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50年前に「はだしのゲン」を読んだ「子ども」は思った

「はだしのゲン」を読んだのは、週刊少年ジャンプに連載されていた時だった。

私は当時、小学生だったので、年齢なりにショックな、恐ろしいシーンはあったが、原爆、戦争とは「そういうものだったのだ」と素直に感じた記憶がある。

記憶がある、とはっきり言えるのは、単行本化された後は「学校で大っぴらに読めるマンガのひとつ」となって(他は「マンガ 日本の歴史」くらい)、私だけでなく、クラスのみんなが、何度も繰り返し読んだ・読めたから、が理由だ。

その頃は、敗戦から「まだ」30年経っていない時期だから、戦時中に生きていた人の方が多くて、家族からも戦時中のことはよく聞いたし、ベトナム戦争中でもあって、テレビや本では戦争の「悲劇」「残酷」が頻繁に出ていて、子どもの感覚にも慣れがあったのかもしれない。

「ゲン」と同じ時期に、ジャンプに連載されていた、とりいかずよしさんの「トイレット博士」は、毎週毎週、「下品ギャグ」(褒め言葉)の洪水だったが、毎年8月の中旬には必ず、シリアスな戦争回だったものだ。
それでも「そういうものだ」と素直に感じていた。

広島市はこの10年間に亘って、「平和教育プログラム」授業を行っていて、これまで小学3年生向けの教材「ひろしま平和ノート」に「はだしのゲン」の一部を載せていたことを、不勉強にして初めて知った。

知った理由は、恐らく多くの人たちと同じと思うが、同市が「はだしのゲン」を今年4月から用いる「ノート」から「使わないことを決めた」ことが報道されたからだ。

複数のニュースをみると、広島市は、
①ゲン兄弟が道端で浪曲を歌い踊って小銭を稼ぐ、
②病気の母親に精をつけてもらおうと、鯉を池から盗む、
というシーンを教員が「時間をかけて説明する必要があるので、困ると感じる、課題に感じ」て、「本質に迫る時間が短くなる」から、使わないことにした、のだという。

呆れて溜め息しか出ない。

時間をかけて説明して、理解を深めるのが教育ではないのか。

浪曲は、平成以前であれば定期的なテレビ放映があったし、ラジオでは今も番組がある。なにより、新しい浪曲師は次々に登場している。図書館に行けば、山ほどのCDがあるし、YouTubeもある。

鯉の件にしても、盗むことは宜しくと言うしかないが、食べることは今も幾らでもできるし、精をつけるために食べることは一般的な知識、と言えるだろう。

現在の小学生の殆どが浪曲に触れていない、知らないことは理解できるが、これは「連載当時でも同じような状況」だったし、落語や講談にしても「同じような状況」だろう。

それでも、事実として私たちは「ゲン」を読んでいたのだ。わからない場面が幾ら多かろうと。鯉を食べることについても同じだ。

現役の教員が「わからない・知らない」のはしょうがない、とは理解できるが、そもそも「調べない・知ろうとしない」のではないか、「調べ・知る」のが面倒だから、なのではないか、と思うのは邪推だろうか。
(通勤中にYouTubeを見る程度は、手間でも何でもない、と思うが。)

教員自身がわからないのならば、子どもたちに調べさせれば良いだろうし、それが学習、勉強、引いては教育だろうに、とも思う。

広島市と(市が言うとおりならば)市の教員たちは、子どもの理解力、知識欲を舐めている、見下している、と思うのだ。

子どもを馬鹿にするな、と言いたい。

さらに「邪推」すると、市側の人たちは「ゲン」を見せたくない、積極的に遠ざけたい意思があるのではないか。

これは2017年、広島市原爆資料館に展示されていた「被爆再現人形」を撤去した経過にも通底する、臭い物には蓋を、という"思想"なのではないか。

しかし、原爆や空襲、戦争被害を受けた数多の人たちにとっては、どんなに怖くてグロテスクであっても、事実は事実だし、体験は体験なのだ。「ゲン」の作者、故・中沢啓治さんにとっても。

その事実、体験を現在の者どもが撤去、除去しようとするのは傲慢だし独善だ。

たしかに「ゲン」の単行本後半の部分は、私の見方でも偏向、と感じるが、浪曲や鯉のエピソードは前半部分のものだ。

中沢さんの作品の特徴として、絵は怖いほど丁寧だが、キャラクターの動きやストーリーにはギャグの要素が高いことが挙げられる。
これは「ゲン」より先に発表されて、私も一度だけ読んだ「カレーばか」も同じ。

だから、浪曲も鯉のエピソードも、作者の意図では「ギャグ」部分であって(重いギャグだが)息の抜ける部分、と理解すべきなのだ。

それが理解できない人は、マンガ読解力が無いのだから、「鬼滅の刃」や「チェンソーマン」を楽しむ、今の子どもたちの高い読解力に判断を任せれば良いだけなのだ。

しかし現実として「ゲンを理解できない者たち」が権力を持っていて、その者たちに「ゲン」は葬られてしまった。

「ゲン」は二度、殺されたのだ。
最初はアメリカに、今度は日本に。

でも、きっと今の、いつかの子どもたちが「ゲン」を蘇らすだろう。

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