中野のつけ麺史は二段構え
こんばんナマステ🤎Kyoskéこと暑寒煮切(あっさむにるぎり)だよっ⭐️
東京の中野がつけ麺の聖地として観光アッピールしているとのことだけど、
つけ麺が連食しづらい料理であるだけに観光マーケティング的にはどうだろうと思ってしまう反面、
共通のプラットフォームができる可能性には期待していい。
つけ麺はラーメンよりもテイクアウト、デリヴァリー、通販、自販機といったものとの相性がいい。
こういったものを地域共通のプラットフォームで取りまとめることができれば、つけ麺店が低コストで販路を拡大できる。
今はその店のつけだれにのみ合った麺が使われているけれど、中野汎用の麺を開発することで何店舗のつけだれを一度に食べ比べすることもできるようになる。
つけ麺は様々なつけだれを食べ比べするのに向いているはずなのに、こういうターリー的な供食をする店が全然ないのはカレー側から見ると非常にもったいないといつも思っている。
例えば中野ブロードウェイのなかだったり、リニューアル後の中野サンプラザだったりに、つけ麺のフードコートのようなものを設けたらどうだろう。
汎用麺を太さや形状などで選び、自分で好きなだけつけだれを買っていくようにすればいい。
麺もつけだれも500円にして、2,000円出せば3種類のつけだれを選べるとかさ。
それはそうと、中野の街が自分達をつけ麺発祥の地としか考えていないのはとても寂しい。
そんなの聖墳墓教会や岩のドームのないイェルサレムみたいなものだ。
中野大勝軒で山岸一雄氏がつけ麺(つけそば)を始めたのは1955年、
札幌の味の三平で味噌ラーメンが始まったり、福岡の元祖長浜屋で替え玉が始まったのも1955年。
東京のつけ麺、札幌の味噌、福岡の替え玉という文化が興ったことを1955年体制というのは自分の持論だったんだけど、ラーメン評論家の山本剛志氏も同じことを言っているのを見たことがある。
公式に発信したのは山本氏なのだから、山本氏の創案でいいんだけど、自分が独自で考えたものであることも強調しておきたい。
こんなこと言ってると、柏ラーショみたいに刺されちゃうよー😱
だけども、札幌における味噌ラーメンや長浜・博多における替え玉は一気に普及したけど、東京ではそこまでつけ麺が波及しただろうか。
20世紀の東京においてつけ麺が食べれたのは、山岸氏が独立開業した東池袋大勝軒の系譜、それに山岸氏がいた丸長の系譜(ある時のれん会でつけそばの講習会を開いたのだという)、中野大勝軒に目をつけた元祖つけ麺大王の系譜くらい。
ただ、東北にはずっと昔からざる中華というものがあり、東北出身者が東京で開いた町中華やラーメン店でざる中華を出していることは珍しくなかった。
東京には信州系の蕎麦屋が多いけど、東北系の蕎麦屋もある。
山岸氏をはじめ丸長系譜の人達はみんな信州出身で、丸長の長は長野を意味する。また、丸長系譜には丸信の屋号を持つ店もあるけど、これももちろん信州を意味する。
東池袋大勝軒や丸長のつけ麺は信州の蕎麦文化か来ているのに対して、ざる中華は東北の蕎麦文化から来ている。
ちなみに広島も独自の辛いつけ麺文化があるけど、発祥の店である新華園は冷麺と呼んでいた。
西日本で冷麺といえば東日本でいう冷やし中華を指す言葉であり、朝鮮料理のそれを指すときはわざわざ朝鮮冷麺と呼ぶ。
したがって新華園は冷やし中華からつけ麺を着想したと思われる。
さて、前世紀の東京において東池袋大勝軒、丸長、つけ麺大王以外では珍しかったし、認知度も低い料理だったつけ麺が、今世紀に入ると当たり前の料理になったのは何故なのか。
今、つけ麺といって思い浮かぶのは東池袋大勝軒以外では、とみ田、六厘舎、頑者、ほん田、炎上YouTuberなど豚骨魚介ばかりじゃないかな。
実はこの流れを創った店もまた中野にある。
