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親と子の世代

今日もここに来てしまった。

いや、今日も生き延びることができた、というべきか。
もう寝なければいけないのに、PCを見ている場合ではないのにまたここにきてしまった。いいのである。やりたいことができているのは、すばらしいことだ。

書くことがないけれど、書く癖をつけようと、キーボードを叩いている。そのうちアウトプットが多すぎて、頭がかすかすのスポンジのようになってしまうのではないかとも思ったが、今までなにも発信して来なかったのだから、あと1週間ぐらいはそんな感じでいいのではないかと思う。
1週間毎日書くつもりはないけどね。そも毎日書くことは重要ではないので。

さて、ぼんやりと世代の移り変わりを考えた。

親の世代から子の世代へ。
100年前とは違い、今は親と子の世代で時代が全く変わった、といっても過言ではない。そういう世代の移り変わりが、ここ数回起こっている。

例えば江戸時代の農民を想像してみる。彼らは代々農民であり、何十年たとうが、一生に起こる出来事は、どの世代を切り取っても金太郎飴のように画一である。それの良し悪しはおいておいて、そうなのである。今でも農村ではこんな感じの時代の流れが、”伝統”として残っているとは思う。

そこから時は流れ、明治、大正、昭和、平成。激動の時代だ。
生活が変化し、思想が流入し、群衆は湧き、打ちのめされ、ぐちゃぐちゃになって分裂した。
時代が何に動かされ、どう変化したか、私は正確にはわからない。
ただ、肌感として思うのは、この期間の親子間の思想の移り変わりは、振り子のようなものだったのではないか、ということだ。
要するに、自身の親に、親が生きた時代の思想を見て、そうはならない、と子は思う。そしてまた、親の時代とは全然違う今の思想を作り上げ、同時に染まっていく。これの繰り返しだと思う。
これはいつまで続くのか。おそらく、落ち着くことは半永久的にないだろう。大きな権力が支配する画一的な世界か、はたまたすべてが無に帰する時が来れば話は別だが。

と、ここまで考えてきたが、なんと視野の狭い文章だろうか。
そうじゃない親子も、たくさんいるだろう。
うちは代々これが伝統です! 大いに結構。いや何様。

結局私の経験から文章を紡ぎ出してしまった。
でも、少しわかる人もいると思う。


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