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遠くで

ツイッターを眺めていたら、芸人コンビの阿佐ヶ谷姉妹のインタビュー記事を見つけた。質問も、ふたりの言葉も、途中に入る写真も、そのキャプションもおもしろくて、最後まで読んだ。取材と文はライターの生湯葉シホさんという方だった。プロフィールを見たりしているうちに、気づいた。生湯葉さんの短歌を私は知っていた。

昨年公開された映画『ひかりの歌』は、2015年に開催した「光の短歌コンテスト」をきっかけとして生まれた。このコンテストの選者は歌人の枡野浩一さんと私、そして4人の俳優。光をテーマにした短歌を募集し、4首を選ぶ。入選作の副賞は、その4人の俳優を主演としたそれぞれの短歌の映画化だった。生湯葉さんの短歌はその最終選考に残っていて、よく覚えている。

ものすごく遠いところにいてください たまに光ってみせてください

生湯葉さんのnoteに「生湯葉が書いた文章まとめ」という記事があり、40万回読まれたエッセイとして紹介されていた「限界の足音」を読んだ。そこには行方知れずになった人のことが書かれていた。上の短歌はここから生まれたのだとわかった。生湯葉さんのエッセイは、時間差で届いた手紙のようだった。

『ひかりの歌』より前、私はずっと、いなくなった人の映画を作っていた。前作『ひとつの歌』(2011)に登場する清水という役は、枡野さんが演じてくれた。清水は、ある事件をきっかけに、家族を置いて長く離れていた家に帰ってくる。門を開けることはなく、表の道からただその2階を見上げている。

その『ひとつの歌』を準備しているころ、毎日のように聴いていた曲があった。浜田真理子の「Someday soon」という、遠くに行ってしまった人を思う歌だった。初めて聴いたとき、20代の頃に作った『河の恋人』という映画と自分のなかで重なって、涙が止まらなくなっていた。失踪した父親を持つ、ある高校生とその母親が、アパートの部屋から引越しをする1日を描いた映画だった。その日になっても母親は窓辺に座り、外を眺め、帰ることのない夫を心のどこかで待っている。荷物のなくなった部屋で2人が向き合う終盤のシーンに、その曲でも歌われている、ペットボトルの水が出てくる。

「光の短歌コンテスト」の副賞として制作した4つの短編映画は、その後に4つの章からなる長編映画『ひかりの歌』として劇場公開された。その第4章は、7年間行方不明だった夫が妻の前に現れるシーンからはじまる。どこかで、いなくなった人が帰ってくる映画を作ろうと思うようになっていた。

生湯葉さんの短歌は、『ひかりの歌』のフレームの外側で、私の手にも届かないところで響き合っていたのかもしれない。映画の公開も終えたいま、それを知ることができた。

前作の『ひとつの歌』は、カメラを日常的に持ち歩く青年を主人公とする映画だった。その日常は、家を見上げる清水の背中を偶然撮影してしまうことで、変わっていく。脚本を書くにあたって、まずはその日常をすこしでも知ろうと、2008年に中古カメラの販売店に行き、一眼レフのカメラを購入した。「Someday soon」を聴きながら、毎日のように写真を撮る生活をつづけた。今日、ひさしぶりに同じ店を訪ね、そのときと同じ機種のカメラとレンズを買った。その帰りの電車で、生湯葉さんの記事を読んでいた。

準備をはじめた映画がある。この春に撮影する。そのカメラで最初に撮る写真とともに、発表しようと思っている。

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