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Twitterが死んだ日

2023年7月2日(日)、当たり前のように使っていたTwitterのタイムラインがほとんど更新されなくなった。タイムラインどころか検索や自分のプロフィールのログも見れない。今のところの実質Twitterの親分であるイーロン・マスク氏は暫定処置だが、普通のTwitterアカウントは一日のTLのAPI習得の制限を600ツイート、課金しているTwitter_blueでも6000ツイートと今まで無制限に取得していたサービスとしてはかなり厳しいものになっている。APIで取得した分だから更新するだけで読んでないものも含めてだから正直すぐ制限かかってしまった。TLに流す広告が主な収入源になっているTwitterだから、ユーザーもそうだけど高いお金出して広告だしている企業、Twitterを通して宣伝活動をしている企業も多数いるので、週明け月曜日には問い合わせの電話が鳴り響くだろう。来週には戻っていて、「こんなこともあったね」と振り返れる様になっていてほしい。……なるよね?

ただ、正直たまにはこんな日もいいかもしれない。
自分ごとになるけど、先々週から仕事の部署が変わって覚えることがたくさん、今まで仕事の合間にTwitter覗くことも良くしてたけど(するな)、ここ最近は日中はほとんど触ることができなかった。そうしてみると、TwitterからTLで毎日毎時色んな話題、学級裁判で溢れていたけど、それを全く追う事ができない、そして意外にも?そのほとんどは別に知らなくていいし頭のリソースを割く必要はないのかもしれないと感じた。実際知ろうが知らないがとりあえず自分は生きているし。もちろん自分で興味あるのは家帰ってきたあととかに検索して調べるのだけど、今まで受動的にTLから見ていたものはほとんどいらなかったのかもしれないなと。SNSとの距離感を見つめ直すいい機会になったと思う。仕事に暇…じゃない時間作れるようになったらまたTwitterとにらめっこし始めるかもしれないけど。

そして今日である。今日は珍しく日曜日休みだったけど、いつもなら朝からTwitterを片手間にネットサーフィンやらしてる休日なってたけど、その一つが(午前中はAndroidとかはTL取得できたけど午後はほぼ駄目になった)なくなった状態である。でもまあなんとかなってるし、水星の魔女の最終回を見てたり、ヨコハマ買い出し紀行が50話まで無料だったから読んでみたり、ようつべで配信や動画とか見てるうちに日は落ちてた。なんてことはないのかもしれない。Twitterがあろうがなかろうが、時間は平等であり地球は回っていくのだ。

特に、このタイミングでヨコハマ買い出し紀行を読めたのはへんなめぐり合わせを感じた。自分、学生だった頃にアフタヌーンを買っていた時期があったのですが、当時は作品は途中からで話も全然わかりませんでした。ただ、毎月芦奈野ひとし氏の書くほのぼのとした清涼感を感じるこの作品から、バトルも冒険もしないこういう作品もあるんだと、他のアフタ作品と同じように漫画の自由さに感銘を受けていたのを覚えています。今あらためて読むと、どんどん技術の発展とともに余裕さが失なわれていく現代に対して、氏の描くこの作品の衰退はしたかもしれないけど、人々にどこかゆったりとした余裕を感じれるノスタルジックな(そしてどこかに寂しさを)作品なんだなと感じました。まさに今日のTwitterという技術がなくなったけど、その分のリソースを他に回せる、ある種の余裕ができる今日の状況に似てる部分があるのかもと読んでて思いました。いや全然規模は違うんだけどw


なんにもしない日を享受する大切さ

まあさっきからそんなにTwitterいらなかったみたいな話ししてるけど、災害時などの緊急性あるときの情報収集には今まで大きく利用させてもらったし、これからも利用させてほしいと思ってる。また、10年以上つかっているとここでしか知らない交友関係だって少なくはない。それがなくなるのはやっぱ寂しいところはあるので、来週には治っているといいなあ。
これがずーっと続くなら本当に移住先考えないといけないのだけど。

なんとか復活してくれTwitter(結局ユーザーができるのは祈ることしかできないのだなあ)。

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