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自分で考える とは

「よく考えて ほんとにこれでいいの?」
きみの言葉は ぼくを変える

ほんのささいな怠惰と とても小さな悪意が
いつのまにか降り積もり きれいな水が濁った
とてもここには住めやしない 窒息してもがいている
誰が悪いとかじゃなくて ほんとのことを聞きたい

よく考えて きみの言葉は
誰かを傷つけるナイフにもなる

いってしまったあの子に 言えずじまいの言葉が
そこここにゆらいでいる いつか歌になれるかな
電話やメールやテレビや よけいなおしゃべりの
洪水から抜け出して 探しにいこう

よく考えて きみの言葉は
なにかを変える力を 持つからね

よく考えて きみの言葉は
世界を変える力に なるからね

心は 心は どこにある?
心は言葉の奥にある
心は 心は どこにある?
きみと見た青い空にある


10年以上むかしに書いた歌「コトダマソング」。ソロでギター片手にライブハウスで歌ってた。

この歌を作ったきっかけは仲の良かったバンドの友達がなくなってしまったこと。

違和感を感じとる

この一年、いろいろ考えた。
おそらく、全世界の人がそうだったんだろうと思う。

去年の3月、新型コロナで世界が大騒ぎになったとき、やっぱり自分もテレビを見ながらすこし怖かった。

「2週間後には日本もこのように感染爆発する可能性があります」

そうかもしれないと思った。
着付けは続々キャンセルになった。卒業式、入学式が取りやめになったところも多数。

ところが2週間後になってみたが、爆発していない。
でもテレビでは同じように「このままだと危ない、〇万人が感染する危険が」と報道している。

あれ?潜伏期間2週間て言ってなかったっけ?

厚生労働省のホームページで毎日感染人数をチェックした。
当時は外務省のホームページで各国の感染状況をグラフで表してくれていたので、それもチェックした。

日本はどのレベルかな、とみてみると、各国がどんどん右肩上がりにあがっていくグラフのかなり下の方で横ばいに近いように見える程度だった。

・・・違和感。

実際の数字と大手メディアで発言されていることの乖離に、気持ちわるさを覚えた。

自分が変な世界にはまりこんでしまったような感覚。
むかし、タモリがナビゲートしている「世にも奇妙な物語」てドラマがあったけど、その世界が現実になってしまったかのような。

比較は重要なステップ

その後、厚生労働省のホームページからインフルエンザの毎年の状況を確認したりするが、なぜかメディアでは「インフルエンザとの比較は意味がありません!」と主張している。

比較はさまざまなことを考える上での大事なステップだ。
この場合、その他の感染症より、おそらくなじみのある季節性のインフルエンザとの比較が一番わかりやすいはず。
なによりインフルエンザは世界各国で毎年定点観測がされている。データは豊富にある。

そして新型コロナは日本国内だけのことでなく、全世界的に流行しているのだから、各国との比較も自分でするとわかりやすい。データはすぐに手に入る。

たとえば英国では現在かなり感染が抑えられていて、ロックダウン緩和したりと、やっと普通の生活に戻ってきたと言っている。
ではどれくらいのものかと比較してみると、実は「緊急事態宣言です!」と騒いでいる日本と、人口当たりの感染者数は同じくらい。つまり、英国の「だいぶ少なくなった、わーい!」と日本の「やばい、このままだと医療崩壊だー!」が同じくらいの感染レベルということ。

自分でデータをさがしたりできるというのは、すばらしいですね。インターネットが身近でなかったらできなかった。20年前じゃなくてよかったよ、今回の騒動は。

新型コロナ騒動ではインターネットメディアなどで大手メディアとは違う情報なども探せたので、勉強になった。

もちろん、インターネットメディアが正しいとは限らない。
自分の考えに近いものばかりリコメンドされてくるのも問題だ。
あたかも自分の考えが正当で、主流であるかのように錯覚させる。

それでも様々な意見やデータに触れられるのはかなり精神的に助かった。

「わからない部分」はおいておく

しかしインターネットメディアでも、ある主張をしている人を全面的に信じてしまっていたり、逆にその人を攻撃していたりする。

どちらが正しいかの議論になってしまっている。

どちらかが正しいとは限らない。
「まだデータ不足でわからない」というグレーゾーンもある。

実際、今回日本で始まっているファイザー製のワクチンは治験途中で安全かどうかは判断しかねるように思う。
もしかしたら、3年~5年くらいたって、「あれ、安全だったね~」ってなるかもしれないし、逆のことになるかもしれない。

一種の賭けをしているわけだが、それでも納得して受ける分にはいいんだろうと思う。
一番の問題は、グレーゾーンはグレーゾーンのままにしてないということ。

「ここ、グレーゾーンありますけど、うちますか?うちませんか?」

ってきいてほしいな。

放棄することは放棄した

何も言わないでおくこと、それはだいぶ前に放棄した。

でも表現は難しい。

自分の考えを伝えることは難しい。

誰かを批判したいわけではなく、伝えることに集中したいのに。

いろんな記事を毎日アップしている人はすごいな。
自分の意見と違っても、それだけですごいと思う。

正直、今回のことは様々なことがショックで1年以上記事が書けなかった。
書いては違うと消していた。

ようやく書けたのは、子供をこの変な世界に置いておきたくないと思ったから。
毎日学校でマスクして、お友達としゃべらずに給食食べて。

大人は何やってるんだろう?

私、大人だよね。


むかし、ほんのすこしの怠惰がなければ、変わったかもしれないこと。

「コトダマソング」は自分が変わるために書いた歌。

よく 考えて ほんとに これでいいの?


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