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二鳥修一はレオナ・ウェストの夢を見るか

先日、今更かと言われるかもしれませんが「放浪息子」の漫画を読みました。Kindleで全巻が200円、15巻全部買っても3000円ちょっとなのはチャンスだと思い購入、CDアルバム買うような値段で名作楽しめたのはありがたかったです。

放浪息子は女の子になりたい男の子の主人公、二鳥修一くんの小学校から高校生までの人生を描いた物語です。本人にとってはそれは自然な感情のはずなのですが、悲しいかな世間一般の思考とは離れていると言わざるを得ないので、そのズレに彼は悩みます。そんな彼をもう一人の主人公、男の子になりたい女の子、高槻よしのをはじめ多くの学友、姉さんや両親、ちょっと年の離れた友達、好きになった人好きでいてくれた人、その他沢山の人との出会い、触れ合いを通して、笑ったり、怒ったり、傷ついたり、泣いたり、愛し合ったりと正に青春を過ごして成長していく物語ですね。第二次性徴もあるので、二鳥くんの危惧している声変わりや体の変化も訪れるわけで、避けられないところだし辛いよなあと思いながら読んでました。

初期の頃はこの中に一人男の子がいますって言われてもわからないよw

二鳥くんは女の子になりたいと悩む男の子ですが、読んでいて僕はその夢を体現しているキャラクターを思いました。プリパラの登場人物である、レオナ・ウェスト君です。プリパラというアニメは、誰でもアイドルになるプリパラというテーマパーク(仮想世界)で、主人公の真中らぁらが神アイドルを目指して活躍していく物語ですが、プリパラの世界は基本女の子しか入れません(後の作品で男の子版プリパラ、男プリは出てきます)。なのですが、らぁらのライバルチーム、ドレッシングパフェに所属するレオナ・ウェストくんは男です。学校に登校する時に男子生徒の服装で来たのを見て判明するのですが、視聴者含め登場人物みんな驚いていましたね。でもそれ以降は別に男なのになんでいるのとかそんな話はせず、なんなら登場アイドルの中で一番かわいいと言っても良い位かわいくアイドルを(勿論他の皆のように女子アイドルの姿で)していきます。それがレオナにとって自然なことであり、仲間の皆も当たり前のこととして受け入れているんですよね。ただ何もなかったといえばそうでもなく、2期に出てくるボスキャラ、紫京院ひびき(彼女は逆に男装の麗人として描かれています、プリパラでも宝塚の男役のような華やかでカリスマアイドルとして活躍)とレオナがとある舞台で共演します。その劇のやり取りで、ひびきはレオナに「この世は嘘とまやかし。(私が男の姿で欺いていても)そこになんの問題がある?」とアドリブで問います、君は?と問われたレオナは少し考えて「あるがままです!」とひびきに返します。私が男であっても好きな服を着たい、それがたとえ女性の姿であっても私はそれが私なんですと答えるレオナ。プリパラは多くの話数がありますが、その中でも心に残っているエピソードの一つです。レオナくんが望んでいるかわかりませんが、時に出るそんな男らしいというか勇気ある振る舞いがレオナの大きな魅力の一つだと思っていますね。

あるがままです!

でも皆が皆レオナ・ウェストではないし、世界はプリパラではないので希望の物語はあるけど現実だとな・・・という思いはありました。実際レオナくんが成長期を迎える二次創作も沢山ありましたし、その結末が体と心の乖離の先に破滅の道を歩んでしまう・・・なんて話も沢山ありましたしね。(勿論大人になっても幸せに暮らしている作品も数多くあります)多分自分がレオナくんの二次創作書こうとすると、そういう話に持っていきそうな気がします。現実の残酷さってのはどうしても影響していきそうですし(プリパラの光を信じろ!)。そんな中で、現実の世界で女の子になりたい男の子として生きる二鳥修一くんに、あの頃のレオナへの、プリパラへの思い出を重ねて読んでしまったのは仕方なかったのかもしれません。でもそれは放浪息子という作品に対しては不純な読み方だったかもしれません。申し訳ないです。でも確かにあの時の思いの一つの答えとして物語を着地させてくれた放浪息子には感謝しかありません。志村貴子先生、素敵な物語をありがとうございました。

