第19回全州国際映画祭 パンさん

5月4日(金)

すこし寝坊。ホテル2階のビュッフェへ。愛枝さんと勝さんにSNSを使って連絡。ふたりの方が起きるのが遅かったらしい。あとで聞いたら、前夜の解散後に、『僕の帰る場所』チーム、『サイモン&タダタカシ』の小田学さんたちと、ホテル前の店でさらに遅くまで飲んでたとのこと。勝さんは、ビビンバ発祥の地の全州で、いちばんおいしいビビンバを食べてみたいと言ってて、お昼に愛枝さんと3人で行く約束をする。やっぱり地元出身のボランティアスタッフの人に訊いておいてくれるとのこと。私は、はじまった映画祭でさっそく映画を見たくて、昼にホテルに戻る約束をして、気になった作品が上映される劇場へ。

1階のチケットカウンターで、ゲストパスを使ってチケットを入手。このときはまだ、ホテルのロビーの特設カウンターでも発券してもらえると知らなかった。午前10時から上映のコンペティション部門『The Return』(韓国・デンマーク/マレーネ・チョイ・ジェンセン監督)。前日に見た『焼肉ドラゴン』のその後につながるような物語。韓国で生まれてすぐにデンマークに移され、里親の元で育ったという、似た境遇のふたりが出会い、お互いの生みの親を探す手助けをする。ふたりとも話せるのはデンマーク語と英語で、生まれた土地の言葉を話せない。ずっとふたりでいるけれど、ひとりきりのような時間。それはお互いを尊重するから。でもどこかで、自分がつながれるなにかを探してる。これが終わったらどうするの? とひとりが訊き、家に帰るともうひとりが答える。その、家に帰ると発せられた言葉がふたりの間に漂う。その気配を、発した本人も感じながら、お互いにそれ以上は語らない。叔母と会うことができ、母親が好きだったという手料理を食べたひとりが、このあとどうするの? とふたたび訊かれる。もうすこしこの街にいてみると答えたときに見せる顔が残る。

ホテルのロビーに戻り、特設カウンターにチケットの発券をしてくれる人がいるのに気づき、午後に上映の『僕の帰る場所』と、夜に上映の『ミスミソウ』のチケットを取る。ミンスンさんに声をかけられ、小説の単行本を1冊進呈される。『アンダー、サンダー、テンダー』(チョン・セラン著、吉川凪訳)で、帯に小説家の朝井リョウさんのコメントがある。今回のゲストひとりひとりに合わせた、日本で刊行されてる韓国の小説を選んでプレゼントしてるらしい。自国の文学を他国の映画の人たちに紹介もできるし、みんなうれしい気持ちになれるプレゼント。私に選んでくれた本は、新宿で映画『タクシー運転手』を見た帰りに、韓国の小説をなにか読みたくなって探しに入った書店で、買うかどうか最後まで迷った1冊だった。結局、同じシリーズのなかの、光州事件を扱った『少年が来る』(ハン・ガン著、井出俊作訳)を選んだのだけれど、悩んだその本を韓国でプレゼントされるなんて、思いもよらず。ミンスンさんの選眼に感謝の気持ち。全州滞在中に、きっとお礼をしたくなる人が何人かいるだろうと思って、金魚の柄の手ぬぐいを用意してた。部屋に取りに戻り、ミンスンさんとユアンさん、おいしい店の場所を教えてくれたボランティアスタッフの人(名前を聞きそびれてしまった)に渡した。

勝さん、愛枝さんと合流。たまたまいた『リバーズ・エッジ』の行定勲さんと立ち話。行定さんが持ってたガイドブックのページを指差して、自己紹介も兼ねて『ひかりの歌』のことを話したら、このスチール(宣伝写真)気になってたんだよと教えてくれる。このスチールいいよ、俺が撮るものに近いんだよ、これゴルフしてるところ? と訊かれ、ジョギングですと伝える。行定さん、午後まで時間が空いてるとのことで、石焼ビビンバにお誘いしたら、一緒に行くことに。4人でタクシーに。着いた店は平屋の瓦屋根。入り口は順番待ちの人たちでいっぱい。行定さんの戻りの時間もあるし、まよったけれど、きっと客の出入りの回転が早いんじゃないかと判断して並ぶことに。順番待ちの紙に、ハングルで自分の名前を書いてみる。ある程度のテーブルが空いたところで、一気に客入れするシステムらしく、すぐに「スギタ」と名前を呼ばれる。表記が合ってたみたいでほっとする。メニューのなかから、店のいちばんの定番らしいビビンバを3人が選び、つられて私も同じものを注文。メニューに載ってる写真の器が銀色で、石焼じゃないんだと思ったけれど、出てきた器に触ったら熱かった。ステンレス製かなにかの器。石焼きは、石で焼くわけじゃなかった。初日に入った食堂でもそうだったけれど、注文した品以外に、白菜や大根のキムチ、トウモロコシをマヨネーズで和えたものなどが小皿で出てきて、それがもうおいしい。注文したビビンバには、日本では食べられないユッケも載ってて、混ぜて一口食べたら、いろんな味覚が一気に同時に。おいしい。みんなもよろこんでる。勝さんが記念写真を撮影。行定さんとお話するのははじめてで、いまの日本の映画界のこと、今後進んでいく方向、考えてる企画、惜しみなく話してくれて、そんなこと考えてるんだと、勝手に持ってた行定さんのイメージからは溢れてて、会わないとその人のことはわからないという、当たり前のことを思った。行定さんがぜんぶご馳走してくれた。店を出ると勝さんがタクシーをつかまえてくれてる。目的のものを食べたかったら、意地でも実行する勝さんの動きのよさに行定さんが関心してて、日本に帰ってからもごはんのときは連絡するとわらってた。

