見出し画像

【エッセイ】運命の人と出会うのは自分次第

YouTubeのおすすめに「これを見れば運命の人と必ず出会える」という動画が出てきた。今のところ必要ないのでスルーしたが、かつての私なら間違いなく見ていただろう。

いつになったら運命の人と出会えるの?
というか、そもそも運命の人はいるの?

といつも悶々としていたっけ。

今の彼は運命の人だ。
しかし、以前思い描いていた運命の人とは違う。

かつて私が思い描いていた運命の人は「私の望みを訴えなくても叶えてくれる人」。

こんな人いるものか。
自分の思った通りに動く人なんていない。
我ながら稚拙だったと思う。

しかし、誰でも心の中でそう望んだことはあるだろう。相手が思うようにならないと不満を持ってしまうことは人間らしいとも言える。

けれど、そういう時は相手も自分に対して同様に思っている。相手は自分の鏡なのだから。

相手への不満を引きずったまま何の改善策も試みずにいると、いずれ別れにつながる。


もちろん、別れる原因は不満以外にもあるが、大半はやはり不満だろう。それでも良いと思うし、お互いが合意の上でスムーズにお別れできればメンタルのダメージも少ない。しかし、ひどい場合には不満が憎しみになってしまうことも。

ドロ沼裁判がまさに最たる例だ。思い通りにならない相手をどうにか思い通りにさせたいからドロ沼化するのだろう。ここまでくると「思い通りにする=服従させる」といった考えに近いと思う。

不満を大きくするも、無くすも全て自分次第。

ならば、相手を運命の人にするのもしないも自分次第なのでは。

彼とは確かに相性が良いし、私に合わせてくれる。でも趣味嗜好、性格は違う。


私は社交的。
彼は人見知り。

私は海外旅行が好き。
彼は飛行機が苦手だから、新婚旅行はヨーロッパへは行けない。

私はコース料理が好き。
彼は渋々付き合うけど、本当は苦手。
ロマンティック要素が皆無の男だ。


以上のようにいろいろと異なる。
これらに関しては少なからず不満がある(特に旅行)。


それでも、自分との違いを受け入れて仲良くできているのは、「この人と永くやっていきたい」という気持ちがあるから。
これに尽きる。

結局のところ、運命の人とは「ずっと一緒にいたい」という気持ちから生まれる「相手と合わせる姿勢」によってつくられるのではないだろうか。ドラマのような出会いもあるけど、実際には少ないと思う。

私の場合は、「彼が運命の人であってほしい」と思うから、不満があっても譲るところは譲って、仲良くいられる道を考える。

多分彼もそうだろう。
お互いに擦り合わせている。

この人をずっと好きでいたいという気持ちが、運命の人にするには必要だと実感している。

とはいえ、男女仲は一概に「こうすればうまくいく」と断言できないから難しい。どんなに譲歩してもうまくいかない時はいかないし、男女共にク◯野郎はいるわけで。いくら好きでも、自分が傷つくような奴を無理やり運命の人にする必要はない。

もし、今のパートナーが「運命の人」かわからないと悩んでいるなら、自分からそう仕立ててみれば良いと思う。

それで本当に運命を感じるなら良し。仮にうまくいかなかったとしても、自分なりに工夫して、相手を最高のパートナーにしようと働きかけた経験は、その後の人生においても役立つと思う。

もし彼が先に亡くなったときに「もっとこうすれば良かった」と後悔しないためにも、今は彼が運命の人であると考えて、向き合おうと思う。

「ビビッとくる人=運命の人」だけではないと思うのが、バツイチアラフォーの見解なり。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?