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柏ラーショの終焉

こんばんナマステ💛Kyoskéこと暑寒煮切(あっさむにるぎり)だよっ⭐️

王道家が昨年10月にオーペンさせた柏ラーショが今日閉店する。

理由としてはややコンセプトを変えたリニューアルを行うからで、その際「○柏ネギラーメン」に店名を変更するため、柏ラーショとしては閉店ということになる。

王道家としては過去、野田市にあった王道を現在の神道家にリニューアルしているので、別にこれ自体はネガティヴな話ではないのだけど、

この店は実に波乱だらけだな、と感じるので、その軌跡を追ってみたい。

王道家の清水裕正社長がラーショことラーメンショップに関心を持ったのは、破門されているとはいえ今でも慕っている吉村家の吉村実会長(清水社長は今でも「社長」と呼び続けているけれど、現在の社長は長男の政和氏)が元々ラーメンショップで修業を積んで吉村家をオーペンさせたからで、家系ラーメンのプロトタイプを知りたいと思ったからだという。

ラーメンショップは1960年代後半に平和島の京浜トラックターミナルにあった屋台、椿食堂が始まりといわれる。

というか京浜トラックターミナル自体が1968年にオーペンしているので、恐らくはそれと同時なんだろう。

創業者は千駄ヶ谷のホープ軒で修行したという噂も聞いたことがあるけど、裏が取れてない。誰か詳しいこと知ってたら教えてほしい。

ホープ軒で修行したかどうかはわからないけど、東京近辺の屋台で出していた薄い豚骨ベースのラーメンの系譜であることは間違いない。

そして1973年頃に吉村氏がそこで修行をする。

実は椿食堂の位置自体が「羽田のトラックターミナル」となっていたり、それを基に吉村氏は平和島の支店ないしFC店で働いていた、みたいな情報が錯綜しているのだけど、

まず羽田にトラックターミナルというのはなく、それは京浜島トラックターミナルのことなので自分としては椿食堂は京浜トラックターミナルで創業し、かつ吉村氏もそこで働いていたと考えている。

吉村氏は師匠がこれまで仕入れていた酒井製麺を取り止め、自家製麺に切り替えたのを目の当たりにして、コストカットのためだと映り、不義理と感じたらしい。

そして吉村氏は翌1974年に吉村家を立ち上げたとき酒井製麺に声をかけて、以来懇意にし続けている。

このエピソードを知っていれば、その37年後に清水社長が自家製麺を始めると言った時破門にして、「あいつは金に目がくらんだ」と言い張るのも理解できる。

そこで思うのは、清水社長がこのエピソードを知らないはずはないし、吉村家から離れるためにあえて自家製麺に踏み切ったんじゃないかって。

その真相は兎も角、椿食堂が自家製麺を始めたのは、羽田に製造拠点ができたこと、そして今日まで続くフランチャイズ化に向けた布石だったのは明白。

そして吉村家がオーペンしたのと同じ1974年に椿食堂管理有限会社が立ち上がり、フランチャイズ展開を加速させることになる。

これとは別に、椿食堂管理が自家製麺を始めたため酒井製麺を使いたいラーショが椿食堂管理を離れてニューラーメンショップやさつまっこなどになったという話もあり、インターネットのない時代の時系列は正直よくわからない。

何にせよ椿食堂管理のフランチャイズが外れた店が多数出て、そして清水社長をはじめ独自でそれを始める店も出てきた今、ラーショはラーメンにおけるひとつの系統ということになった。

インターネットでラーショを食べ歩く人達の情報発信がなされたことも「系統化」の一因。

なお、吉村家・家系ラーメンの祖型がラーショであることを最初に論じたのは石神秀幸氏であることも付け加えておく。

さて、キリスト教ではイエス誕生以前の聖書、つまりユダヤ教のエピソードも学ぶことが義務になっているけれど、仏教では釈迦誕生以前のインド古典を学ぶことは義務とはなっていない。(『旧約聖書』というのはキリスト教側の言い方なので我々が無自覚に使うべき表現じゃない)

仏教と同じように家系ラーメンについても、吉村家と関連のない職人でも吉村家に詣でて本流を食べて学ぶことは当たり前になっているけれど、ラーショまで学ぼうと思う人は少ない。

