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広野駅の利用は何故震災前に戻ったのか

こんばんナマステ💚Kyoskéこと暑寒煮切(あっさむにるぎり)だよっ⭐️

昨日は原発事故区域の北の外縁にあたるJR原ノ町駅の利用が激減した話をした。

その時に広野駅のことに少しだけ触れたんだけど、こちらの数値を見てみたい。

広野町は双葉郡の一番南にある町で、南相馬市同様震災=原発事故から半年で帰還を許された。

そして、復興事業における工事作業者が広野を拠点とするようになり、一時はJヴィレッジの前にあるファミマが日本一混むコンビニと言われた。

どちらかというと関東の工事関係者が広野に集まり、東北の工事関係者が南相馬に集まった感じ。

んで、そういう人達の宿の手配を自分が担当していたこともあり、2010年代の後半になると復興工事のフェーズが大分進んでいったことに加えて、避難解除が続いてより原発に近いところに泊まれるようになっていったことで、広野の工事バブルは弾けていったように見えた。

広野駅は広野町唯一の駅。2019年にJヴィレッジ駅ができホームは広野町域にもかかっているけれど、駅としては隣の楢葉町にある。

その広野駅の乗車人数を見てみると、震災前年の2010年が336人で2004年以降300人台。2003年までは400人台なので漸減していた。

震災翌年の2012年、当時は広野以北は復旧しておらず終点だったけれど81人まで減少。まだ避難から帰還してない人もいたし、仕方がない部分もある。

また、広野は元々火力発電所とJヴィレッジの関係者、利用者の乗降が多かったので、そこがひとまず無くなってしまった。

その後工事関係者が大半は車にしても少なからず利用するようになり、毎年数値が伸びて2016年に351人と震災前の水準に回復、2017年からは400人台になった。

これはどーしてなのか。

コロナ禍2020年の乗車人数が2019年を上回ってすらいる。

まず昨日書いた原ノ町とは真逆のことがいくつかある。

それは基本的に東京志向であり、2011年のうちに線路が復旧したこと。

特急は2020年までは来なくなったけど、特急の終点であるいわきからそれほど遠くないため大差ないこと。また、元々広野を通過する特急もあったので2020年に特急が戻っても昔よりあまり減っていないことも記しておきたい。

高速道路は震災前から通っており、高速バスも特に設定されなかったこと。

こうしたことから、広野に人が戻れば利用も戻るというような状況があった。

そうはいっても、自然減も含めて広野町の人口は震災前より減っている。

また、2019年にJヴィレッジ駅ができ、また復旧後のJヴィレッジでは宿泊施設も増強されたので、Jヴィレッジの利用者が広野駅を利用する率は確実に減っているはず。

前述のように工事関係者も広野からはかなり減っている。

では何故広野駅の利用は増えたのか。

因果関係があるとすれば、恐らくはこの学校。

2015年にできた福島県教育委員会の理想を盛り込んだようなグローバルなんちゃらみたいな学校で、校歌を秋元康がプロデュースするなど著名人の支援も集まりまくっている。

基本寮生活なので通学需要自体はないけれど、休みの日に家に帰ったりいわきまで遊びに行ったりはするだろうし、

教職員まで寮にいるわけではないだろうから、広野の規模からすれば非常に多数の通勤需要はある。

前述のようにゲストの来校も多そうで、鉄道利用もあるのだろう。いわきで基本的に特急と接続するダイヤだったし、今は1日3本とはいえ特急もやってくる。

正直この学校以外に駅の利用を増やしそうな要素というと、2013年に火力発電所の6号機の稼働が始まって、さらに増やすような話も聞いたけど、火力発電所はJヴィレッジ駅の方が近くなった。そもそもJヴィレッジは東電がサッカー界に土地を提供したんだよね。

2021年に広野駅は無人化され、乗車人数をJR東日本が公表しなくなった。

したがって今後の数値はわからないのだけど、恐らくこの学校がある程度下支えしていくんじゃないかと思う。

そーはいってもどこの地域にもある少子高齢化に加えて、工事関係者のために宿泊施設を増やしまくってきたことが今後は足枷になりかねない状況で、前途多難ではある。

駅の乗車人数だけで地域が本当に復興できたとはとても言えないけれど、面白い数値ではあるので紹介してみた。

広野については書きたいこと実はまだまだあるので、そこはまたおいおいね。

それじゃあバイバイナマステ💚暑寒煮切でしたっ✨

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