見出し画像

第10回ちば映画祭上映作品 席のむこう

神奈川県立相模原青陵高校が映画の授業をできる非常勤講師を探してると電話をくれたのは、こども映画教室の土肥悦子さん。そのとき聞いた報酬の額が、本当はひと月分だったのに、1日分だと勘違いをして、それに気づいたのは校長室で校長先生とお話しをしてるときだった。7年間、それが私の気持ちを楽にしてくれた。いつ解雇されてもだいじょうぶ、だから好きなようにやろうと思った。

メディアアーツという名前の授業で、毎回、ひとりの先生が一緒にいてくれる。最初は阪神タイガースの熱烈なファンで、応援団の顧問の柳谷先生だった。柳谷先生はてきとうな私の言うことを、そうしましょう、やりましょうと言ってぜんぶ助けてくれた。教室には前任の先生のときに揃えられたカチンコや移動撮影用の三脚などがあったけれど、使わなくてもいいですかと相談したら、いいっす、だいじょうぶですと返してくれる。小さいビデオカメラが複数台あるからそれで十分だった。校長先生からは、できたら年度末くらいに学外の場所を借りて、一般のお客さんも招いて、成果発表として上映会を開いてほしいと言われた。みんなでひとつの作品を作ったり、発表したりはせずに、ビデオカメラを使って映像を撮って遊ぶのをただ1年間やりたいですと柳谷先生に伝えたら、そうしましょう、だいじょうぶですと笑って返してくれた。

「ふたりいるところに別のひとりがやってくる」「光を撮ってくる」「それが最後の別れだと片方だけが知っている」など、その日の思いつきで出したお題をもとに、生徒のみなさんが映画のワンシーンを撮ってきて、上映して感想を伝えるというのが基本の授業だった。映画などの表現の道を目指しているわけではない高校生たちが、毎週たのしそうに撮ってきてくれて、見てわらって終わる日々。1年が終わるころには、話を考えるのも演出するのも演技をするのも、どこに出てもだいじょうぶなくらいになってる。数学の授業は数学の研究者を出すためにあるわけじゃなく普通にあるのと同じで、映画のことを普通にして、もしかしたらその後のなにかの役に立つかもしれない授業、というのがずっと頭にあった。音楽や美術はもちろん、演劇と比べても、映画は教育の場所ではまだまだ特別感が出る。

2年目に、ロシアからの留学生が途中から加わった。その最初の授業。彼と同じチームになった人たちに、歓迎の思いも込めて、彼を主人公にしてなにか撮ってきてほしいと伝えた。道端で襲われそうになった人たちが、とつぜん現れた彼によって助けられるシーンだった。暴漢を撃退して去っていくその背中にひとりが声をかける。君の名は? ふりかえった彼が「アチュン」と答えた瞬間にシーンが終わる。笑いと拍手。すぐに名前を覚えられた。クラス全員の女性にやさしくて、寒い日は自分の上着をかけてあげたり、下手をしたら口説きそうだったアチュン。

柳谷先生が転任することになり、年度末に引き継ぎの先生のことを教えてくれた。新人の先生で4月から赴任してくること、元々どこかの会社に勤めてて転職して教諭になったこと、すごく真面目そうで心配だということ(私がてきとうな授業をしてるから)。心配したまま柳谷先生は去っていかれた。4月になって最初の授業。あたらしい人は丹野先生で、たしかに真面目そうだった。授業をはじめると、生徒のみなさんと一緒に席について私の話を聞いてる。たのしそうだった。そのあとの5年間、ずっとたのしそうだった。いつだったかは忘れたけれど、生徒のみなさんが撮った映像を順番に見ていて、すごくいいシーンがあって、ちょっと興奮して、これだれが撮ったの? と聞いたら丹野先生だった。早く撮り終えた人たちに協力してもらい、自分も同じお題で撮ったとのことだった。そのうちに言われなくても、これ先生が撮ったなとわかるようになった。毎年洗練されていった。

いつかの授業で、「大声で伝える」というお題を出してもいいですかと相談したら、わざわざ校内放送をしてくれた。「いまから校内で、大きな声が聴こえることがありますが、メディアアーツの授業での撮影のためです」。柳谷先生が言ったとおり丹野先生はまじめだった。まじめで懐が深い。4階の教室の窓を開けて、学校の外に向かって叫ぶシーンを撮るチームがいて、そこまでやる人がいるとは思ってなくて、先生があとで怒られませんようにと思った。『ひかりの歌』の第1章の撮影のときは、出演してくれる生徒のみなさんへの連絡などもぜんぶ助けてくれた。主人公のしーちゃんが占いをしてるときに、武田先生を呼び出す校内放送も丹野先生の声。

昨年度の前期のある日の授業で、丹野先生が撮ってきたシーンに感動して、どうしようこの気持ち、となった。図書室でふたりの高校生が話す場面。聞いたら先生の高校時代の思い出だった。そのときに、もうそれが自然な流れだと思った。先生が書いた脚本で、先生が監督で短編映画を夏休みに作りましょうと持ちかけた。図書室のシーンを膨らませる形で、高校時代の思い出を映画にする。出演は生徒のみなさん。目標はぴあフィルムフェスティバルで入選すること。そういう目標を言った方がたのしいと思った。

丹野先生は、私がいない間も生徒のみなさんと入念にリハーサルをしてたみたい。撮影の日には、お芝居はぜんぶできあがってた。生徒のみなさんも、お互いを役名で呼び合ったりしてて、たのしんでくれてるみたいだった。そうしてできあがったのが『席のむこう』。ぴあは1次は通過したけれど、入選はできなかった。選考のみなさんからは、たくさんのうれしいレビューが届いた。これだけの人たちがこれだけ言ってくれてて、なんで落ちたのーと思いつつ、でもそれが映画祭。いつだかに思い立って、ちば映画祭の鶴岡明史さんに映像を送った。忘れたくらいに連絡があって、見た直後とのことで、興奮してた。もうすでにプログラムを決めつつあったけれど、ちょっと考えます、待ってくださいと伝えてくれた。次の日にまた連絡があって、第10回ちば映画祭での上映が決まった。

青陵高校は来年度で合併によって廃校になることが決まった。メディアアーツの授業は今年度で終わり。丹野先生も、4月から別の高校に転任になる。最後のメディアアーツの日、駐車場で車に乗ろうとしてたら丹野先生が追いかけてきた。見ると別の先生も連れていて、iPhoneを渡して、校門の前に並んで立つ姿を記念に撮ってもらった。


第10回ちば映画祭上映作品『席のむこう』

2019年3月30日(土)13時55分開映(併映作品『からっぽ』)

千葉市生涯学習センターにて

『席のむこう』予告編

第10回ちば映画祭オフィシャルサイト

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

16

杉田協士

1977年、東京生まれ。映画監督。
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。