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セレモニーの翌朝

アブエリータにさようなら

ぐっすり寝たようで、のっぽ君の「もう7時半だ。」という声で起きる。目覚めは驚くくらい普通にスッキリしている。

もそもそと身支度を整えて、ダイニングへ行くとアブエリータが迎えてくれる。少し涼しい爽やかな朝。8時半のバスに乗ることを伝え、甘いコーヒーをもらって出発する。コロンビア人たちの二人はもう少し、ゆっくりしていくみたい。

アブエリータにハグしてありがとうと何度も伝えた。私はこの人のことが本当に本当に大好きだ。この人の魂の優しさを一生忘れない。

アブエリータのお家を出て、「私、本当にアブエリータのことが大好きで、自分のおばあちゃんにたいな気持ちになっちゃったよ。」ウルウルしながらいうと、のっぽ君が「アブエリータもお別れの時にちょっと泣いてたね。」私はアブエリータの涙に気付いてなかったけど、魂の温かい交流をしたのは紛れもない体験で私の中に残っている。

深い霧に包まれたコレクテーボ 隣にグロッキーメキシカン

コレクティーボは座席が決められている。私は一番後ろの座席左端。隣に同年代くらいのメキシコ人男性二人づれ。

彼らはなぜか袋を手に持っている。

車が出発して30分、すぐに理由がわかりました。

このウアウトラからオアハカまでは山の上をぐるぐるかなり曲がりくねって行きます。車に弱い人は吐いちゃうんですね。この隣の二人のように。。

この帰り道、今まで経験したことのない霧の中、車は全くスピードを落とさず下っていきます。メキシコ旅行で一番怖い思いしたのはこの時だと思います。死体みても、少し、ご様子が変わった男性に水をせがまれ、あげた瞬間吐いているのをみても怖くなかったけど、真っ白の霧の中、ぐるぐるしていると、本当に黄泉の国へ行くんじゃないかと割とリアルに怖かった。

この感じ、恐山に行った時の感じと似ていたな。恐山は境内に強い硫黄泉の温泉に入ることができる。聖なる自然のエネルギーを身体に入れて帰る、という意味では似た体験なのかもしれない。

霧を抜けた後は、ひたすら昨晩体験したことを細かく書いていた。残念ながら、ロンドンから荷物を引き上げる時にこのノートは紛失してしまったんだけれど、一度書いたおかげか、今でもかなり鮮明に覚えている。

サイケデリック体験をいかに統合するか

Netflixのドキュメンタリーシリーズ”こころ”をダイジェストシリーズの「幻覚剤」のエピソードでも、被験者の男性は体験後、自分の体験を全て書き出すよう勧められたとインタビューで語っていた。意図せず、私もウアウトラからオアハカへ向かうバスの中グロッキーなメキシカンの横でまさに同じことをした。

この被験者の男性は書き出すことが、体験を強化してくれた。とあるが、その通りだと思う。セレモニーを受けてから約一年たった今でも、経験したことは色鮮やかに思い出せるだけでなく、この経験が自分にとってどのような意味があるのか、何度も反芻して考えている。ある意味ではトリップは終わっていないのかもしれない。

体験の性質はセットとセッティング次第

また、このドキュメンタリーは非常によくまとまっていて、最近の心理学の分野の研究やサイケデリックの歴史についてもわかりやすく説明してくれている。

The nature of the experience depends almost entirely on set and setting.(The Psychedelic Experience, 1964)

その経験の性質はほぼセットとセッティング次第である。

セットというのは体験者の状態

セッティングというのは体験者を取り巻く環境のこと

おそらく、私があれだけ素晴らしい体験をできたのはその時の自分の状態が精神的にも肉体的にも整っていて、なおかつアブエリータという素晴らしいガイド、そして大好きなメキシコという土地にいたことが大きな理由なんだろう。




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