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はじまりの京都文学レジデンシー〈3〉:吉田恭子

このエッセーは岩波書店『図書』2023年4月号に掲載された
「はじまりの京都文学レジデンシー」に大幅に加筆したものです

数日から1週間程度の短期のレジデンシーは作家同士や受け入れコミュニティとの交流が活動の中心となるが、長期のレジデンシーは執筆に集中できる環境の提供が目的となる。今回の3週間という選択は予算が許す限りのもので、海外からまったく違う環境にやってきた人たちが執筆するためにおそらく最短の期間だ。滞在先は京都駅南の新しいビジネスホテル。とても機能的でどこへ行くにも便利な立地、ロビーも使いやすかったが、なにぶん手狭なビジネスホテルのシングルルームであり、そこだけに3週間ずっと籠って執筆するのは難しい。そこへ、ホテルから歩いてすぐのワコール・スタディホールさんがライブラリーエリアを作家たちに提供してくれた。ガラス張りの建物の中の広々と静かに洗練されたコワーキングスペースは、作家たちには好評で、早くも到着3日目から、それぞれがお気に入りのスポットを見つけた様子。世界のまったく違う場所からやってきた書き手たちが、ひとつのスペースにいながらにして各々の言語、各々の創作世界に没頭している光景はなんだか現実を超えていて、彼らひとりひとりの創造的エネルギーが空間を満たしているそこに居合わせるだけで魔術の現場を目撃しているような感覚に襲われる。

そうして午後も半ばを過ぎるとSNSで連絡を取りあい、彼らは京都の街の散策に出掛け、新たな料理に挑戦し、居心地のよい酒場を見つけ、たとえば今年のノーベル文学賞の予想について語り合い、またもや歩いて帰路につく。1時間も歩けば街中の目的地にはたどり着く――この距離感こそが京都。熱帯都市暮らしで外歩きを避けてきたサアットさんは、3週間作家たちと暮らして、遊歩の魅力を再発見したと言っていた。ワコール・スタディホールで作家と一緒に仕事をすることが多かった澤西さんは、彼らと京都を歩き回るうちに、夕暮れの清水寺の美しさなど、今まで意識しなかった京都の魅力に出会ったと言っていた。当初、私たちは作家たちに京都のよさを体験してもらうことばかり考えてレジデンシーを計画していたのだが、実は京都に住んでいる者たちが、彼らに教えてもらうことになったのだ。

左からアルフィアン・サアット、澤西祐典

レジデンシー最終日の前日、クロージング・イベントの朗読会がワコール・スタディホールで開催された。オープニング・フォーラムでは見知らぬ者同士だった彼らも、今では特別な友人となり、朗読にあたっては、滞在中のエピソードなどを交えつつ互いを聴衆に紹介する役割も演じてくれた。

出席者に、原語の響きだけでなく、日本語翻訳でも作品を楽しんでもらうために、作家には事前に朗読テクストの提出を依頼したにもかかわらず、半数の作家が京都で執筆した新作を提供してくれた。レジデンシーを立ち上げようとした際に関係者一同の意見が一致したのが、参加作家にたとえば京都をテーマにした作品を書いてほしいといった執筆内容に関するリクエストを一切しない、つまり、レジデンシーの間は何を書いても(あるいは書けなくても)自由、という一点だった。それでも長逗留した土地については何かを書くものだし、それをその土地の人と分かち合いたくなるものなのだ。

ポーラ・モリスさんは、サラリーマン連続殺人犯と思しき謎の語り手が日本についての調査活動を行っているというダークなユーモアあふれる新作短編の冒頭を紹介した(翻訳・森慎一郎さん)。

ポーラ・モリス(左)

ユベール・アントワンさんは、奈良公園の鹿と見つめ合った瞬間に意識が投げ出された深みを詩に描くにあたって、頭に十字架の紋がある鹿と出会って回心したというベルギーゆかりの聖人、「アルデンヌの使徒」こと聖ユベールの伝説を、奈良での光景に重ね合わせた(翻訳・小柏裕俊さん)。

アルフィアン・サアットさんは、数年前に病気で亡くした母親のことをなかなか書けずに気持ちの整理がつかないままでいたが、京都に来て母の思い出に捧げる作品が書けた、と前置きをして朗読した。余命いくばくもない母親と語り手が京都を訪れる。清水寺での最後の場面が、フィクションでありながら、母との思い出が結晶した瞬間のように描かれ、その叙情と技巧とに息を呑んだ。藤井光さんの翻訳を朗読したのは、サアットさんの遠距離パートナーで日本留学経験もあるマレーシア在住で中華系のムー・シュウさん。わずか2、3ページの作品が、時間と場所と言語を超えて人々をつなげる。