放浪息子は二鳥くんが主人公であるけど、最終的に共感しながら見ていたのは友人で彼も女装に興味がある有賀誠くんでした。でも二鳥くんは女の子にはなりたいけど性的嗜好はノーマルで付き合うのも女性、一方有賀くんは性的嗜好も男性、なんなら容姿端麗な二鳥くんに憧れを持ったり、時に男性を意識してしまいます。でも自分はそこまでに対して、綺麗な二鳥くんが女性の姿になってもいいかなあと悩む姿に、少なくとも容姿で悩む必要はないじゃん、そういう所デリカシーないよにとりん!って言ったりもします。でもこうやって本音をぶつけられる親友がいるのは両方にとっていい関係だなあと羨ましくもあったり。先日夜中にやってたグッド・ウィル・ハンティングも才能を活かせと友人に言われる、そういう下りあったなあと思い出しました。自分の希望や夢を相手に託すのはある意味エゴイズムなんですが、それでもその人が夢や目標を達成できた時は自分の事のように嬉しくなってしまうし、あの時がんばれたのは君が背中を押してくれたからだよなんて言われたら嬉しいを通り越して、なにか救われた気持ちにもなるかもしれません。最終回間際の二鳥君と有賀くんのシーンとても良かったです。いや、最後あたりは総決算なので、すべてのシーンが愛おしいのですが。二鳥くんの彼女が彼の行動に危惧して泣いてしまって、抱きしめ合うシーンは釣られて泣きそうになりました。自分も読んでてまさかそっちエンドになるんじゃ・・・と不安になりながら読んでいたので本当良かったです。

二鳥くんと有賀くんのやりとり

別に自分は女の子になりたいとか、ゲイだとかはないんだけど、二鳥くんのような変身願望というか、今の自分じゃないなりたい自分ってのになってみたいという気持ち、というか変化を起こしたいという気持ちは時折湧いてこない訳でもなく、でもそんな勇気もないから今の自分を受け入れてる(妥協してるのかも)のだと思う。それこそ劇中に出てきた女装するおじさんが出てきた時はそんな思いを見透かされているようでドキッとしました。そういえばもう十年以上前に地元でバイトしてた時、定期的にピンクの服とおさげの姿で買い物に来るおじさんがいたなあと思い出したり。あの人もあの人なりに、なりたい自分で街をあるきたかったんだなあと今なら分かる気がします。格好こそ目立つけどその他は普通に買い物して出ていくだけの、他のお客さんと何も変わらなかったしね。今も元気にしているのでしょうか。

店に来てたおじさんもこんな感じでした

今の時代は、仮想世界ではあれどヴァーチャルの姿で男が女になったりとかその逆とか、それすら乗り越えてロボットになったりカエルになったりと何にでも気軽になれる様になったのは素敵なことだと思います。あとそこの住民も、皆が皆自分の好き勝手な姿になっているから容姿に対するあれそれなんて言われないし受け入れてくれるし。SNSやユーチューブ等を通して、自分はこんな人間ですって話をしても、私も実はそうなんですとか、その気持ちわかりますと賛同してくれる人も多いですし。勿論反対意見も出たり、反対を除外ばかりしてるとエコーチェンバーになって視野が狭まったりするという問題もあるのですが。でもだからこそ、生身の自分に対しての折り合いをつける事も大事だなあと思う気持ちもあって。自分の気持ちに向き合って、良い自分悪い自分の告白、周りへの感謝を言える(言えた)二鳥くんはレオナ・ウェストではないけれど、二鳥修一として自分を受け入れてこれからも生きていく姿に胸を打たれました。放浪息子、読んでよかったと心から思います。ありがとうございました。

そんな放浪息子はまだセールしていてKindleで3000円ちょっとで全巻集められます。(3/29まで?)とりあえず買っておいて、気が向いた時に読んでみるのもありかなと思います。自分も前に買って積んでる青い花を読んでみたり、アニメ版もあるらしいので見てみたいですね。声変わりのシーンとかよりダイレクトに伝わりそうです。
それではまた。


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