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『もものかんづめ』が引き寄せた39歳誕生日

 昨日は私の誕生日だった。39歳、30代フィナーレの幕開けとなる誕生日の過ごし方は、仕事か美術展へ行くかの二択だった。直前まで8対2で仕事が勝っていたが、服を着替えている最中に美術展が逆転勝ちした。黒地に赤・紫・黄の花柄がプリントされているアーティスティックなプリーツスカートをはいたらからだ。

 行ったのは、前々から行きたかった「印象派 モネからアメリカへ ウスター美術館所蔵」。会場は上野の東京都美術館だ。

 私は印象派が特別好きなわけではない。絵画教室に通う身としてアートの知識を広げたいのと、自分が描く絵のインスピレーションが欲しいから行くことにした。

 今回はちゃんとした目的を持って観に行ったわけだが、それまでは違った。それまでの最大の目的は自己陶酔。「アートといえば印象派」という世間に漂う風潮に従えば賢い人間になれると思い、周りからも「印象派を観るなんて博識」と見られるだろうと淡い期待を抱いていた。また、美術館は行くだけですっと背筋が伸びて気持ち良くなれる。恥ずかしい話だが、自分は特別と思うために観に行っていたのが正直なところだ。

 かつてはミーハー心で観ていた私も、絵を描くようになったおかけで今回は細部まで注意深く観た。印象派がいかに光が織りなす「今この瞬間」の再現にこだわっているのかを感じることができた。以前よりも作品そのものに興味を持ち、自分の絵の参考にしようと思える姿勢になったのは我ながら成長を感じる。

 大変有意義な時間を過ごせた。仕事を選ばずにここに来た自分を褒めたくなった。充実感を覚えながら美術展を後にし、行く途中見つけた屋台街に向かった。

 そこは開花に先立って行われていた「うえの桜フェスタ2024」。会場は牛串やクレープ、日本酒など花見の時期に食べたくなるラインアップで見るだけでワクワクした。何か食べようとするも、残念ながら朝に麻婆豆腐とご飯を食べたためお腹が空いていない。雰囲気だけ味わいつつ会場を後にする。

 あ〜何か食べたかったと思いながら歩いていると、少し離れたところに移動式カフェが。なになに、エチオピア豆を使ったカフェオレがあるのか。固形物は入らないが飲み物が入る余裕はある。こだわっていそうなので買った。

 普段飲むカフェオレよりも苦味と酸味があり、ミルクのコクを感じる上質な味。美術展帰りにふさわしい味だった。アートの余韻に浸りながら味わうカフェオレは格別で、これまた私の気分を良くした。そのまま足早に駅に向かった。

 電車に乗り、持ってきた本を開く。読んでいるのは、さくらももこの『もものかんづめ』。『ちびまる子ちゃん』のまる子役・TARAKOの訃報を知り、ふと彼女のことも思い出したので購入した。

 これがのめり込むほど面白い。私はせっかちな性格なので、いくら好きな作家でも先が気になってソワソワしてしまうが、同書は一文一文がたやすく想像できるかつ「それ、あるある」的な親近感が湧く描写なので後先考えずに読み込んでしまう。

 どのエッセイも平凡な日々の体験、回想記でとっつきやすい。また、しょうもない話なのもいい。それを冷静かつシュールに語るのもじわる。読み込んでしまう理由に巧みな言葉遣いもあげられる。あのまるちゃんがこんなに賢い人だったのかと驚くほど言葉選びや語彙力が秀逸。確か、さくら氏は平成の清少納言だか紫式部とか呼ばれていると聞いたことある。さすがそう呼ばれるだけあるわぁと心の中で唸ってしまう。

 しかし、内容はややお下品なものが多い。具体的にいうと糞の話とかおならプーとか。そこがまた”まるちゃんらしさ”を感じる。

『ちびまる子ちゃん』では、鼻水とよだれを垂れ流して号泣するみぎわさんのブッサイクな姿に笑いを堪えるまる子が描かれている話があった。他にも、やはりおならプーとか小学生が興奮する話が多かったと記憶している。さくら氏はそういう話を面白いかつ低俗にならないように語る才能がある人だと思う。だって、普通ならこの類の話を語ると下品になりやすいが、さくらももこ氏の語り口調は人間の心理をついている。だから、下品ではなく酒の肴に適した言いっぷりだと思う。ちなみに私はこれ系の話が大好きだ。

 先ほどまでの高尚な時間と対局する『もものかんづめ』を立ちながら読んでいると、あっという間に西荻窪に着いた。平日、そのときは夕方16時過ぎ、中央線の下りなので普段なら座れるが、この日はなかなかに人が多く座れずにいた。西荻窪に着くと一席空き、すかさず席を確保した。

 さて、ようやく座ってゆっくり読めると思ったのも束の間、右隣から異様な視線を感じた。

 なんと、隣の人がこちらを向いて思い切り鼻くそをほじっていたのだ。

 その人はおかっぱをシチサンにしたような髪型で小柄だったが、性別はわからない。怖くて直視できなかったからだ。しかし、鼻くそをほじっているのはわかった。正面の窓ガラスに映っていたし、右側から私に向けた圧力ともいえる熱視線をビンビンと感じたからだ。

 着席してからここまで、おそらく4、5秒ほどのこと。このまま座っていたら間違いなく鼻くそを付けられる。身の危険を感じた私は、辺りをキョロキョロ見るふりをしたまますぐさま立ち上がり、駆け足で隣の号車に移動した。

 もちろん、すぐに入れる出入り口からは入らない。2つ、3つ先の出入り口から入った。もしその人に、鼻くそをつけられると思って逃げたことが少しでもバレたら、後を追われると思ったからだ。

 鼻くそ野郎は追ってくることもなく、無事に隣の号車に移動できた。ラッキーなことに一席空いていたのですぐさま座った。読書を再開すると、ふと「引き寄せの法則」が頭によぎった。

 まさか今のご時世、いや、アートを堪能した帰り道に鼻くそをゴリゴリとほじっている人の隣に座ってしまうとは。これはもしや、鼻水、おならプー、糞の話が好きなさくら氏の本を読んでいるから引き寄せたのだろうか。これが引き寄せの法則なのか。少し『もものかんづめ』が怖くなった。30代ラストイヤーは、高尚と低俗が入り混じる幕開けとなった。

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