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「理屈じゃない」の国の正体

「明治維新で西欧社会が一神論で動いてると知った岩倉具視の一行が現人神をでっち上げて何とか和魂洋才といって、富国強兵、殖産興業と軍国主義で何とか体面を保って来たものの、第二次世界大戦に敗れ、天皇が人間宣言しちまったものだから、その不満分子が日本会議なんてのを立ち上げて根拠のない全能感掲げ日本人無謬論を唱え出したってわけである。
日本人がすることなすことカルト化する、ロバートペラ曰く「日本人はマルキシズムさえも神道化する」何故なら、国家神道=現人神=カルトだからである。」

昨日HPを修正していて思ったんだが、
日本は似非近代国家なんて通り越して、カルトそのものなのではないかということだ。

「俺はこれを「理屈じゃない」の国と呼ぶ、
二言目には「細けえことはいいんだよ」と言う、
その細けえことが理屈なんだからびっくりする!
三段論法の前提と結論が全く関係なくても平気なのが日本人、
二行で自己矛盾を惹き起こし、下手したら一行でも自己矛盾の日本人、酔っ払いの戯れ事だと思えば間違いない!
一つ言える事は、日本人に論理の整合性なんて期待しても無駄だって事、何せ「理屈じゃない」の国なんだから、日本人が細けえ事はええんだよって言う時の細けえ事ってのはこの世で一番大切な理屈なんだから、そこを皆勘違いしてるんじゃないの?
皆の言いたい事もわかるけど、日本が「理屈じゃない」の国だって事忘れてやしないかい?
なんか皆さん日本で理屈が通用すると言う前提でああでもない、こうでもないと言ってるみたいだけど、日本は「理屈じゃない」の国、倫理規範の欠如する癒着談合隠蔽の国である事を此処で再確認させて頂きたいのです。」

なんて書いてみたものの、よくよく考えてみれば、「理屈じゃない」、では何なのか、それは論理じゃなくて感情でもなくて「信心」なんじゃないかと思ったからだ。

今までは、

「聖俗未分離、政教未分離の極致、宗教犯と政治犯に分離していない確信犯集団、統一教会カルト、創価学会カルト、日本会議カルトに政府を牛耳られて、これを未開と呼ばず何と呼べば良いのだ」

などと表現していたが、政府をカルトに牛耳られているのではなく、日本という国がカルトそのものなのじゃないかということだったのである。

40の時人生を白紙に戻した際に、どこまで白紙に戻すのか考えたのだが、
自分で考えることに信じることを加えて、自分で考えることと信じることにしたのだ。
科学で解明できないことは信じるしかないという意味合でである。
当初は日本人はこの信じることが少ないのではないかと考えていたが、今考えてみると全く逆で、日本人は科学的でなく従って論理的でないので、どうしても信じることの比率が高まってしまい、理屈じゃない即ち信心深いというのが正解だと思われるのだ。


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