉が納得して自分の思考を前進させていることが伝わってくる。
ここでみてきた三二さんの対話的な姿勢も、やはり、僕には「一人ひとりの人が人として尊重されること」を大切にしている姿として映る。
これから教員になろうとしている学生や、悩みながら学校で子どもたちと向き合う教員との対話的な姿勢は、まさに、学校で子どもたちとかかわる三二さんのあり方そのものだ。この対話的な姿勢の一貫性に、三二さんの誠実さが滲み出ているように思う。

4若者支援は今日も

「Fさんに足りないものはたくさんあります。けれど、ぼくが見た授業、そして教室は、子どもたちを蔑ろにするようなものではなく、精一杯子どもたちに向き合おうとするものでした。上手な授業や指導ではなかったけれど、非難されるようなものでは全くありませんでした。」(p.144)

「『ぼくが教師に向かないと思う人は、子どもや人間に関心の無い人だと思うよ。あなたは違う。あなたは、子どもたちのためにどうすればいいんだろうと考えているんだから、それはいつか必ず実を結ぶ。だから、悩みながらも続けていけばいいんだよ。困った時にはいつでも連絡してね。すぐに駆けつけるから。』」(p.144)

「正面からぶつかってその人たちを変えようなんて思わなくていい。でも、自分は確固としたものを自らの内に育てていき、出来ることを積み上げていくんだよ。」(p.165)

僕が三二さんのスタイルに最も共感を覚えるのは、この若者支援の部分かもしれない。三二さんは、子どもたちのために一生懸命に日々の教育実践に励みながらも理不尽な扱いに悩む教員の話を聴き、支えようとする。三二さんの若者支援は、草の根的な学校変革実践なのだと、僕は思う。
結局、本当に有意義なことを学校の中で遂行していく人たちが教員として生き生きとやっていくということこそが、学校をより良い場所に変革していくということなのだと、三二さんの若者支援は物語っている。そして、その若者支援の言葉の節々に、学校教育において本当に大切にしなければならないことは何かということが滲み出ている。
たとえば、「Fさんに足りないものはたくさんあります。けれど、ぼくが見た授業、そして教室は、子どもたちを蔑ろにするようなものではなく、精一杯子どもたちに向き合おうとするものでした。」という言葉からは、上手な授業や指導をすることよりも、子どもたちと丁寧に向き合うことこそが大切にするべきことなのだというメッセージが伝わってくる。そして、三二さんは、「ぼくが教師に向かないと思う人は、子どもや人間に関心の無い人だと思うよ。あなたは違う。あなたは、子どもたちのためにどうすればいいんだろうと考えているんだから、それはいつか必ず実を結ぶ」と、Fさんに声をかけて励まそうとする。三二さんは、子どもと向き合うことを大切にする人を支えることで、学校を子どもと向き合うことを大切にすることができる場所にしようとしているのだ。だから、僕は、三二さんの若者支援を、草の根的な学校変革実践だととらえている。
さらに、興味深いのは、三二さんが、学校現場の問題と真摯に向き合いながらも、したたかに、内側からそれを変革しようとしているところだ。「正面からぶつかってその人たちを変えようなんて思わなくていい。でも、自分は確固としたものを自らの内に育てていき、出来ることを積み上げていくんだよ。」この言葉には、三二さんが情熱だけでなく、したたかさを兼ね備えた人だということが感じられる。
正面からぶつかって突破しなくてもいい、子どもと向き合うことを大切にすることを忘れずにやっていけば、きっと、より良い教育に向かっていける。時には休んだっていい。また輝ける日が来る。だから、大丈夫。三二さんの励ましには、そんな暖かさがある。
学校の子どもたちが尊重されるために、学校の子どもたちを尊重しようとする教員を尊重しようとする。三二さんは、そうすることで、「学校で過ごす一人ひとりの人が人として尊重されること」を実現しようとしているのだと、僕は思う。

