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感情に言葉を与えると、不確かだった「自分」が見えてくる

子どもたちの学童利用を
辞めました
(わが家には、小4と小1の子がいます)


なので
夏休みであるいま
子どもたちは毎日家にいます



そもそも【学童利用】は
仕事をするには必要だから
と、決めたこと



・子どもたちが望んだからとか
・預けたい場所だったから

ではなく、
「必要」だったから




働くママだったら当たり前
ともいえる選択です。

でも
それって誰にとっての当たり前でしょうか?

だれかにとっての当たり前は
だれかにとっての非常識



頭の中ではわかっていても
自分ゴトとなると
そんな言葉は
どこへやら


特に違和感を感じることなく
周りの波に乗りました


(自宅で仕事をしているので預けなくても
やっていけるかも?に向き合わずに流れに乗った感じです)



でも
息子もいよいよ10歳

ここから
彼の中にある
親の領域は
どんどん小さくなっていきます


そんな分かりきっていた事実に
改めて気づいたとき


「 学童をやめよう 」


と、スーっと思いました



死ぬ時に後悔すると思えたからです


猛烈なスピードで
流れ去っていく毎日だけれど


必ず
何かを感じて
何かを思っている



そのひとつひとつ
そのすべてを丁寧にみていくことは難しい


でも

なんだか違和感を感じる
スッキリしない
モヤモヤがずっと消えない


こんな気持ちがあるなら


自分との会話が
必要だというサイン



方法は色々とある
ヨガや瞑想もすごくいい(と思う、わたしは続かないけど)



でもわたしは
「言葉にする」ということをオススメしたい




感情って目に見えない



すっごく心を震わせたとしても
人間はすぐに忘れてしまう


感動した映画や本でも
細かなところはすぐに忘れてしまいませんか?



だからこそ
言葉にすることで、


感情という形のないものに、
言葉という形を与えて

もっとありありと感じていくべきだと思うんです


そうすることで



 自分は本当はどうしたいのか?


が見えてくる


…すぐには見えないかもしれない
でもやる意味は必ずあります

やらないは、ゼロだけど
やるはイチになる



そのイチを積み重ねていけるかどうかですね
何事も
(積み重ねることってほんとに難しいですね!この世で1番難しいと思えるほど)






生きる事って正解がない
自分で正解を決めないといけない



自由に生きていい時代に生まれたことは
ありがたい



けれど
その自由さを手に入れた代わりに
だれもが自分で正解を「決めないといけない」という責任を負った

正解がないってことは
その正解を自分で決めるということ

正解だ!って
心底思える道を歩みたい

わたし自身がそう感じたい


・・・・なら、まず自分を知ることから始めないといけない
(この道には終わりがないのもまた、面白き)


たった1行でもいい

感情を
言葉にすることは思ったよりも大変だから


ぼちぼち
でも確実にやっていきたい



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わたしは自分がわからなくて
わかりたくても、わからなくて
ずっと苦しかったのでちょっと暑苦しくオススメしました

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やればやるほど
たのしくなるのもオススメしている理由です



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