ホテルに戻って一旦解散。珈琲が飲みたくなって、パンさんと出会ったカフェへ。遠くに私の姿を見つけて、まだ2回目なのに、店主の人がわらって手を振ってくれる。アメリカンを注文してテラス席へ。見回してみると、やっぱり居心地のいい場所で、だれもいない空間をiPhoneで撮影。店のWi-Fiを使って、前日にパンさんと会ったカフェとして写真付きでツイッターにアップロードして、顔を上げたらパンさんがいた。パンさんも映画祭でなにか作品を見てきたとのこと。他にもチケットをいくつか買ったらしく、見せてくれる。「빛의 노래 / Listen to Light」と書いてある。『ひかりの歌』のチケット、ほんとうに買ってくれてた。記念に写真を撮らせてほしいとお願いしたら、アイム ギャングスターと言って、チケットを胸の前に持って、アメリカ映画でよく見る囚人のようなポーズ。パンさんは昼食にサラダを注文して、一緒のテーブルに座った。韓国では、目上の人の前で煙草を吸うのは無礼だった気がして、謝ると、ここは煙草を吸える席だよと言ってくれた。全州スタイルの酒の飲み方を教えたいとのことで、今夜一緒に飲みに行こうと誘ってくれる。その夜は、映画祭主催のパーティがあって、そこにみんなで行く約束になってた。私は『ひかりの歌』の実質のプロデューサーでもあるし、パーティはつながりを作れる大事な場所で、ちょっと返事に迷ったけれど、パンさんと飲みたいと思って、行きたいですと伝える。『ミスミソウ』の終映時間を調べて伝えると、オーケー、じゃあその時間にここで待ち合わせしようと決めてくれた。

ホテルに戻ってすこし休憩。ロビーで、小田学さんが困ってるのを見かける。次の日の、朝一番に上映の『サイモン&タダタカシ』のチケットが、ゲスト分も一般発売分も完売になってて、でも小田さんは行定さんに1枚用意したくて、悩んだ末に自分のチケットを渡してて、翌朝に早起きして当日券20枚分を狙って並びに行くことにしたらしい。ただ、英語が少しも話せなくて心配とのことだった。私も小田さんの作品を見たかったけれど、チケットがなくてあきらめてた。小田さんが当日券に並びにいくなら、一緒に行けば、私もチケットを手に入れられるかもしれないし、小田さんの不安もすこし解消されるだろうと思って、私も行きますと提案した。よろこんでくれた。朝の8時30分にチケット販売が開始されるらしく、7時にロビーで待ち合わせすることになった。

勝さんと合流。劇場へ。ワールドシネマスケープ部門の『僕の帰る場所』(日本、藤元明緒監督)。東京国際映画祭での上映では見逃して、気になってて、今回叶った。まだ公式サイトなどに、ストーリーなど詳細が出てないから、踏み込んで書くのは控えるけれど、東京で暮らす、ミャンマー人の幼いこどもふたりと夫婦の4人家族の物語。午前中に見た『The Return』と同じく、言葉と家の問題が底にある。見てからずいぶん経ったいまも、覚えてるたくさんの瞬間。あと、ひとつの言葉。その言葉は、幼いこどもが発したもので、いつか自分もそんな言葉を口にしてもいいのかもしれないと、助けられたような気持ちになった。すごいセリフ。その場面に差してた光と一緒に残ってる。入国管理局のなかの面会室の場面の言葉も忘れられない。話されたものではなく、それは書かれた言葉だった。日本国内での公開の準備も進んでるようで、きっとまた見にいく。上映後のQ&Aトークで、ひとりのお客さんが壇上の作品チームに伝えた言葉。『僕の帰る場所』がどういう映画だったのかを言い当ててるようだった。上映後、ロビーで藤元さんに挨拶して、感想を伝える。チームみなさんの記念写真も撮らせてもらった。夜のパーティには参加しないで、パンさんと飲みにいきますと勝さんに伝える。道順などを覚えられず、旅先でひとりのときは心配で、ホテルの部屋にこもりがちだという愛枝さんのこと、勝さんが任しときと言ってくれる。

