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舞姫(令和ver)

遠い遠い昔から語り継がれている物語たちは本当にすごいなって思う。

なのに、ついつい難しい昔の言葉たちを読むのが億劫になってしまったりして、気になっているのに読めていなかった。

そういう人って沢山いるんじゃないかなって思って、そんな人たちに向けて昔の物語たちを令和バージョンでお届けしよう…!と、鼻息荒くnoteを作りました。これぞ【すぐやる!】の精神٩( 'ω' )و.。oO(2ヶ月前くらいからやろうと思って動いてなかったのは内緒。誤差誤差。)

第一回は、そう、舞姫

高校の国語の教科書で主要パートだけ読んだことある人もいるかと。…主人公の男がまるで女の敵のようなクソ男で。昔の物語ってそういう男が多い気がするのは私だけでしょうか。

クソ男もとい、悩める青年は麗しのエリスとどうなってしまうのか。全3回でのお届けです。

それでは早速。令和ver舞姫、楽しんじゃって。


キタ━━━━(●⁰∀⁰●)━━━━!!( ←平成感 )



「石炭をば早や積み果てつ。」なんて一節を思い浮かべながら、エンジンの動作確認を終えた。問題はなさそうだ。
船内はめちゃくちゃ静かで、蛍光灯の明るさが虚しく感じる。今夜は毎晩ここに集まるパズドラ仲間たちもホテルに泊まっていて、船に残っているのは俺一人だから。

5年前、念願だったヨーロッパへの留学を上司から命じられ、このサイゴンの港まで来たころは、見るもの聞くもの全部が新しくて一体何ツイートしたのだろうか。それが当時Yahoo!ニュースに取り上げられてバズったりしたのだけど、今になって思えば幼稚な考えで、身の程知らずの無責任な発言や面白いと思ってしたネタツイの、くそおもんないことよ。あの黒歴史を周りはどんなふうに見ていたのだろうか。(全てツイ消ししたいのに、今やパスワードを忘れてログインできない・・・)
今回、帰国することになりツイートをしようと新しいアカウントを作ったのだが、まだ何もつぶやいていないのはドイツで勉強している間に「ニル・アドミラリイ卍(無感動)」な性格を身につけたからだろうか。違う、これには別の理由がある。

実際、東に帰っている今の俺は、西に向かって航海していたころの俺ではない。ドイツで学んだ学問のすべてを心得たわけではないが、世間の厳しさも知ったし、他人の気持ちをすべて理解するなんて無理だということは言うまでもないし、自分の心さえ変わりやすいということも知った。昨日好きだったものが今日は嫌いになっているような秒で変わる俺のセンシティブな心を一体誰に見せられるというのか。これが何もツイートできない原因だろうか。違う、これには別の理由がある。

ああ。ブリンジイシイ(イタリア南端)の港を出てから、もう20日も経った。普通なら初対面の乗客ともLINE交換でもしてよろしくやっているのだが、ちょっと咳がなんて言って、船室にこもり連れともろくに話さなかったのは、誰も知らない俺の後悔について悩み散らかしていたからだ。
この後悔は、はじめは雲みたいに俺の心をかすめて、スイスの山の景色を見てもイタリアの古代遺跡を見ても心ここに非ずであった。そして、いつしか世間を避けるようになり、身の上を心配し、禿げるのではと不安になるほど激しい苦悩を俺に負わせた。今では心の奥に凝り固まって一点の影だけになったけれど、インスタを更新するたびに、タピオカを飲むたびに、思い出し懐かしく切ない思いに駆られるのだ。
ああ。どうやってこの後悔を消せばいいのだろうか。もしこれがほかの後悔であれば、ツイートの一つでもして10いいねくらいいけば供養された気もして気持ちも楽になるだろう。だが、これに関してはあまりに俺の心に深く根付いているからそんな簡単にはいかないのだ。けれども、今晩は人もいないし、今ハマっているYoutuberの動画が投稿されるまでには少し時間があるから、よし、その概要をnoteに書いてみよう。とても140字では収まりそうにないから。

