おわりのはなし。

恋人がいなくなった。失踪したとか突然死したとかではなく、恋人という呼称をつける対象が消えた、という話。男の人も女の人も両方、無くしてしまった。失う選択をしたのは紛れもなく私自身なのだけれど。

どうしてそうしたのかは、未だによくわからない。仕事を辞めた理由を覚えていないしわからなかったように、何かを自ら失う時の気持ちというのは何故だか酷くぼんやりとしている。自衛なのかもしれないし、単に短期記憶の容量がないのかもしれない。彼女にはLINEで、彼氏には電話をしたら次の日におうちにいらっしゃったのでそこでお話し合いをした。相対した時は流れなかった涙も、いろんなタイミングで流れてしまって、これはなんだろう?と思った。

後悔している?

いいえ、してないよ。

じゃあその涙は?

ずっとあったものがなくなってしまったことの虚無感が、透明な液体になったんだよ。

泣きながら笑う。どうして泣いているのか。私がした決断で私が請け負うべき痛みなのに。身体の奥深く、小さな部屋の屋根が取れてしまったらしい、弱い雨風にさえもぐらついてしまう。人はずっと1人のはずなのになんで今更こんなに傷付いているのか、考えても出てくるのは「まぁ愛着のあるぬいぐるみがある日なくなったらそりゃ多少はショックだよね」みたいなつまらない言い訳と事実。

他人と長いこと一緒にいるということは、ぬいぐるみほど簡単ではないんだと思う。感情を持つ人間同士が関係に名前をつけて維持する。どうして続いたかも覚えてない癖に、新しくそういうことをするのは酷く面倒で。ゼロから始めていくつか分からない場所に来るまで、大した苦労もしていない気がするけど、なんとなく面倒くさい。それだけ。

まぁあとは、相手との未来も捨てたことになるのか。関係を続けていれば得られたかもしれない幸も不幸もまとめて唾棄した形にはなる。その代わり、関係性に名前を持つ相手がいない自分の幸不幸も等しく得られる可能性を取り戻したわけだけど。

あーあ、今夜も眠れない。今迄の恋人達の顔を何となく思い浮かべては、結晶になりかけた感傷が震える。沢山の愛をやりとりした、つもりではあるんだ。それが無駄にならなかったらそれだけで私は終わりを終わりとして享受できるのに。

#エッセイ


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