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記憶と追悼の殴り書き。

さて今週分の動画はゲーム実況だったので、特にいつものようにコンセプトだのライナーノーツなどはない。
ただ自分の好きな野球の事でもあったのでこれはこれで面白かったかな。
今後は月に一回でも何か単発でゲームをやれたら面白いかなあとは思っている。
と、言いつつ去年末に言ったゲームトークの生配信ですら未だに一回も実現出来ていないのであるが苦笑


それにしてもカギドラ。も今やってるAVG実況もだが相変わらず僕の投稿動画はニッチというか、人を選ぶなあとは内心思った。
だって野球とかスポーツとか興味ない人はないもんね、僕だって例えばサッカーやゴルフを言われたって何の興味もない。ワールドカップもオリンピックも日本が勝ったらいいなあくらいの愛国心はあるが基本的に何も興味もない。
野球に興味がある人だったとしても日本のプロ野球ひとつとって12チームあるので、ファンの方も様々だ。
まあこれからもいい意味で媚びる事はなく自分のやりたい事や楽しい事をやれればと思っている。





さて今回の動画に関してはそれまでだが、それでは記事が短くなってしまうのでやはり今回はあれについて書いておこうと思う。
3月の第二週は大勢の人には残念なことになってしまったと思う、鳥山明先生とTARAKOさんの急死だ。



僕の実家の近くには父親の妹夫婦の家庭があって。
例えば学校の文化祭や体育祭の後、または地域のイベントなどで集まる事がとても多かった。
僕たちもいとこも世代は違えどみんな同じ学校だったりするから、二家庭の打ち上げというか、ついでにご飯でも食べようという感じだ。


土曜日や日曜日が特に多く、特に日曜日の文化祭や体育祭の後なんかは次の日の月曜日が休みだったので僕たち兄弟やいとこは親が晩御飯の準備をしている時間でちびまる子ちゃんやサザエさんを見ていることが多かった。
親同士もお酒が飲めるのでとても楽しそうだったし、僕らはごはんが終われば子供部屋で深夜までファミコンが出来る。
特に小さい頃は僕はファミコンを買ってもらえなかったからファミコンが出来るそのイベントが楽しかったし、成長するといとこと一緒にRPGを進めたり、ネオジオCD対戦するのも大好きだった。
いつもは少し憂鬱になる日曜日の夕方の、大好きな時間だった。


その食事会や打ち上げはいとこの家庭だけではなく近くのご近所さんの家庭や、ママ友の家庭を呼ぶ事もあった。
うちの母親とママ友という事は僕のクラスメイトと学校やイベント外でも会ってご飯を食べたりお泊りするという事にもなった。しかも女子で好きだった子。
僕の異性体験はおかげで周りと比べても少し早かったと思う。


僕のちびまる子ちゃんの記憶がそれでそのクラスメイトの好きな女子ともよく一緒に見ていた。
自分が誘わなくても親同士がママ友としてそういう食事会や飲みやお泊りをよくやってたしね。その子が話していたかもしれないからクラスの女子は知っていたかわからないが、男子たちはまさか僕がクラスメイトの女子と月に3.4度は一緒に寝ているなんて予想もしていなかっただろうな笑
僕も女子と仲良くしているなんて言ったら、男子のくせにとバカにされたりいじめられるような年代だったし。



僕はどっちかと言うと後述の理由もあっていじめられるとか仲間外れにされる方で、スポーツや勉強が出来るわけでもない、楽器が出来るような一芸があるわけでもない、ムードメーカーになるような感じでもない並以下で引っ込み思案の目立たない子供だったと思うし。
小学校から中3くらいまでは本当そういう、異性や好きな子と接している時間はよくあった。
高校が隣町でバラバラになってだんだん疎遠になったんだけど。
彼女はめちゃくちゃ頭が良くて進学校になったのよね、クラスでTOP5に入るくらいの成績だったし。
僕はもうその頃、バンドとかちょっと…なんというかなあ、グレてるわけじゃないけどアングラな感じだったので。成績も40人中30くらいとか。
以前にゲームや物語、配信で幼馴染設定に弱いと言った事があるが(ときメモとかね)たぶんそういう家庭環境だったからだろうと思う。今も幼馴染を追い求めているのかもしれない笑
ちなみに彼女は社会人になってわりと早くに結婚して地元の街で2人か3人の子供のお母さんを元気にやっているはずだ。




