またバナナ買うといて

かみさんがタブレットを使って、英会話の無料レッスンなるものを受けていた。僕は気にも留めずPS4をしていると、先生とかみさんの会話のやり取りが聞こえてきた。住んでる場所は何処ですか?と先生が尋ねると、かみさんが東大阪と答える。すかさず先生が違うと訂正し、East OSAKAだと言う。うっすら東大阪でええやん。って思った。ちょっと笑ってしまった。ちょっと笑いながらアサシンオリジンをしてた。

うちの祖母は何故か僕の名前だけ覚えてくれない。これはボケているわけではないが、一度犬に向かって恭兵そんな所でおしっこしなと注意していた。そして僕の事を犬の名前で呼ぶという。三十年間犬だと思われていたのかな?という趣旨を伝えると、大抵豪快に笑いながら謝罪を、累計百回以上は繰り返している。後絶えず言い間違いが多い。もう一々つっこんでいられないくらい多い。人の皮被った鬼という比喩表現を、鬼の皮被った人と言ったりしている。それはただのスーツアクターだ。ここ最近では、りくろーおじさんを、リクルートおじさんと言い間違えていた。コロナで経営が悪くなったんやね。とだけ思いそっと心にしまっている。

祖父母は東大阪で工場を営んでた。僕は生まれながらの東大阪サラブレッドだ。とはいえ、祖父母がやっていた工場は、プラスチックの加工を主にしていたので、僕の鉄工所とはまた種類の違うタイプの工場である。数年前その工場を畳むことになった。元々二階と三階が居住スペースで、一階が工場という家だったので思い出がたくさんあるのだ。よく泊まりにも行ったし、僕が幼い頃だと高層マンションなんかも立っていなかったので、屋上でPLの花火なんかを見たものだ。またその話もおいおい書くとする。

祖父は非常に頭の良い人だ。よく休日に一緒に古書なんか古本屋に買いに行ったものだ。ただこの祖父も少し変わっている。僕の家はシングルマザーだった事もあり、週末はよく祖父母の家に泊まりに行っていた。祖父とよく風呂に入っては、祖父が好きな武将だったり、道徳を教わったりしていた。その日も祖父と風呂に入る事になり、祖父がお湯を出す為蛇口を捻ったのだが、カランとシャワーを間違えて出して、祖父の体に冷水がクリーンヒットした。その後間髪を入れずに、僕の方に振り返り、心臓麻痺起こすがなと怒られた。いや僕のせいじゃないし、あんたのミスやがなと幼少期の頃思った記憶がある。その上祖父は異常な程せっかちである。まず混んでいる飲食店で、待つ事ができない。だから晩ご飯が外食の場合、午後4時には店についている事が多々ある。早すぎる。大体そんなに腹減ってない。そしてご飯を食べ終わったら即退店するように急かされる。僕らは軍なのかと思うくらいに、はよせえの連呼である。そんな祖父が工場を畳んだ矢先、脳梗塞を患った。今でも元気にはしているが、少し麻痺が残ってしまい、喋りづらそうにはしているが、祖父宅に顔を出すと元気に色々話をしてくれる。祖父も祖母も長生きしてくれたらいいなと思っている。せめて孫は見てもらいたいからね。



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