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死に至る病を読んでの(力尽きた)感想

読書の秋、皆さん楽しんでいますでしょうか?自分も妙に本を読みたくなっており漫画や小説など色々勝ったり積んでたのを崩したりとしてるのですが、その中でなんか目についたのがきるキェルケゴールの【死に至る病】でした。そう言えばエヴァの何話かがこんなタイトルだったなあとか思いつつ、たまには気難しいそうなのも読んでみるのもいいだろうと思い購入。読みたくなった時が吉日と、わけわからんくなったら読むのやめればいいかと思いながら読み始めました。

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↑こちらですね、Note書きながらちょっと見直しましたが題名に使うだけあってシンジくんの自分自身の自己分析みたいな話でしたね。TV版後半はそんな話が主になっていきますが。最後病室の前で入るに入れないでいるアスカが可愛かったw

結果、読むには読めたのですがやっぱ難解で、正直全ては理解できない、というか半分もわからなかったと思います。でも、わけわからんなりに響く考えや思想が覗き込めたり、本文ではなんでこんなにも絶望について考えられるのだろうかと思いながら読んでいましたが、解説を読むと幼少の頃から躁鬱病気味というか、頭はよかったらしいけど体はあまり丈夫ではなかったらしく、周りから落ちこぼれていると思っていたのか自分のことを「例外者」と言っていたようで、やはり疎外感というのは人を孤独や絶望に引き込んでいくのかなあと納得してしまった。因みに読んだのは岩波文庫版です。他にも種類がありましたが、下手に章を読むたび注釈や解説が入るものより、スマートに本文を読ませてくれる岩波版がいいよとコメントであったので。実際、結局の所思想のはなしであり自分の考えで咀嚼しながら読むタイプの本だったので、まずは自分の頭で整理しながら読みすすめられてよかったと思います。

ただまあ「面白かった!」っで終わると、何ヶ月か経ったら内容忘れそうだし、備忘録的ビビッときた所をいくつか書き残して行こうかと思います。もし興味持てたら気が向いた時手に取って読んで見るのもいいかなと思います。意味わからん!ってなるかもですが、それもまた一興だと思いますよ(全てわかった!になる人もいるかも知れませんがそれはそれでちょっと休んだほうがいいのかもしれませんw)

【死に至る病】とは絶望である。
この文はよく出てきますが死に至るとは言っていますが、生物学としての死に向かうという話ではありません。むしろ死ねるならそれは救いになるというか、絶望者は死ぬことができない。とキェルケゴールは言います。絶望という火がいつの間にか心体をすべて覆い、絶望そのものに自己自身を作り変えてしまうという事でしょうか。絶望そのものになってしまった時はもはや抗う力も逃避する力もなく、ただただ絶望という現象としてこの世を彷徨い歩くという事なのかなと。難しい、けどわかるようなわからないような、でも絶望、自己に希望を持てないという閉塞された心ではなにもできなくなるという状況のことを言いたいのかなあと思いました。あっているかはわかりません。

【彼は自己自身を食い尽くしている】、この点について絶望している。それを止めたいのに止められない、不可能であればこそ絶望者は苦悩している。絶望を切り離す(それこそ自死という形ができるならそれすら選びたい)事ができればと切望するのに、どうしても焼き尽くせない、焼き尽くすことができない在るもの=つまりは自己、自分のなかに絶望という炎が燃え、自己で絶望を認識してしまうからこそ火焔の燃料は焚べり続けてしまうのだろう。目に見える病ではない「絶望」は、目では他人には認識できない、自己との対面になり、悶々と助けてくれと嘆いたりもうダメだと悲観することが心に絶望の燃料として真っ黒な薪のように燃えても燃えても薪が積み上がっていくのだろう。

絶望者は死病を患っている。普通の病とは違い、この病は人間の一番尊い部分を侵食した、しかも彼は死ぬことができない。それは死という病の終局ではなく、むしろ終わることのない終局。絶望のこの世を彷徨うことになり、死というゴールも許されない。屈辱や悲しみに呑まれながら息をしていくしかない。

自己というものに世間の人々が大騒ぎすることは決してない。なぜなら自己というのは世間では一番問題にされることの少ないものであり、自己とはそれを持っているということがちょっとでも気づかれるならばこれほど危険なことはまたとない種類のものなのである。自己自身を喪うという本当に一番危険なことが世間ではまるでなんでもないように極めて静かにおこなられるのである。……なかなかキツイ言葉だけど自己という自分自身でしかわからないものにおせっかいをかける聖人のような人なんてそうはいないと思うし、自己=自分の意見を高らかに意見するというのはエゴとしての其れにも近いので、なんやこいつと危険分子や空気読めないヤツと認識されてしまう。そしてやはり人は身内ならまだしも(身内も突き進めれば他人だが)他人の処遇なんて心の底ではどうとでも思ってないのでその人が自分として形成していた心が壊れてしまっても、心神喪失になってしまったところでそう……というくらいの感情しか出てこないし、静かにそのまま空気のように流れていくのだと思う。そういう話なんだと解釈しました。

自分で自分を信ずる気にもなれず、自己自身であろうなどとはだいたいそれたことで他人と同じようである方がずっと楽でずっと安心だという気持ちになる、こうして彼は軍旬の中での一つの単位、一つの符牒、一つのイミテーションに堕するのである。……先程空気のように流れていくと書きましたが、キェルケゴールも同じように考えていたのか、群衆に呑まれるように他人=空気になるということで安心を得る事ができる。それはまあ根本的な絶望からの脱出ではなく逃避であるのだけど……。

自分が絶望の状態にあることを知らないでいる絶望。換言すれば自分が自己というものを、しかも永続的な自己というものを、持っていることに関する絶望的な無知。…絶望を認識する事ができればまだ対処できるかもしれないかもですが、それが当たり前になっている、もう自分でその絶望を空気のように纏わせてると、もうそこから抜け出せない、その絶望もまた自分の一つとして自然なものとなり、もうどこから自己でどこから絶望なのか、もうその認識があやふやな境界性になっているのではないか、とその境界性にすら気づけないような無知になっていないか。その無知という迷宮のような絶望をぐるぐる回っているだけではないのか…わかったようなわからないような。

正直まだまだ本文はあるのですが、絶望という哲学書みたいなものを無い頭で噛み砕こうとしても脳みそパンクしそうなのでここらへんで終わります。飽きたともいうw
漫画や映画といった物語からの考察、もしくは自分が日常で体験したものをこういう事があって~みたいな話で書くなら書き方の道筋みたいなのは見えてくるのですが、哲学というか自己分析みたいな話を書いていくって難しいですね。いい勉強になりました。

もはやまとまりのないNoteになってしまいましたがキェルケゴールの「死に至る病」は難しいですが名著なので、気が向いたら手にとって見てください。


もしくはダイヤモンド社さんが3分でわかる死に至る病みたいな記事をだしてるのでそっち読んだほうが早いかもしれませんw正直わかりやすいし。でもなー本書読んでみてほしいなー。

3分でわかる!キルケゴール『死に至る病』はこちら↓


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