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オリジナルのこと

歌人の枡野浩一さんと一緒に開いた「光の短歌コンテスト」で選出した4首の短歌の映画化は、2年越しになってきたけれど、遂げられそう。先週、4作品目の今年の撮影を終えて、そのあとすぐに準備をはじめた、千葉駅からちば映画祭の会場までの道案内を「ちば映画祭のテーマ」に合わせて行うビデオの撮影も終え、帰宅して体温を計ったら高熱で、そのまま寝込んだ。

寝込んでるあいだにツイッターを見てたら、映画『ルーム』がよかったと言うツイートと、それに対しての、でも映画音楽はよくなかったというツイートを見つけて、よくなかったかどうかより、見たときに『マネーボール』の音楽に似ててびっくりしたことを思い出した。調べてみたら、似てるのではなくて、どちらの映画も既存の同じ楽曲を使用してるのだと知った。

寝込んでるあいだにまたツイッターを見てたら、ある方の短歌が、ある方の漫画の台詞に盗用されてるかもしれないという話題を目にした。それで、いつか心に引っかかったままにしてたことを思い出して、枡野浩一さんとの共著になる写真短歌集『歌 ロングロングショートソングロング』(雷鳥社)を棚から出して読んだ。

この本の終わりの方で、私は少し長めに枡野浩一さんとこれまでの作品について書いてて、その最後にはこんな部分がある。

《中空に浮かんでいる誰かの歌を、たまたま枡野さんは聞きとり、声に出して歌い、その枡野さんの歌声が届くことによって、その歌がこの世界に存在していたことを誰もが思い出し、それぞれが自分の声で、ときには替え歌にしながら、歌うことができる、そのようなイメージが浮かんでいました。そんな、またいつかはるか彼方ですれちがうかもしれない歌が聞こえてくるような、枡野さんの短歌が届くことを、これからもたのしみにしようと思います》

読み返すと、歌は誰のものかという問題提起にもなりそうな文章だったけれど、ここでの引用の目的はそれではなくて、以前、ある歌人の方が発表した小説集のなかに、この文章にとても類似してると感じる箇所を見つけて、気になって確かめたことがあったのだった。その単行本の刊行は、春に『歌』が刊行されたのと同じ年の秋だった。その方は歌人で、『歌』は枡野浩一さんの13年ぶりの新作短歌集だったから、手にとって読んだかもしれないし、読んでも、どこぞの誰かわからない私の文章は読み飛ばしたかもしれない。というくらいで、考えるのをやめた。ただ似てたという可能性が高いし、そもそも私の上記の文章自体が、枡野浩一さんの、

《またいつかはるかかなたですれちがうだれかの歌を僕が歌った》

(『君の鳥は歌を歌える』〈角川文庫〉ほかに収録)

という短歌を元にして書いた文章だった。だからそれ自体がもうオリジナルと呼べるものではない。

映画作りをつづけてきて気づいたことがある。撮影現場に誰がいるかが、その作品に大きく影響する。例えば見学をしたいという人がいる。見学の人は現場に来てカメラの後ろにいるだけである。なのに、その人がそこにいるというだけで、そのシーンの撮影は変わる。これははっきりと証明しづらいことだけれど、少なくとも現場の空気にはその人の呼吸が加わる。例えば、喫茶店でふたりの人物が会話をしてるところに新たな客がやってきて、隣の席に座ったりすると、元々いたふたりの息づかい、声の出し方、姿勢などは変わる。それだけのことで、ふたりの会話に変化が起きるのと同様に、映画の撮影現場でも、そこに誰かが加われば、たとえその人に役割がなくても変化が生まれる。監督は、その映画の本来の姿と呼べるものがあるのかどうかも不確かななかで、そういった微妙な変化も感じながら現場を進めることになる。