5教育はいつでもオリジナル

「賢治が農学校を去った1926年(大正15年=昭和元年)は戦争に向かう状況が拡がっていましたが、現在の民主主義の状況は、不十分であったとしても、その頃とは決定的に違います。まだいまの学校の現場でできることはいくらもあります。誰かの評価のために実践するのではない。自分の初志を忘れず、子どもたちのために実践するのだという覚悟こそ求められているのではないでしょうか。」(p.191)

「ぼくは、賢治のようにはできなくても、賢治の授業のことを知って、イメージがぱあっと開けました。このころから、自分の授業スタイルや子どもたちへの関わり方、見守り方はずいぶん変わりました。」(p.195)

三二さんの教育実践の根底には、「教師・宮沢賢治」(p.181)のイメージがある。そのことについて、三二さん自身が「ぼくは、賢治のようにはできなくても、賢治の授業のことを知って、イメージがぱあっと開けました。このころから、自分の授業スタイルや子どもたちへの関わり方、見守り方はずいぶん変わりました」と言っている。三二さんにとって、自分らしいオリジナルの授業とは、始めたばかりの頃はうまくいかずとも、必死にもがき苦しみ、次第に教え子に慕われる教師として成長した宮沢賢治のイメージなのだということが伝わってくる。
しかし、誰もが宮沢賢治をモチーフにするべきだとは言わない。きっと、それでは、三二さんの批判する「学校スタンダード」の強制と同じになってしまうだろう。そうではなく、それぞれの教員が、自分にとってのあるべき姿を持ち、自分の持ち味を発揮して子どもとともに過ごすことをこそ求めている。だから、三二さんの問題提起は、「誰かの評価のために実践するのではない。自分の初志を忘れず、子どもたちのために実践するのだという覚悟こそ求められているのではないでしょうか」という問題提起になる。僕は、ここに、自分にとっての「教師・宮沢賢治」というイメージを強く抱きつつ、そのイメージを他者にも強制するのではなく、あくまでも、それぞれのあり方があることを認め、「学校で過ごす一人ひとりの人が人として尊重されること」を大切にする三二さんのあり方が表れているように思う。

おわりに

「現場を退職し、様々な形で現場支援を続けて来たぼくのことば(書いたこと、発したことば)の意味を考えなおしたいと思いました。『同調と自己責任』という圧力を外側から批判するだけではなかったのだろうか。」(p.197)

「現場で苦しんだいまのぼくなら、ブラック教育地獄の底に転がり落ちるかもしれないと不安を持つ人たちに、心よりそう連帯のことばを送れるのではないかとちょっぴり思います。」(p.197)

「おわりに」では、退職後、2022年に1カ月余と2023年に6カ月余、学校現場に入り、そこで感じたことが書かれている。「現場を退職し、様々な形で現場支援を続けて来たぼくのことば(書いたこと、発したことば)の意味を考えなおしたいと思いました」という自己批判からは、学校教育のあり方を内側から考え、より良いものに刷新しようとする三二さんの倫理が垣間見られる。学生や苦悩する教員の言葉に丁寧に耳を傾け、彼ら彼女らの持ち味が発揮されるように支えようとしてきた三二さんは、僕からみれば、十分に内側から教育を刷新しようとする学校変革者であるようにみえる。けれども、三二さんは、常に、自分は外から批判をする者に成り下がってしまってはいないかと自己点検をする。
「現場で苦しんだいまのぼくなら、ブラック教育地獄の底に転がり落ちるかもしれないと不安を持つ人たちに、心よりそう連帯のことばを送れるのではないかとちょっぴり思います」という言葉からは、自分も今の学校現場の苦しさをその中で感じ取ったことで、内側から教育を刷新する姿勢を取れるようになったとする自負と、それでも「ちょっぴり」という言葉をつけることで傲慢になってはならないと自分を抑制することを忘れない姿勢の両方が表れているように思う。
外からの批判をせずに徹底的に内側から教育を刷新しようとする倫理と、外部の権力だけでなく自己のうちにある権力をも自覚してどこまでも権力的な強制を拒否しようとするスタンス、これこそが、三二さんの教育実践が「学校で過ごす一人ひとりの人が人として尊重されること」の実現へと向かっていくための重要な立脚点になっているのではないかと、僕は思う。