ホテルに戻り、部屋ですこし休憩して、ふたたび劇場へ。ミッドナイトシネマ部門の『ミスミソウ』(日本、内藤瑛亮監督)。非常勤で通ってる高校の生徒たちに、内藤さんのツイッターでのつぶやきを紹介しつつ、まだ見てないのに勧めてた作品。雪国の、閉校が決まってる高校の生徒たち、先生、家族の物語。ほとんど降らない場所で育ったから、雪の土地に行くと、湿度がないことに毎回おどろく。雪は水分だから、空気も湿ってるイメージを持ってしまうけれど、実際は乾燥してる。『ミスミソウ』も湿度を感じなかった。物語が進むにつれて、血が流れ、できごとのひとつひとつは湿度をともなってくのに、どこか乾いてる。そのことがこわい。人も、からくり人形に見えてく。血を流し、胃液を吐きもするけれど、汗は流れない。学校が閉鎖されるという物語には、ノスタルジーがついてまわるけれど、ここではだれも、きっとそのことになにも感じてない。帰る場所を最初から持たない、もしくは諦めてる人たちの物語だった。そのなかで、もし帰る場所への希望を持ち、行動に移そうとすると、破滅がやってくる。だから、唯一できるのは、ひとり心のうちに秘めること。そこでは雪は降らなくて、陽が差して、風が吹いて、カーテンが揺れてる。エンドクレジットで、「照明 秋山恵二郎」を見つけて、知らなかったから、うれしい気持ち。普段は恵二郎と呼んでる。『ひかりの歌』の撮影の飯岡幸子さんのパートナー。飯岡さんと知り合うずっと前から、恵二郎が高校生のときから知ってる。東京国際映画祭での『ひかりの歌』の上映のとき、ご両親がロビーに現れて、恵二郎が関わってないのにどうして? と一瞬戸惑い、飯岡さんが撮影だからだと気づくくらい、まだふたりが夫婦だという設定に慣れてない。照明以上に、現場に恵二郎がいてくれるといいなと、いつか叶えられたらと、ずっと思ってる。内藤さんのQ&Aトークまで聞いてたかったけれど、時間を確認したら、パンさんとの待ち合わせ時間をすぎてた。終映時間をまちがえてた。同じ列で見てた鈴木卓爾さんに挨拶をして、退席。

劇場からカフェまで走った。10分くらい待ち合わせの時間からすぎてる。電話で連絡は取れないし、焦る。パンさん、入口のそばに腕を組んで立ってて、気づくとわらって、よし行こうとすぐに歩きだした。ビールを飲みたいか、マッコリを飲みたいかを訊かれて、喉が渇いてたからビールと伝える。どちらを選ぶかで、行く店も変わるようだった。歩くのが早い。腕を組んでたのは、やっぱり全州の夜はさむいから。ずいぶん歩いたところで、立ち止まる。あたりを見回して、道を間違えたとわらってる。ソーリーソーリーと言いながら、来た道を戻ったり、角を曲がったり。私は映画を見てるときからトイレを我慢してて、意識がぼんやりしていく。遠くに看板を見つけて、近づいたらその店は満席で賑わってて、並んでる人もいた。パンさん、がっかりしてる。そこの30メートルほど手前にあった店がよさそうな雰囲気だったから、パンさんがすこしでも落ち込まないようにと思って、あと、トイレのこともあって、あそこに行きたいと伝える。そうしようということで、来た道を戻る。

まずはトイレ。戻ってきたら、パンさんが冷蔵庫から瓶ビールを自分で取り出してる。東京の練馬にも同じシステムの店がある。恵二郎の兄の耕太郎によく連れていってもらった店で、親近感がわいた。グラスにビールを注いでくれて、お返しをしようとしたら、断られる。なにか説明してくれてるけれど、聞き取れない。店の人が、1本だけ別に瓶ビールを持ってくる。手にしてすぐにわかった。パンさんはビールを常温で飲むらしい。胃にやさしいから常温のビールを飲むと伝えてくれてたのだと、ようやくわかる。炙られてパッサパサになった魚のつまみが出てくる。それをむしって、コチュジャンのような辛いタレをつけて、ちょっとずつ食べながらビールを飲む。パンさんの言ってた全州スタイル。おいしい。おいしいですと伝えると、パンさんが残念そうな顔。あっちの店の方がもっとおいしいんだと言ってる。