左から澤西祐典、ユベール・アントワンヌ、エミリ・バリストレーリ、アルフィアン・サアット

アンナ・ツィマさんはレジデンシー滞在中にチェコで出版された第2長編『ウナギの思い出』の一部を紹介してくれた。新作の舞台はまたしても日本。チェコと日本のハーフの生物学者サーラがニホンウナギの不思議な生態を探るうちに繋がっていくシスターフッドの冒険譚だ。阿部賢一さんの翻訳をレジデンシー友情出演で藤野可織さんが朗読してくれる。背格好や潔いショートカットが遠目に似ているだけでなく、情に厚い度胸のよさもそっくりのふたり。横浜の話を京都アクセントの藤野さんの声で聞くのはなんだか不思議でありながら、同時にすごくしっくりきた。この七百ページ超のチェコ語大長編を日本語で読める日が待ち遠しい。

アンナ・ツィマ(左)と藤野可織(右)

大前粟生さんは彼の作品を見出して翻訳してきたエミリ・バリストレーリさんさんと一緒に作品を朗読した。作家と翻訳者本人が同じ場で同じ作品を朗読する――複数の言語で夢見る光景が相並んで立ち上がる瞬間である。

左から大前粟生、アルフィアン・サアット、澤西祐典

文学のことばは私たちの日常から離れたどこか遠くの時空で作られるものではない。今ここで暮らしている人間から詩的言語が生み出される。その瞬間に立ち会って生きた/息ある声に耳を傾けることで、その場にいる人々は贈与の関係を結ぶ。作家同士が築いた友愛の円がほどき開かれて、会場にいる人々もその輪の中に招き入れられる。そこにいることが互いにとっての贈りものとなる。だからこそ味わい深い朗読会のあとは、言葉が言葉を呼び、人々は立ち去り難く、作家たちになにかひと言でも伝えたいと願うのだ。朗読会の後は小さな輪が部屋のあちこちに結ばれて作家たちを取り囲んだ。結局、会場の閉館時間を過ぎても話は尽きることなく、管理の方々にご迷惑をかけてしまった。(ワコール・スタディホールは2023年3月に閉館した。あらためてスタッフの方々、関係者一同に感謝)

夢のような3週間だったが、ただ一度実現しただけでは単なる幸運に終わる。できるだけ息長く続けてこそ、私たちが予期できないような未来に繋がる。けれどもそのためには課題も多い。労力・時間的にも金銭的にも実行委員会はもろいバランスの上に回っている。日本初の国際文学レジデンシーが始まったと紹介すると、どこかに拠点となる建物や事務所があり、スタッフがいて、運営幹部は有償で、予算の後ろ盾があるものだとついつい想像されてしまう。実は、現時点で京都文学レジデンシーにはなにもない。とにかくまずはレジデンシーがいったいどんなものなのか見て分かち合うことを目指して最初のレジデンシーが実現した。これを毎年継続していくには、新たにスタッフを加え、できるだけ多くの企業や団体からの協賛や協力を取付けることが不可欠だろう。

世界の文学祭やレジデンシーでの日本語作家の参加機会が少ないひとつの理由は、文学祭やレジデンシーの運営に携わる日本人がほとんどいないからだ。80年代以降の世界の美術シーンや舞台芸術シーンにおける日本のキュレーターや運営者の成長・躍進と比較すると、文学の世界は美術やパフォーマンスより30年ほど遅れているように見える。人の移動が今までになく頻繁になり、コロナ禍以降はネットでの交流が加速し、世界的文学交流の勢いは止まらない。ここでもやはり言語の壁が日本語話者の参画を阻んでいる。幸いに、この国では編集や出版、書店経営に興味をもつ若い人々がたくさんいる。ここから国際的な文学祭運営・キュレーションの世界に飛び込んでいくような人材を育てることも、京都文学レジデンシーは目標としている。世界の文学祭を見ると、だいたい30代から40代の敏腕アドミニストレーターが中心となって、世界各地を渡り歩きながら文学祭やその他のイベントを運営していて、その仕事のネットワークに日本の若い人が加われば、互いに新たな可能性できると信じている。

(了)



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