第8回ちば映画祭上映作品 反対になった電池が光らない理由だなんて思えなかった 始発待つ光のなかでピーナツは未来の車みたいなかたち その3

2015年に、lysリュースというサイトを立ち上げた。4人のフリーランスの俳優のサポートが目的。プロフィールが掲載されて、窓口になるサイト。イラストと文字は、そのうちのひとり、笠島智さんが描いてくれて、デザインは岸野統隆さんによるもの。岸野さんは『ひとつの歌』のサイトをデザインしてくれた方。Noxie & Choroneというバンドもやっていて、そのミュージックビデオの制作を頼まれている。曲を受け取ったのが夏で、聴いたら冬の歌だった。夏の、越後妻有に通っている間、車のなかでずっと聴いていた。急ぎませんからという言葉に甘えて冬の2月に撮影した。ちば映画祭と、秋からつづいている仕事がひと段落したら編集する。

並木愛枝さんを初めて見たのは、渋谷のシネクイントに『あした家族』を見に行ったとき。群青いろの高橋泉さんと廣末哲万さんが登壇していて、途中、司会の天野真弓さんに促されて、客席から舞台に上がった。やわらかく話す人だった。その後、お酒の席で何度か会って話した。今度ひさしぶりに商業映画の現場に行くという話になって、どちらが言い出したかは忘れたけれど、付き人として行くことになった。『at Home アットホーム』という映画で、竹野内豊さんの元妻の役だった。刑務所の面会室のガラス板越しに、ふたりで長く話すシーン。狭いロケセットにたくさんのスタッフ。カメラが目の前にあって、照明もあらゆる方向から照らしている。いきなり入ったその場所で、涙も流す長いやりとり。並木さんが現場に誰か付いてきてほしいと思った気持ちがよくわかった。最初のテストで通して芝居をしているとき、現場の空気が静まるのがわかった。並木さんが竹野内さんに向けて発する小さな声が、隣の部屋からでもよく聴こえて、そのあとも現場は静まったままだった。それからしばらくして、ある海外の監督の作品のオーディションに付き人として一緒に行った。監督と面会し、その場でワンシーンを演じてみせる。離れたところから見ていたけれど、並木さんを見ていたら泣いてしまった。カメラ、いま回すのにと思った。

笠島智さんを初めて見たのは、『ミスターホーム』という映画のワークショップオーディションを見学に行ったとき。この作品で撮影を担当することになっていた。立教大学での授業のあと、遅れて会場に行き、ドアを開けると笠島さんが芝居をしているところだった。まだ台本を受け取っていなかったけれど、彼女が主役なのだろうと思った。それを伝えると池田千尋監督がうれしそうに、そうなのと言った。その撮影のために長く勤めていた会社を辞めたこと。俳優を始めたばかりでいきなり主役として作品を引き受けること。原因はわからないけれど、撮影に入ると笠島さんの体はかたくなっていた。監督ではなかったけれど、思いつく限りのアドバイスをした。私もどうしたらいいのか、毎日試行錯誤していた。最終日、ラストのひとつ手前のシーンのテストをしたとき、ファインダー越しに笠島さんの背中を見ながら、涙がこみ上げてきそうになった。現場で泣くと判断が鈍くなるから、こらえる。池田監督に、このシーンがラストでいいのではと提案したら、頷いた。笠島さんの背中が、映画がそこで終わることを教えてくれた。これを書いている20日(日)の、ちば映画祭初日に上映する『遠くの水』では衣裳を務めてくれて、ワンシーンだけ出演もしている。