パンさんは日本にくわしかった。テレビ局で撮影の仕事に就いて、30年前に渋谷のNHKに研修に行って、機材のことや技術を学んだらしい。だから、たまに短く日本語をはさんでくれる。ドラマからスポーツ、舞台、ニュース、ドキュメンタリー、なんでも撮影してきた。オリンピックのときに競技の撮影もした。いまはしばらく全州を拠点にしてて、映画の脚本を書きつづけてる。もう2年くらい書いてる。脚本を書くのはむずかしい。仲間の監督が撮った作品が今回の映画祭で上映される。まだ全州に来てないけど、タイミングが合えば会わせたい。六本木は苦手。渋谷は好き。他にもいろいろ話を聞いた。全州の出身なのかを訊いたら、クァンジュだと言った。クァンジュ、クァンジュ、それはもしかして光州のことかなと思って、漢字で書くと光かどうかをたずねたら、そうだった。少し前に、東京で『タクシー運転手』を見たことを伝えた。私は配慮に欠けてた。感動した作品だったので、とっさに映画の感想をたくさん伝えた。映画の終盤で、燃えてたテレビ局があっただろうとパンさんが言う。あれが、MBC。あれが、私が勤めてるテレビ局。それを聞いたときに、なんてばかなんだろうと思った。軍事政権によって街が隔離状態にされて、大勢の非武装の市民が虐殺された光州事件。起きたのは1980年。パンさんは、きっとそのころ青年だった。私が黙ってしまったあとも、話をつづけてくれた。事件が起きたとき、パンさんはMBCのソウル局にいた。ご両親の安否を確認しようにも、電話が通じない。どこにも、だれにも電話ができない。中の様子がわからない。唯一、光州市内に、無線で連絡が取れるラジオ局があった。市内同士では電話が通じたらしく、パンさんの連絡を取り次いだラジオ局の人は、片方の耳に無線を当て、もう片方に電話の受話器を当て、パンさんが伝えることをその場でご両親に伝えてくれたそう。パンさんの家族は無事だった。実は、『タクシー運転手』は見てないのだと教えてくれた。それ以外にも、光州事件を扱った作品や番組は、自分は見られない。あまりにも、いろんなことがありすぎたとパンさんは言った。ご両親は無事だった。けれどと思った。それ以上は訊けなかった。パンさんは、いつか自分で光州事件を扱った番組を作ろうと思ってるんだと言った。もしかしたら、いま書いてる映画の脚本がそれなのかもしれない。わからない。途中から、私は涙が止まらなくなってた。会ったときからずっと冗談ばかり言ってるパンさん。持ってた手ぬぐいで拭いても、あとから溢れてくる。パンさんは、店内の魚を炙る煙で私が目を赤くしてるのだと思ったらしく、その心配をしてくれた。私がパンさんの話を聞いて泣いてるのだと、ようやく気づいて、はじめて見るような顔をした。ありがとうと言って、それからしばらく黙ってた。カフェの店主がやってきた。いつのまにか連絡をしてたらしく、パンさんが隣に席を作る。並んだふたりは仲良さそう。パンさんがコリア語でしばらく店主の人に話しかけてる。きっと、私がいまどうして泣いてるかの説明をしてくれたのだと思う。あたらしいグラスにビールを注いで、3人で乾杯した。並んだふたりがとてもすてきだったから、写真を撮らせてもらった。もしかしたら、パンさんはカフェのオーナーなのかもしれないとそのとき思った。そのあともしばらく飲んだ。ひさしぶりに、まっすぐ歩けないくらいに酔っぱらった。ふたりは、私が知ってる道に出るまで、一緒に歩いて案内してくれた。

深夜の0時をすぎてた。ホテルの入口で藤元さんに会った。あらためて映画の感想を伝えた。10階の部屋に入ろうとしたら、隣の勝さんの部屋から賑やかな声が聴こえてくる。ノックしたら、勝さんがすぐにドアを開けてくれた。中で、いろんなチームの人たちが一緒に酒を飲んでた。大九明子さんによると、私はまだそのときも顔が泣いてたらしく、あの顔忘れないと、最後に会ったときにおかしそうに伝えてくれた。

部屋に戻ってツイッターの画面を開いたら、飯岡さんからダイレクトメッセージ。そういえばそちらでやってる『ミスミソウ』の照明は恵二郎ですよと書いてある。


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杉田協士

1977年、東京生まれ。映画監督。

全州国際映画祭

第19回全州国際映画祭の滞在記録
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