しかし探求熱心な仏僧が『マハーバーラタ』や『ラーマーヤナ』に手を出すように清水社長もラーショに興味を持った。

ただし、それとは関係なく清水社長がラーメンそのものに興味があったのは高校時代にラーショを食べたからだそうで、実は自らの原点探しでもあるみたい。

清水社長は昨年の時点で構想10年と語っていたから、2012年、つまり吉村家直系を離れた翌年にはラーショをやろうと考えたらしい。

吉村家直系を離れて自由に支店を作れるようになったからでもあるけど、それと共に自家製麺の開発などを通じて吉村家の軌跡を追いたくなったんだろうね。

ということで、従業員への教育の一環としてラーショを作るようになり、2019年に取手から再び柏に戻ってくると、時折ラーショを提供するイヴェントをやるようになる。

当時は同じ柏のこってりラーメン誉とよく組んでいた。

誉は系譜をたどればホープ軒に行き着くので、遠く枝分かれした親戚であるラーショに興味があったのだろう。

現在の柏ラーショにしても当初は誉と組んでやると言っており、味噌は誉のものを使うとも言っていた。

いつの間にか誉のクレジットが消えているので、柏ラーショを立ち上げるどこかのタイミングで撤退したと思われる。

これは清水社長にとって最初の誤算だったかもしれない。なぜなら自身のキャリアからすれば明るくはないであろう味噌を開発しなければいけなくなったから。

並行して、ソラノイロ店主宮崎氏と仲良くなり、宮崎氏もラーショに興味を持っていたことから、ソラノイロとの協業も模索され、実際一緒にイヴェントもやった。

意気投合した二人はコラボ店舗を作ろうとするけど、見解に違いが出た様子。

池袋にあったソラノイロのグループ店を業態変更する以上、ソラノイロが経営するのでプロダクトは基本的に内製化したかったのに対して、清水社長は自身のラーショプロジェクトの一環と考えて自身でプロダクトしたものをソラノイロに卸すことを考えた。

二人で膝を突き合わせて考えを擦り合わせたら多分そんなことにはならなかったんだけど、第三者の介入で事態は急展開を迎える。

この様子を見ていたつけめんTETSU創業者でFIREした現在は伊蔵八中華そばなどを経営する小宮氏が宮崎氏に内製化の方法を進言したことで、宮崎氏は清水社長から小宮氏にパートナーを乗り換える。

そして昨年9月、柏ラーショよりひと足早くラーショマルミャーがオーペンする。

宮崎氏と小宮氏のブランドシェアリングというかたちで池袋については宮崎氏が運営、

その後大泉学園と世田谷の松原に小宮氏が運営する店舗もできた。(松原はなぜかマルミャーではなくマルミヤ名義、また大泉学園は既に閉店)

また、両名共同によるフランチャイズ展開も開始され、宇都宮にその1号店もできた。

上記の中で宮崎氏運営の池袋だけが王道家直伝の無限にんにくと刻みしょうがを用いており、そのレシピは宮崎氏しか知らないし誰にも教えないことにしているという。

ここだけ見れば清水社長とは割と円満に別れたように思えるけど、翌月柏ラーショができると事件が勃発する。

なんとマルミャーが「ラーショ」を商標登録しており、宮崎氏が商標権侵害だとして柏ラーショに怒鳴り込みに行く事件が勃発する。

不思議なのはある意味この件の黒幕といえる小宮氏に対して清水社長は一切恨みを持っていないこと。

恐らく小宮氏がなんらかの形でこの件を丸く納めたんだろう。

知財論争について救いだったのは、清水社長が柏ラーショのオーペンを見越して一昨年の時点で株式会社ラーショを立ち上げていたこと。

原理原則は後出しだろうと商標登録が無敵だけれど、先に使用されていたものについてはとやかく言いにくいよね。

小宮氏はこの点に目をつけたうえで、宮崎氏の行動について清水社長に陳謝したのではないかと想像する。

清水社長はそれを小宮氏の漢気と感じたんじゃないかな。

ただ、清水社長としてはラーショという名前を使うのはもうやめようとも思ったんじゃないか。

実はこの伏線もあって、今年2月に丼を突如「○柏ネギラーメン」のクレジットにしたものに替えたり、

4月新橋にオーペンした柏ラーショと赤坂あじさいのジョイント店は「○新ネギラーメン」として「ラーショ」の文言が入らなかった。

清水社長と宮崎氏・小宮氏の間で何らかの取り決めがあるのかないのかはわからないけれど、清水社長はロゴスとしての「ラーショ」からは撤退したことになる。

ここまでどちらかといえば空中戦だったけれど、今度は足元でも波乱が起きる。

柏ラーショの初代店長に抜擢されたのは、清水社長の熱烈な信者として知られた元都内ラーメン店の店長だった。

北陸地方に本店を持つラーメン店の都内支店で店長をしていた彼を、そこが閉店するのと柏ラーショのキックオフの時期が上手く重なったこともあり、いい感じでヘッドハントできたように思えた。

しかし、創業のバタバタをモロに喰らった彼はオーペン翌月末に退職してしまう。

そして未払いの残業代の請求を巡って弁護士を立てていることをtwitterで明らかにした。

これに対して清水社長は残業代を請求され応じる意思はあったものの彼から弁護士を間に立てると言われて現在交渉中である旨を述べ、そしてその後この件については何も表に出ていない。