北村美岬さんを初めて見たのは、横浜での高校生対象の演劇ワークショップを撮影しにいったとき。『南波姉妹』という、演劇をやっている姉妹のドキュメンタリーを、もう何年も前から撮影していて、完成は10年か20年先と思ってまだつづけている。姉の南波圭がそのワークショップのリーダーを務めていた。北村さんはそのワークショップの出身者で、そのときはスタッフとして参加していた。南波圭と高校生たちを主に撮影していたから、北村さんの印象はあまり残っていない。次にちゃんと会ったのは、私が川崎の高校にゲスト講師でいったとき。学校側が呼んでいたアシスタントのひとりが北村さんだった。そのとき、自分が出演している映画だと言ってチラシを一枚渡してくれた。『ひねくれてもポップ』という作品。ワークショップのスタッフの間は気づけなかったけれど、スクリーンに映る北村さんはとてもよかった。あんまりいいから、誰かに薦めることにした。ちょうどそのころ、吉祥寺のバウスシアターで爆音映画祭がやっていて、『ミレニアム・マンボ』の上映に行けば、きっと池田千尋監督もいるだろうから、上映後に紹介しようと決めて、誘って見に行った。上映後にみんなで台湾料理を食べた。池田監督は北村さんのことをすでに知っていて、私も気になっていたと言った。それで実現したのが『重なり連なる』。

伊東茄那さんに初めて会ったのは、その二年前の同じ高校での授業で、当時高校2年生だった。3日間ある授業の初日に伊東さんが撮った映像を覚えている。図書室で、棚の高い段に置かれた本に手を伸ばす女の子がいる。通りかかった男の子が取って渡して去っていく。女の子はその背中を見送る。一部始終を見ていた図書委員の女の子がひゅーひゅーとはやしたてる。人物の配置も芝居もカメラ位置も完璧だった。なにより撮っている姿がたのしそうだった。最後の授業を終えたあと、伊東さんはそばにやってきて、来年も来ますかと言った。近くにいた担当の先生に、私は来年も来ますかと尋ねたら頷いた。来るみたいと伝えると、ありがとうございますと言って帰っていった。映画の道に進む人を育てるつもりで授業やワークショップをやることはないのだけれど、すでに才能に溢れている人に出会った場合にどうすればいいのか考えていなかった。3年生のときに再会すると、映像の道に進みたいと言うので、担当の先生と一緒に進路の相談をした。卒業した次の年に、その高校を舞台に短編映画を一緒に作った。『たぶららさ』というタイトル。その短編をたまたま見てくれた方が、ミュージシャンのコトリンゴさんの新曲ミュージックビデオの監督に抜擢してくれた。「ツバメが飛ぶうた」というタイトル。

lysリュースのサイトを立ち上げたのはいいけれど、ネットで4人の名前を検索しても、最後のページに表示されるだけで、存在しないのも同じだった。サイトのURLに飛んでくる人が増えない限り、検索で上位には来ないと知った。歌人の枡野浩一さんと夕食をご一緒したときにその話をしたら、短歌コンテストを開くのはどうですかと提案してくれた。短歌の応募先をツイッター上にして、応募するときにかならず短歌の横にサイトのURLを貼り付けることをルールにしたら、サイトに飛んでくる人も増えて、検索の上位に来るのではと。その通りになった。短歌を応募してくれた人たちに返せるものがなくて、私ができることは映画を作ることくらいで、せめて優秀作品を映画化しようと決めた。4首の短歌で4本の短編をそれぞれ4人の俳優主演で作ったら、彼女たちの動くプロフィールにもなる。今回のちば映画祭で上映する2本は、北村さんと笠島さんが主演。つづきものにしていて、合わせて長編映画にもなる。年度が明けたら、並木さんと伊東さんの映画の準備にも取りかかる。

次の2本の原作短歌。

100円の傘を通してこの街の看板すべてぼんやり光る
(沖川泰平)

自販機の光にふらふら歩み寄り ごめんなさいってつぶやいていた
(宇津つよし)


第8回ちば映画祭 杉田協士監督特集② “lysリュース(光)の芽吹き

上映作品 『反対になった電池が光らない理由だなんて思えなかった』
     『始発待つ光のなかでピーナツは未来の車みたいなかたち』

予告編

3月21日(月・祝)13時45分から 当日料金1000円
千葉市生涯学習センター
にて(千葉市中央区弁天3丁目7−7 JR千葉駅から徒歩8分)

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