おもしろ真面目な三二先生に出会って(末定整基)

「サンニさんを介して数多く人たちとの出会いがあり、その出会いを通しての多くの学びがありました。」(p.199)

最後に、末定整基さんの「おもしろ真面目な三二先生に出会って」という巻末の文章から、一つ、三二さんという人のあり方について考えてみようと思う。
三二さんという人は、僕からみると、徹底的に、反権威主義、反権力を貫いている人だと思う。現行の政治権力や学校においてトップダウンで強制力を働かせる権力だけでなく、権力に対抗する側の組織内部における権力や、反権力を掲げる自己のうちに潜む権力をも拒否する。そういう意味で、徹底的に、反権威主義、反権力を貫いている人だと思うのだ。だから、三二さんは、どんな組織や集団にも傾斜せず、いつも居酒屋に通う一匹狼のおじさんなのだ。けれども、それは人と関わらないということではない。そんな徹底的に人との対等な関係性を大切にする三二さんに、多くの人が惹かれ、集まってくる。ただ、三二さんという人と一緒にいるのが心地よく、ともに学ぶのが楽しいから、いろんな人が集まってくるのだ。末定さんの「サンニさんを介して数多く人たちとの出会いがあり、その出会いを通しての多くの学びがありました」という言葉には、権力性を排した対等な関係性のもとで拡がる人と人の繋がりの魅力が表れているように思う。
だから、先日(2024年3月23日)の『やわらか本』出版記念の本質授業研究会で、三二さん自身は、渡辺貴裕さんからジェームズ・C・スコット『実践 日々のアナキズム』と通じることがあるとレビューされたことに触れながら、「いやぁ、僕はアナーキズムではなくて…」と歯切れの悪い感じでゴニョゴニョと言っていたが、反国家主義や資本主義の打倒よりも、徹底的な反権威主義や反権力の原理こそがアナーキズムの核心だと認識している僕からすれば、三二さんこそ、生粋のアナーキストなのだ。

最後に

僕の問題意識に引きつけながら、長々と書いてしまった。こんな駄文を、一体、誰が楽しみに読んでくれるだろうかと自分に呆れている。けれども、僕自身が「学校で過ごす一人ひとりの人が人として尊重されること」を大切にして教員をやってきて、まさにその部分で強く大きな共感を覚える霜村三二さんの『やわらか本』であったから、心を込めて読み、心を込めてその紹介を書いた。別に誰から頼まれたわけでもない。僕が自分の中に湧き上がるものがあって、言ってみれば勝手に書いただけだ。でも、なんだか書かずにはいられないくらい突き動かされて書いた。『やわらか本』には、そんな力があるように思う。そんなわけで、僕が心を込めて書いたものを、心を傾けてここまで読んでくださった方には、心から感謝したい。
僕は、2024年の4月からは、教員の仕事から一旦離れようと思っている。そんな自分が、三二さんの内側から教育を刷新しようとする倫理を重要な立脚点だなんて言っても、どの口が言うかと思われてしまうかもしれない。お前の教員として果たすべき倫理はどこへ行ったのかと。けれども、きっと、三二さんなら、正面からぶつかって突破しなくてもいい。時には休んだっていい。また輝ける日が来る。だから、大丈夫。そう言ってくれるのではないかと思っている。(その意味で、「4若者支援は今日も」の『やわらか本』解釈は、それ自体を僕へのメッセージとして自分に向けて書いている感がある。)
いつかきっと、僕も、三二さんのようなあり方で教育と向き合う人になりたい。

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