前店長はその後一切の発信をやめて雲隠れしたものの、柏ラーショを批判するtweetをいいねし続けて古巣を腐す行為を続けていた。

そして突然先月末にtwitterに現れ、深夜の閉店後に柏ラーショの前で写真を撮り、隣の東横インで泊まるという挑発行為をしつつ、

成田市に「某家系ラーメン店で修行した」店主による家系ラーメン店が立ち上がることを告知した。

その店は取手の王道家に今年1月頃までいた人が店主を務めるようで、恐らくは清水社長の公認はない。

その人と前店長のツーショットもtwitterにあるので仲が良かったことがわかるけれど、前店長がその新店にどう関わるのかは不明。

単に友達の店を宣伝するだけなのか、パートナーとしてガッツリ関わるのか。

なんというか元ジャニーズ事務所の滝沢前副社長による新芸能事務所TOBEを髣髴とさせる展開だけど、これについてはとりあえず続報を待ちたい。

前店長がフェードアウトする前後で柏ラーショは味もオペレーションもかなり荒廃したけれど、

その時期に清水社長と懇意で、柏ラーショの出資者ともいわれるバリ男の岩崎氏がテコ入れをしている姿も見かけた。

それが効いたか今年に入ってから、味も安定し始めた。

4月に栃木県小山市のイヴェントに出店した際も地元の人気店に売上は遠く及ばなかったけれど、食べた人からは高評価も得られていた。

柏ラーショの客入りに関していうとなんとも言えない部分がある。

常にガラガラだけど、どんな時間でも1〜2人くらいは必ず店に入っているというのが柏ラーショの状況だった。

リニューアル前の食べ納めと思って昨夜行ったら、一時的に満席になるなど結構賑わっており、少しずつ地域に浸透しているのは間違いなかった。味もカコイチよかったし。

行列が当たり前の王道家と較べたら寂しいけれど、ラーショは牛久結束店など一部の人気店を除けばどこもそんなもの。

王道家アンチがよく柏ラーショの引き合いに出すラーメンショップ新柏店もそんな感じ。

彼らは地図を見て一番近くにある新柏を持ち上げてるんだろうけど、多分食べたことないだろうね。

パンチは弱めだけど、椿食堂管理の正統派の味わいで、とてもいいお店だよ。

ちなみに昨夜の柏ラーショで使用済みの麺箱は6箱積まれていた。つまりだいたい200玉くらいということ。

1.5玉無料サーヴィスなので半数がそれを頼み、かつ2玉など頼む人も多少いるとして150杯前後か。

王道家の半分もいかないけど、一般的に見れば十分な売上はある。

家系ラーメンとは原材料費が違うしね。

ただし、王道家のスタッフはある程度動ける人なら月50万円もらってるらしく、それと同等のギャラと考えると、この売り上げでは厳しい。

前述の「○新ネギラーメン」は王道家の麺箱でタワーができているので売上が全然違う。

新橋の方が明らかに売れているので、今度は柏の方を新橋の味に合わせるためにリニューアルするのだという。

個人的にはこれはぶっちゃけ違うと思う。

立地条件が違いすぎるので、新橋の味にしたって新橋の売上にはならないし、

新橋のスタッフは元々割烹のスタッフなのでとても上品にラーメンを作るけど、それは柏のスタッフには真似ができない。したがって組み立ては同じでも同じ味にならない。

多分今の大差ない売上にしかならないし、味噌ラーメンをやめてしまうことで減る可能性すらあると思う。

ただ深夜営業を始めるそうで、この近辺が呑み屋街であることを思えば、営業時間を伸ばした分だけ素直に売上は伸びそう。

ラーショの看板は下ろさなければいけなかったんだろうけど、味まで変える必要あったかなぁ。

少しずつ来客増えてたんだし、地道にやってたら黒字化も見えてきたんじゃないかと思う。

むしろ新橋と柏でそれぞれの味を出してた方がいいんじゃないかと思うけどね。したがって個人的には残念な決断だったかなぁ。

色々試行錯誤できるのは、王道家をはじめとした清水社長の直営4店が莫大な利益を叩き出しているからで、ある意味ではとても優雅な遊びを見せられている気はする。

清水社長は今後、ラーショと家系の中間的な味をやってみたいとも言っており、今回のリニューアルが成功すれば新たなプロジェクトに挑み始めるのだろう。

とりあえず自分はラーショのない街で育ったので、清水社長がラーショ始めなければラーショを食べることもなかったので、ラーショ始めてくれて本当にありがとうと言いたい。

清水社長のおかげで趣味がひとつ増えたんだから。

それじゃあバイバイナマステ💛暑寒煮切でしたっ✨

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