1996年に創業した青葉は豚骨魚介スープの祖とされるけど(したがって中野は豚骨魚介の聖地としても売り出すべき)、創業当初からかどうか定かではないにしても、当時珍しかったつけ麺をごく初期から売り出した店でもある。それは中野という街だからなのか。
青葉に影響を受けた店としては、斑鳩やこうかいぼうもあるけど、頑者と炎上YouTuberことつじ田を挙げないわけにはいかない。
頑者は川越にあるというのがひとつのポイントで、西武新宿線を介して青葉の豚骨魚介つけ麺と武蔵野うどんの文化が交錯する場所ということになる。
武蔵野うどんばりの極太麺に併せるべく、武蔵野うどんの肉に代わって豚骨魚介スープに合うものとして載せられたのが魚粉ということになるのだろう。
炎上YouTuberははっきりと東池袋大勝軒、青葉、斑鳩(青葉インスパイア店)に影響を受けたと語っており、
しかしながら師匠的な存在である豚骨ラーメンの田中商店の影響でスープを濃厚にした。
濃厚魚介豚骨の創始者とされる渡なべの影響はないと言い切っている。
魚介豚骨の有名店ってここまでに出た斑鳩、渡なべをはじめ、俺の空、こうかいぼう、吉左右、それに炎上YouTuberも飯田橋を御茶ノ水に次ぐ第2の拠点にしており、青葉も飯田橋に長く支店があったりして、東京メトロ東西線にやたら集中している。これも青葉の影響力を感じるよね。
斑鳩の魚粉や太つけ麺と炎上YouTuberの濃厚魚介豚骨つけ麺の流れを合一させたのが六厘舎であり、
さらにつけ麺の本流である東池袋大勝軒のなかで茨城大勝軒系列(こうじグループ)がここに乗っかってきて、とみ田、ほん田、一燈といった人気店が出てきた。
とみ田やほん田のネーミングは炎上YouTuberから明らかに影響を受けてるよね。
炎上YouTuberが六厘舎やとみ田の力量を認めつつ複雑な表情をしているシーンをよく見受けるのは、このような歴史の流れによるもの。
こーやってつけ麺の人気店が次々と出てくるなかで、チェーン店なんかも出てきたりして、そんなところは炎上YouTuberのすだちを真似て麺にレモンかけさせたりしてるけど、そんなこんなで2000年代に一気につけ麺は広まった。
2000年代はまだまだ関東の食べ物、というイメージだったけど、2010年代には全国的に当たり前の食べ物になった。
ただ世界的に見ると炎上YouTuberが進出したLA近辺はつけ麺が普及してるけど、それ以外ではそんなに知られていない。
ここまで書いてきたように中野はつけ麺発祥の地であるだけでなく、青葉によるつけ麺中興の地でもあり、中野区はそれも理解しなければいけないと思う。
そして、これから中野がつけ麺文化を多言語で発信していくことで、つけ麺のグローバル化の尖兵になれば、中野がつけ麺史に果たした役割は三段構えになる。
ちなみにつけ麺の食べ方は、チャパティやナーン、ウタパムなどをカレーにドリップしていくのと同じだし、スパイスとの親和性が高いからインドでも流行ると思う。
是非中野はイギリス英語やヒンディー語、タミル語でつけ麺をアッピールしてもらいたい。
そもそも日本の観光ウェブサイトやパンフレットの大半がアメリカ英語で、インドの仕事してる立場からするとめちゃ違和感がある。
ラグビーワールドカップに期待したけど、それでも大して変わらなかった。
世界の大半はイギリス英語を学んでいるんだから、そっちでアッピールせなあかんて。
これは日本語よりイギリス英語がネイティヴといわれる麻生太郎元首相(現自民党副総裁)の、政界引退後にやるべき人生最後の仕事になると思う。
え❓彼にそれを任せたらアニメしかイギリス英語化が進まないって❓
それはそれでいいんじゃないかな😅
それじゃあバイバイナマステ🤎暑寒煮切でしたっ✨
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