光の短歌映画4本目の『100円の傘を通してこの街の看板すべてぼんやり光る』はすべて千葉で撮影してる。今年の3月に開催されたちば映画祭で、私と話が合うのではと、スタッフの鶴岡明史さんが千葉大学の神野真吾先生と私のトークイベントを企画した。お会いしてすぐに仲良くなって、神野先生は映画のことも気に入ってくれて、今年度の千葉大学と千葉市美術館の共同プロジェクトのゲストとして私を呼んでくれた。たまに千葉に通い、学生のみなさん、先生方、美術館のみなさんと一緒に千葉のあちこちで映像を撮るプロジェクトを進めてる。その過程でたまたま入った中華料理店とその並びにある古書店があって、どちらのお店の方とも仲良くなり、インタビューを撮影させてもらってるうちに、同時期に撮影する予定だった『100円の傘〜』の舞台をそこにしたくなり、了解を得て脚本を書いた。登場人物にはそのお店の方々もいる。

一番むずかしいシーンの撮影の日は、私がこの2年ほどの間にマレーシアとベトナムで一緒にすごす機会があり、たまたまこの作品の撮影期間中に日本に滞在してたマレーシアの劇作家のリャオ・プェイティンさんも出演する日で、どうしてそうなったかと言えば、駄目元で出演を頼んでみたらいいよと答えてくれたからで、あとは、ちば映画祭スタッフの鶴岡明史さんと、パートナーの方と、たまたまその前日に仕事で会ってた、3本目の光の短歌映画の撮影場所として協力してくれた児童施設勤務の方が、その料理店の近くに実家があって、ちょうど歯医者に予約してて帰る日だったからと言って、見学にきてた。最後、厨房のなかでの料理店のご夫婦の芝居を撮り終えたとき、振り返ったら主演の並木愛枝さんは涙を流してて、その隣のプェイティンさんも目に涙をためてて、映画の全体を知らない見学の人たちも笑顔で拍手をしてて、このシーンを生んだものが何であるのかは、監督の私にもわからないままである。鶴岡さんが私をちば映画祭に呼んでくれなければ、神野先生と会っていなければ、このお店に立ち寄らなければ、プェイティンさんがその日空いてなければ、あのシーンは撮影できてない。その日の撮影がはじまったとき、もうひとりの主演の松本勝さんが、役名の「かっちゃん」としてプェイティンさんに自己紹介をすると、プェイティンさんはうれしそうに「かっちゃん」は自分の国では「ピーナツ」だと教えてくれて、すぐにふたりは打ち解けて、千葉県はピーナツ生産量日本一で、ちば映画祭のテーマ曲にも「ピーナツ県からお届けします」という歌詞があって、鶴岡さんは高校生のときにご飯を食べにきてたのを思い出したと店内を見回してて、そういういろんな時間がこの映画にも写ってるかもしれないし、写ってないかもしれない。

4本の光の短歌映画は、それぞれの原作短歌だけでなく、それを詠んだ人たちのこともどこかで感じて、受け取りながらできてる。たとえばこの秋に撮影した、宇津つよしさんの短歌を原作にした『自販機の光にふらふら歩み寄り ごめんなさいってつぶやいていた』は、愛嬌のある下ネタの多い作品になってて、宇津さんにお会いしたことはないけれど、これまでネット上で出会ってきた宇津さんの他の短歌や言葉から感じるものがきっと影響してる。4本目の沖川泰平さんの短歌を原作にした『100円の傘を通してこの街の看板すべてぼんやり光る』は、入選してからの沖川さんのツイッターでの言葉や、メールでのやりとりで感じたお人柄の影響を受けたからか、4本のなかでは一番ストレートな作品になってる。いずれも、そうしようと意図したのではなくて、そうなってた。

ひとりの人間が関わりのなかで生きてるのと同じように、作品も関わりのなかで生まれてく。

ジブリの宮崎駿監督が、スペインのビクトル・エリセ監督作品をとても好きなんだろうと、作品を見るとわかる。『となりのトトロ』のトトロと姉妹は、『ミツバチのささやき』のフランケンシュタインの怪物と姉妹のように見えるし、『魔女の宅急便』は、『エル・スール』の本来予定されたまま撮影されなかった、少女が祖母のいる南の地方にひとり旅立つために荷造りをしたあとの時間を描いたのだろうと思う。宮崎監督の人生に、エリセ監督の作品が大きく関わって、育まれて、新たな形として生まれて、そうしてできあがった作品を見た私たちが、またそこからなにかを受け取って、なにかの形にしてく。そうして作品は過去から未来にずっとつながってく。

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