さて鳥山先生の話になる。


今までも何度も語ってきた事であるがウチの母親はなかなかな教育ママでファミコン本体をなかなか買ってくれなかった。
という事で週刊ジャンプも買ってもらった事がないし、僕も買ったことも一度もない。
だがドラゴンボールのコミックスは一巻から買ってもらっていた。
埼玉におじが住んでいたのだが、そのおじは羽振りがよく地元に帰ってくると僕が言うものを何でも買ってくれた。ネオジオCDの本体を買ってくれたのもそのおじだ。


記憶が曖昧であるが、クラスでもドラゴンボールの話題が流れ始めたころ、僕は当然その中に入れずにいた。だからおじが来た時にコミックスをねだったのだ。
今はない駅前の本屋だった。なぜかおじと二人でのお出かけだった。
当然見つかって後からお袋に怒られる事となったのだがこれは今人気だからと、マンガくらい許してやれとおじがおふくろを説得してくれたのだ。


その後マンガを何でも買ってもらえるようになったわけではないが、ドラゴンボールは許される事となったのだウチの家庭に。
ちなみに親父は黙って仕事して家にお金を持って帰ればいいという価値観の人間なので、子育ては母親に任せきりだったと思う。
おじがいたからこうしてクラスの話題にも少しずつ入っていけるようになった。
それまではいじめられたり仲間外れにされる事も結構多かったと思うので。
ドラゴンボールしかり、ネットもないあの時代ジャンプやアニメは僕らのコミュニケーションとして必須のツールでもあったのだ。


これもまた余談であるがちなみにそのおじはだいぶ偏食で寝たきりになってしまい最近は全く地元廣島に帰ってくることもなく、コロナ禍の中で3年前ほどに亡くなったらしい。
事を去年帰広した時に親から聞いた。
埼玉と廣島では距離が離れすぎているという事もありお葬式も家族だけで親族は誰も呼ばれなかったらしい。
せっかく今の僕は東京という近くにいたのだからお世話になったしもっと会っておけば良かったと後悔している。


基本的におふくろはバトルものとエッチなものがあるのを嫌った。
だから学校で話題になるようなアニメの北斗の拳やシティーハンターやキン肉マンやらんまやその他全部嫌って見せなかった。なのでまったく通っていない。
大人になってから北斗とシティーハンターは集めたけど。
バトルや女子の裸が出ても大丈夫という例外はジブリやNHK、ドラえもんの劇場版やアンパンマン、あとは火の鳥とかの手塚作品など。
多分そこらへんはおふくろの中でもNHKだから大丈夫、ジブリだから大丈夫、みたいな凝り固まったイメージがあったのだろうな笑


ドラゴンボールもZになるとバトル要素が強くなり見せてもらえなくなった。
ただそれだと締め付けすぎだと思ったのだろう、二つだけ許可してくれた。
そこで僕が選んだものはドラゴンクエストアベル伝説(これもバトルなので基本的には当然ダメ)とルパン三世だった。


僕にとっての鳥山先生とはドラゴンボールの無印とドラゴンクエストだった。
特にドラゴンクエストは友達の家で最初にⅡを見た時に音楽にカルチャーショックを受け、今の人生や仕事にも繋がっている。
ドラゴンボールと同じ画の人というのもすぐに分かった。
それも鳥山先生のすごさだし。


ああ今書いていて思ったけど鳥山先生がいなければドラクエもあのドラクエではなかったかもしれないし、そうなると僕も今の僕ではなかったのかもしれないな。
そもそも僕は音楽家やバンドマンになるよりドラクエの小説やシナリオを書きたいと思ってたし子供の頃は。
アニメやゲームを思う存分させてもらえなかったが、本はたくさん買ってもらった。


だから僕は目立たないいじめられっ子のような感じだったし、休み時間はみんなとサッカーやドッジボールとかするよりも図書室で本を一人で読んでいるのが好きなような子供だったのだ。
ただそういう時の一人で過ごす時間や、周りとは違う感じ、またはアニメやゲームが手に入らなかったから大人になっても買い集めてしまうクセ、などはきっちり今の人格形成につながってる気がする笑
家庭環境ってやはり影響するなあってね。


まあ異性経験も早くに出来たし、本を読んだりする自分も僕は嫌いじゃないのでおふくろには大層感謝している。
アベル伝説はいまだに数年に一度は見直しちゃうよね笑



今回は思い出を書き殴ったような感じなのでちょっと何が書きたかったのか文にまとまりがないが、ここらへんで強引に〆させてもらいたい。



TARAKOさんと鳥山先生のご冥福を改めてお祈りいたします。







今回もお読みくださりありがとうございました。



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