俺は幼いころから厳しい家庭教育を受けてきたからか、おとんを早くに亡くしても勉強はそれなりにしっかりしたし、東大法学部にも入って、太田豊太郎という名前はいつも首席で記されていたから一人っ子の俺を頼りにしているおかんは安心しただろう。
19の時に学士号を受け、大学創立以来の逸材だなんて周りから言われて、某省に勤めて、田舎にいるおかんを東京に呼んで、一緒に3年ほど楽しく過ごした。上司からの受けも割とよかったので、ヨーロッパ留学を命じられ、キャリアアップという意味でもおかんを喜ばせてやれるという意味でも、やるのは今だとやる気にあふれ、50を超えたおかんと別れるのもそれほど悲しいとは思わず、はるばる家を離れてベルリンまで来た。

俺はなんとなく意識高い系のつもりで、このヨーロッパの大都会に足を踏み入れたのだ。なんて綺麗なんだ、この目に映るものは。なんて鮮やかな色彩なんだ、この心を揺さぶるものは。エモい。超エモい。このどこまでも続く大通り、ウンテル・デン・リンデンに来て両側にある石畳の歩道を行く何組ものカップルを見てよ。いいスーツをかっちり着た男がこれまたいい時計やいい靴を身につけている姿や、激かわな女性がパリジェンヌっぽい服装をしている姿なんて、目をどこに向けてもヤバみざわ。
雲にそびえる高いビルが少し途切れたところには晴れた空に夕立を思わせるかのような音を立てて落ちる噴水の水が見えたり、遠くを見れば緑樹が枝を交じわしている中から浮かび出ている凱旋塔の女神の像があったり。そんなふうに四季折々のものがぎゅっと集まっているもんだから、初めてここに来た人間が観光するのに時間が足りないというのはもっともだ。だけど俺の美学として、どんな場所で遊ぼうと無駄な美しさに心を動かすまいというものがある。だから常に俺を襲い誘惑する外界のものに対して、バイブス上げるわけにはいかないのだ。

俺がインターホンを鳴らし面会したい旨を伝え、公式の日本政府の紹介状を見せて日本からやってきた目的を伝えると、相手のプロシアの役人は快く迎え入れてくれて、手続きを無事に終えたらなんでも教え話しましょうと約束してくれた。まじで第二外国語で、ドイツ語とフランス語の授業取っといて良かった。みんな俺と初めて会ったとき、うまいねって言ってくれたから。

さて、まじで意識高い系になってきた俺は、ベルリン大学に入って仕事の空き時間を使って政治学を修得しようと自分の名前を大学の在籍簿に書いてもらった。
ひと月、ふた月と過ごすうちに仕事はだいぶ進み、必要なことはSlackで共有し、ほか雑多なことはTwitterで書き留めた。一体何ツイートしたことだろう。大学の授業は、政治家になれるような特別な授業があるわけでもないが、迷いながらも法律家の講義を2,3個受講して授業料を納め講義を受けた。

こうして3年ほどは夢のようにあっという間に過ぎたが、慣れたころに出てくるのが自我というものだろう。俺はおとんの遺言を守り、おかんの教えに従い、周りから神童なんて言われるのが嬉しくて、これまで怠けずに勉強してきた。上司からいい人財を得たなんて言われるのもまた嬉しくて、でも気づけばただ受動的で機械的な人物になっていたのだろうか。今、25歳になって久しぶりに大学の自由な雰囲気を肌で感じたからか、心がざわざわして、心の奥底に潜んでいた本当の自分が顔を出して、昨日までの「偽物の俺」を責められているような気がするのだ。俺は今の日本を正しく導いていけるような政治家にも、法を暗記して裁判の判決を下す法律家にもふさわしくないと感じている。
今思えば、母が私を生きた辞書に、上司が私を生きた法律にしようとしてた可能性は微レ存だ。辞書ならまだしも、法律は勘弁してほしい。今までは小さな問題にも丁寧に回答していたが、このころからSlackで法律に深入りするべきでないと意見を述べ、もうすでにこんだけ勉強したんだから大抵のことは解決できるでしょ。だなんて、口任せに大きなことを言った。また大学では、法科の講義をよそに歴史・文学に興味を持ち、次第にその面白さがわかるまでになった。

