見出し画像

The 金閣寺

京都のなかでも、もっとも有名な寺院は金閣寺だと思います。

金閣寺は、見に行くと、「ジャジャジャジャーン、The 金閣寺!」って感じで、誰にでも分かりやすく、凄いと感じるお寺です。

なので、内外ともに多くの観光客に愛されているのでしょう。


金閣寺へのアクセスは、バスとなり、「金閣寺道」で下車します。


因みに、金閣寺と銀閣寺は、共に、臨済宗相国寺派の禅宗で、京都市内の御所の北側、同志社大学の東側にある、相国寺の塔頭となります。


また、金閣寺・銀閣寺では、拝観のチケットの代わりに、お札がもらえるようになっています。お札がもらえるのは珍しいので、少しうれしい気分になりますが、実はこれは、記念にとか、そういうわけでは無く、昔(1985年)、京都で古都税問題が勃発した時に、拝観料は、お札に対する志納金なので、税金対象外だというために配られるようになったのが、今も続いているそうです。


色々曰くのある金閣寺ですが、一番大きな曰くは、三島由紀夫の「金閣寺」や、水上勉の「金閣寺炎上」の小説にもある、金閣寺放火事件です。

これは、小説の話ではなく、本当にあった話なのですよ。

1950年の話なので、70年も前の話となりますが、放火の犯人が、金閣寺の見習いの僧侶だったということで、大変衝撃な事件だったようです。(小説になるくらいですからね。。。)


金閣寺は、室町幕府3代将軍、足利義満が建てたお寺で、正確には「鹿苑寺」と言われます。

ある程度の年齢の人なら、アニメの一休さんに出てくる将軍様のことだと言うと、良く分かるのですが。。。修学旅行に来る、今の中学生には、既に古いネタとなっており、誰も分かってくれません。。。

義満は、南北朝を統一した、とても力のある将軍で、明との交易も行い、「日本国王」の称号をもらうなどの業績のある将軍なのです。

その将軍が、贅を尽くして建てたのが、金閣寺となります。

金閣寺は、元は、西園寺家の別荘を、義満が譲り受け、「北山殿」と呼ばれる邸宅を造営したのがはじまりとなります。

義満の死後、舎利殿(金閣)だけを残して、禅寺となり、鹿苑寺と名付けられます。

この、鏡湖池の前に立つ舎利殿が、今も世界中の人を魅了しているのです。

画像1

鏡湖池に映った、逆さ金閣寺は誰でもうまく撮影できますよ!


この舎利殿、内部は三層に分かれていて、1層目は公家風の寝殿造り、2層目は鎌倉時代の書院造、3層目は禅宗様仏殿造と、違う様式で作られているのがとても珍しいものになっています。

金箔は、2層目3層目のみに貼られていて、1層目には貼られていません。


先に、1950年に金閣寺は放火で焼失してしまうと書いたのですが、今ある金閣寺は、その後、再建されたものとなります。

その後、1986年、2003年、2020年と、金箔の貼替がされています。

この美しさを保つためには、10億円とも言われる膨大な費用が掛けられているのですよ。。。


因みに、舎利殿の一番上の鳳凰は、放火された時、たまたま修理で取り外されていたため、焼失を免れたとか。

唯一残る、創建当時のものとなるそうです。


鏡湖池の前の舎利殿を、十分堪能したら、池をぐるっと回り、舎利殿の横姿も見ることが出来ます。

画像2


その後順路は、小高い山を登り、庭へ続いていきます。

画像3

義満がお茶の水に使ったと言われる銀河泉は、今も清水が湧き続けています。

画像4

巖下水は、義満が手を洗っていたそうです。

画像5

金閣寺垣。

画像6

龍門の滝に、鯉魚石。

画像7

白蛇の塚。

画像8

夕佳亭(せっかてい)。

こちらは、江戸時代に、金閣寺を修復した折に作られたお茶室で、夕日に映える金閣が佳いということで名付けられたそうです。


ここまでくると、もう出口となります。

この先は、急激に俗っぽくなり、現実に戻される感じで、お土産屋さん、飲食店等々、沢山現れます。

さらに、自販機型のおみくじなどもあり、英語、韓国語、中国語と各国の言葉で用意されていて、観光客には至れり尽くせりとなっています。


俗ぽくなったついでに、以前にこちらで食べた、抹茶ソフトの写真が出てきたの貼っておきます。

添えられているのが、ウエハースではなく、八つ橋なのが、京都ならではとなっています。

画像9


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?