ボンバイエ

僕の誕生日は8月14日と盆のど真ん中である。故にあまりお友達を呼んで、お誕生日会みたいな事をした記憶がない。そもそも田舎に帰ってるから呼んだとてなのだ。そして僕も母方の実家は東大阪だし、住んでる場所東大阪だし、父方の実家には離婚してから行ってないし、父方の実家大阪の松原市というまあまあ近い所だったしで、帰省みたいな事は殆どしなかった。

終戦記念日の前日に生まれたと言うこともあり、小さい頃からテレビを点ければ中々のリベラってる週間である。一度幼い頃母と姉が祝ってくれて、すごく嬉しい気持ちでケーキの蝋燭を消した直後に、テレビからアウシュビッツで生き残った方のインタビューが、流れて無言になった事があったり、二十代前半の時友人に祝ってもらった時は、テレビで原爆を所有するか否かみたいな議論が展開してた。またしばらくの無言だ。

僕の名前は母方の祖父がつけてくれたのだが、名前に兵がついてる段階で尖り散らしとんなと最初は思った。右折のドリフト感がすごいなと思うのだが、後々名前のドラマを知った。

そもそも違う名前を付けられる予定だった。確かケンタだったと思う。漢字は知らないけど、父がケンジで息子の名をケンタにしようと思ってたらしいが、母がケンジ・ケンタって漫才師みたいやな。と東大阪が過ぎる発言をした為、土壇場で名前を変える事になったのだ。色々検討している中、父方の祖父母が持ってきた名前が平和と書いてひらかずだった。左折が凄いのだ。もうなんなら、軽めにガードレールに擦ってるやつじゃないかと思う。父方の祖父母と仲の悪かった母は鼻で笑い、母方の祖父に相談した結果僕の名前を母方の祖父が考える事になった。

本当は恭平だったのだが、字画が最悪だったらしい。よって恭兵になったのだがまだ問題があった。従兄弟の男の子の名前に将という字が使われていたらしい。要は将と一兵卒で名前に謎のキャリアの差ができてしまう事を祖父は危惧していたらしいが、母が大将は落ちていくだけだが、歩兵は昇級していくから良いじゃないか、気持ちの持ち様だと説得して恭兵に決まった。おかん謎の有能説を炸裂させる。

離婚前の姓が鎌倉という名字だったが為に字面がなんか妙に厳つい気がしていた。鎌倉恭兵て新興宗教のトップ感。離婚してから母方の吉田姓になったので、某あぶない俳優さんと一文字違いになった。関係ないね!とだけ添えておこう。


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