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七隈線、不思議な混雑

こんばんナマステ💚Kyoskéこと暑寒煮切(あっさむにるぎり)だよっ⭐️

3月27日に天神南ー博多間が開業した福岡の地下鉄七隈線が早くも混雑を呈しているとのことなのだけど、

開業したところは天神南ー博多間なのに、混雑しているのはその手前の別府(べふ)ー薬院だというのはちょっと不思議。

それが何故なのかということで「空港線からのシフト」という分析がある。

確かに別府ー博多間では空港線と並行しているので一定の説得力はあるか。

一方でバスからのシフトは明確な様子。

自分もバス説を支持する。

何故かというと別府から博多へのバスは七隈線の博多開業までは多数走っていたから。

これまでの七隈線は薬院・天神への需要が大半で、天神南から天神へのかったるい乗り換えをしてまで地下鉄を使うのではなく、バスでそのまま博多へ向かう人が多かった。

七隈線が博多へ繋がったことで、その人達が地下鉄に切り替えた。

それが顕著になる別府から薬院までは、七隈線沿線→薬院・天神の需要と別府→博多の動線が合流するため混雑してしまうのが正解だろうと。

そしてこれは七隈線の歴史的な背景から考えると必然であることがわかる。

七隈線の直接のご先祖様は1928年から1975年まで走っていた路面電車の城南線。当初は違ったけど、戦後は一貫して西鉄が運営していた。

渡辺通一丁目から六本松を通って西新までの路線で、渡辺通一丁目では循環線という福岡の中心を循環する路線と繋がっていて天神と博多の両方に通じていた。

つまり六本松以東は元から天神と博多の両方と関係が深い。

一方でもうひとつ七隈線のご先祖様がいる。

それは1925年から1983年まで走っていた国鉄筑肥線で別府の近くに鳥飼駅が存在しており、1926年には博多駅まで乗り入れたため、鳥飼は博多との関係性が強くなった。

1983年というと国鉄民営化より早く、何故そんな時期に福岡市内を走る路線が廃止されてしまったのだろうか。

元々筑肥線はその名の通り、福岡県と佐賀県を結ぶ路線で、博多から鳥飼をはじめとした福岡市街の南の外縁を通っていき、糸島を経由して唐津の東から焼き物で有名な伊万里へ向かっていた。

福岡空港から博多、天神を貫く地下鉄空港線を造るにあたって、姪浜で筑肥線と繋げて筑肥線も電化、伊万里までは行く価値がないと判断されて唐津の中心部までの路線が新設され、福岡空港と唐津を結ぶ路線に生まれ変わった。

この時に博多ー鳥飼ー姪浜間はバッサリと廃止されてしまい、筑肥新道という道路に生まれ変わった。

特に佐賀を目指してないのにそんな道路名なのは元が筑肥線だったから。

なお、唐津ー伊万里間に残された区間は輸送密度が1,000人を切っており、このままいけば廃止になる可能性が高い。

そんな鳥飼に2005年になって七隈線がやってくることになるけれど、それは筑肥線の復活とはいえなかった。博多には行かないし。

六本松ー橋本間に関していえば、福岡の市域拡大による新興住宅地への足であり、城南線の進化系ではあっても、別府から博多に行くのに七隈線を使う人はそれほど多くはなかった。

ところが七隈線がこの度博多までつながったことで、経由は全然違うにしても鳥飼/別府と博多を繋ぐという意味では筑肥線が復活した。

そこで城南線と筑肥線の動線が重なる別府ー薬院間で混み合うことになったというところ。

混雑しているけれど、構造上増発はできないと市当局は述べている。

これは真っ赤な嘘。

なぜなら別府の次の駅である茶山にきちんとした引き上げ線が用意されていて、七隈線を設計した人は今のように城南線と筑肥線の動線が混戦する未来を読んでいた可能性が高い。

例えば3本に1本を茶山折り返しにすることによって、同じ車両回転数であっても茶山ー博多間を増発することができる。(橋本ー茶山間は減便)

また、単純に車両を増やすにしても茶山折り返し便なら車両の数は大幅に減らせるため実現しやすい。

今日びどこの都市のも新しい地下鉄路線を造ると想定より大幅に乗客が少ないことを叩かれるなかで、七隈線は非常に恵まれている。

だからこそ「構造上増発はできない」などと思考停止にならず七隈線をもっと磨いていってほしい。

それじゃあバイバイナマステ💚暑寒煮切でしたっ✨









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