上司はもともと意のままに操れる機械を作ろうとしたのだろう。独立しようとし、スタートアップが口癖になりつつある男を、喜ぶわけがない。危ないのは当時の俺の地位だった。これだけではまだ、地位を揺るがすほどのことにはならなかったけれど、ベルリンの留学生たちは俺がある勢力のあるグループとの間の面白くない関係について、俺のことを嫉み疑い、あることないこと言いふらした。
彼らは、俺が飲み会に参加せずダーツもしようとしないかたくなな心と欲望を制する力とに結論付けて、一方ではあざけり他方では妬んだことだろう。しかしこれは、彼らが俺のことを知らないからだ。自分自身でさえ、本当の自分に気づくことができなかったのに、どうやって他人に分かってもらえなどと言えるのだろう。俺の心は先にも言ったが超センシティブだから、物が触れると縮んで避けて逃げようとする。俺が昔から年長者の教えを守り、学問の道に進んだのも、国家公務員の道を選んだのも、勇気があってできたわけではない。ただ外界のものを恐れて、自ら自分の手足を縛ったに過ぎない。日本を出発する前にも、自分が有能な人物であることを疑わず、また自分がとても忍耐強いということも信じていた。ああ。それも秒で終わったな。船が横浜を離れるまでは度胸ある人間だと思っていたから、止まらない涙でハンカチを濡らしてことを不思議に思ったが、これこそかえって俺の本来の性格だったのだ。これは先天的な性格なのか、それとも早くにおとんを亡くし、女手一つで育てられたからなのか。
彼らが嘲るのはもっともなことだが、妬むのは愚かじゃないか。こんなにも弱く哀れな心を。きらきら光るアイシャドウを塗って輝くような衣装をまとって、タピオカを飲みながら客を引く女性を見ても声をかける勇気もない。だからあのウェイたち(一緒に留学に来た彼ら)と仲良くすることなんて出来るはずがないし、そのために彼らは俺を嘲り妬むだけでなく、そねみ疑うことになった。これが俺が冤罪を身に受け、苦汁をなめつくした経緯であった。

ある日の夕暮れ、俺は動物公園を散歩し、ウンテル・デン・リンデンを過ぎ、下宿先に帰ろうとクロステル街の古い寺院の前を通った。俺はこの狭く薄暗い路地に入り、屋上のてすりに干した衣服や肌着がまだ取り込まれていない家や、髭の長いユダヤ教徒の老人がドアの前にたたずんでいる居酒屋や、これらに向かい合って凹の字の形に引っ込んで建てられているこの300年前に遺跡(寺院)を眺めるたびに、恍惚としてしばらく佇んだことが何度もある。
今この場所を通り過ぎようとするとき、閉ざした寺院の門の扉に寄りかかって、声を抑えて泣く一人の少女がいるのを見た。年は16,17くらいだろう。頭に巻いた布から漏れた髪の色は薄い金色で、着ている服は汚れているとも見えなかった。俺の足音に驚かされて振り返った顔は、俺の語彙では表現しきれなかった。この青くて清らかで何かを問いたそうに愁いを含んだ目、露を宿した長いまつ毛に半ばおおわれているこの目は、どうして一目見ただけで用心深い俺の心の底まで貫いたのか。これが俗にいう「尊い」なのか。


キタ━━━━(●⁰∀⁰●)━━━━!!

第一回はここまで。

豊太郎が尊いエリスたんに一目惚れしてしまったところで次回へ続く、です。

令和風に書いてるけど、ヨーロッパへの移動は船なんかい!とか意地悪なツッコミは無しだよ٩( 'ω' )و空気を読んでね٩( 'ω' )و

それでは。来週末にでも第2回、更新したいと思います。

なんとなく話は知っているけど… 題名は聞いたことあるけど…詳しくは知らない。

そんなふうに言われてしまう昔の物語たちが一つでも減ることを願って。


なおばや🐕

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